西端真矢

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香港の小さな勝利を祝福する 2019/11/27



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日本でも大きく報道されている通り、香港区議会選挙で民主派が勝利した。
私はこのところ母の体調が悪く、介護に忙殺されてブログどころかフェイスブックへの書き込みすらままならない日々が続いていたのだけれど、一日として香港のことを忘れたことはない。
それは、もちろん、香港にたくさんの友人がいるから、というのが一番の理由だけれど、でも、それだけでもない。香港は、日本を含め、中国共産党と対峙しなければならないアジアのすべての国々にとって、最前線の砦だと思っている。
ここを簡単には思い通りに出来ないことを知れば、台湾では、日本では、フィリピンでは、ベトナムでは、さらに大きな抵抗が待っていることを、共産党もさすがに身にしみて理解するだろう。だから、香港の民主派に属する人々は、私たちのために戦ってくれているとも言える。彼らを支持し続けなければいけない、と私は確信している。
         *
中国は、しきりに、「我が国は対外的野心を持たない」と言う。しかしそんな台詞をどうして信じられるだろうか?
着々とアジアの港に軍事基地を築き、その裏には相手国を借金漬けにしてそのカタに港を獲るというヤクザまがいのやり口があることは周知の事実だ。
尖閣諸島の周辺海域をうろつき、チベットを、ウィグルを、激しく弾圧する。自国の利益のためにはなりふり構わない姿こそ、まさに対外的野心そのものだろう。
安倍首相は来年習近平主席を国賓扱いで迎えると言うが、どういう見識の低さだろうか? 典型的な「支持政党なし」派の私はもちろん自民党支持者でもないけれど、習近平主席の国賓来日に反対する自民党有志の主張には賛同する。今からでも遅くはないから取り消した方がいい。
       *
世界はこれまで、中国共産党に対して、自由経済の枠組みに引き入れれば政治体制も自然と民主化するだろうと期待して来た。けれどそれは天真爛漫な夢に過ぎなかったことを、今、苦い思いで振り返る時期に入ったと言えるだろう。
共産党は決して退場を考えない。今の中国を立て直せるのは、今一歩発展させられるのは共産党だけだ、そう、世界にも、自国民にも言いくるめ続け、ため込んだ金と世界から学びとった科学技術を駆使して、結局自らの存続の道具にして来ただけだった。
「為人民服務(人民に奉仕する)」というのが彼らのスローガンだが、本心は、「人民は適度に満足させてやって、ものを考えさせないようにしておけ」、だろう。そしてものを考える人々は最新テクノロジーで監視し、苛烈に弾圧する。
一時の金に目がくらんだり(それは中国製の安価なIT機器の購入も含む)、純粋な善意から中国市場に深入りすればするほど、それは結局共産党の存続に手を貸すことになるだけだからよくよく考えた方がいい。回り回って私たちは自分の首を絞めることになる。共産党が存続し続ける限り、中国を信用してはならない。今の中国には失望しかない。
       *
そして、そんな中国共産党をすぐ隣りの土地から見て来た香港の多くの人々が、受け入れることが出来ないのは当然だろう。
もちろん、中には中国と上手くやり、共に繁栄しようと主張する親中派と呼ばれる人々もいるが、60、70年代、北朝鮮に夢を託して帰国し悲惨な境遇に陥ることになった在日朝鮮人の二の舞になることが、どうして分からないのだろうか?共産主義はそれほどやわではない。
       *
とは言え、今、金で釣ればそれこそやわになびくだろうと高を括っていた香港の人々の激しい抵抗に遭い、ようやく中国共産党もかつてのチベットやウィグルのようには行かないことを理解し始めただろう。さぞかし頭の痛いことだろうと思うが、いい気味だ、と言うしかない。
はっきり予言したいが、この抵抗運動は、彼らが譲歩しない限り絶対に終わらないだろう。
そして、ベトナム戦争で、叩いても叩いてもまた地下から湧いて尽きることがなかったあの地獄のゲリラ戦がじわじわとアメリカを蝕んだように、中国共産党の手の、足の指先を少しずつ腐らせていくだろう。香港と中国との距離はベトナムとアメリカのそれよりもちろんずっと近いだけに、事態はより深刻なものとなるだろう。
もしもこの抵抗運動を終わらせたいのなら、共産党は香港政府を通じて香港警察が犯した罪を認め、調査し、罰すべき人物を罰する機関を設けることだ。それをしない限りこの混乱は絶対に終わらないし、小手先の脅し(覆面禁止法のような)を行えば行うほど、かえって反発は深まり、抵抗は長引く。あとはただ一つ。正面から人民解放軍を侵攻させて終わらせることはもちろん出来るが、やれるならやってみればいい。平和を愛する世界の守護者中国共産党の仮面は粉々に砕け散ってその痛手ははかり知れないものとなるだろう。まったくいい気味だと言うほかない。

今回の区議会選勝利は、中国共産党のこの終わらない片頭痛に、新たに吐き気を加えることに成功した。小さな一歩だが、香港の人々の粘り強さに、心から敬服する。先は長いだろうが、世界の良心ある人々は、皆、香港を注視している。香港は孤独ではない。砦であり、私たちの仲間だ。香港の小さな、けれど確実な勝利を祝福する。

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祝パラリンピック出場内定!「メンズクラブ」12月号にて、幅跳びの山本篤選手を取材しました 2019/11/11



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昨日、ドバイで開催中のパラ世界陸上大会にて、見事銅メダルを獲得。来年の東京パラリンピック出場が内定した、走り幅跳びT63クラス、山本篤選手。
実は、現在発売中の「メンズクラブ」12月号に、その山本さんを私が取材した記事が掲載されています。

まだ残暑厳しかった9月上旬、山本さんが練習拠点としている大阪体育大学の陸上競技場へ伺い、取材・撮影をさせて頂きました。
私はこれまで義足や義手の方と接したことがなく、義足を間近で見るのは初めてのこと。控室で、“足を交換する”場面も、もちろん、初めて見る光景でした。
取材前は、正直に告白すれば、怖いという気持ちもありました。しかし、実際にフィールドを走る姿は、ものすごく、かっこいい。偽善ではなく、心からそう思わされました。
では、そのかっこよさの芯にあるものは何なのか?山本さんが東京パラリンピックの先に見ているものは?
2ページの短い記事ですが、本質に触れられたのではないかと自負しています。ぜひご高覧下さい。

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青山に、きれいな、きれいな紬布を見に行って。 2019/11/08



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青山のギャラリー「イトノサキ」に、きれいな、きれいな布を見に行って来た。
栗色のような、ベージュのような、グレイのようなその紬の布を織っているのは、杉森繭子さんという女性だ。
紬の産地、結城で織りの修行をした後、今は東京郊外の三鷹で、一人、黙々と好きな布を織っている。

実は、イトノサキの店主畔蒜さんに、彼女を紹介したのは私だ。
私の古い友人が杉森さんの同級生、という縁で知り合い、ある日三鷹のアパートに遊びに行った。手織りの大きな機が一部屋を占拠し、ブリキのバケツがいくつも棚に並んでいた。家の周りの武蔵野の草木を煮出し、糸まで自分で染めているのだという。

     *

そんな完全なる手染めの手織りだから、一反を織り上げるまでには数ヶ月の時間がかかる。生活のために他の仕事をしながら、黙々と染め、織っていた。
毎年、駒場の日本民芸館の公募展に出品して入選し、展示を見て買ってくれる人が、時々いる。京都の良心的な紬問屋が買い取ってくれることもあるそうだけれど、それ以外に販路もなく、質素そのものの生活だった。

何だか、胸がうるうるしてしまった。何しろ彼女はひどく口下手で、SNSも、メールすらも苦手。もちろん、営業トークなど出来る訳がない。この先一体織り続けていけるのだろうか?
それで、畔蒜さんに彼女の布を見てもらおうと思った。サバサバと気っぷよく、布の選択眼に超一流の畔蒜さんなら、きっと彼女の布を気に入るし、売り方も考えてくれるに違いない、と。

…そうやって実現したのが、今回の、この個展だ。
嘘のない、きれいな心の人が織った、きれいな布が並んでいる。身につけたら一日気分よく過ごしていけそうな、そんな布だ。

杉森繭子個展「グレージュの余韻」
http://itonosaki.sblo.jp/archives/201911-1.html

開催は、今週日曜日まで。青山の近くまで出向くことがあったら、ぜひ足を運んでみてほしい。

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クロワッサン「着物の時間」にて、漫画家の山崎零さんを取材しました。 2019/11/06



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マガジンハウス「クロワッサン」での連載「着物の時間」にて、漫画家の山崎零さんの着物物語を取材しました。
このところ、着物ファンの間で、じわじわと注目を集めている少女漫画があります。題して、「恋せよキモノ乙女」。着物が大好きな、ちょっと奥手の女の子が、恋に仕事に一歩ずつ成長していく王道の物語。その成長に、常に着物が寄り添っています。
着物好きの心をくすぐるこの物語の作者が、山崎さん。
出版不況の中、コミックはじわじわと増刷を重ね、トークショーなどのイベントには、色とりどりの着物を着た老若男女のファンが集まるのだそうです。
もちろん、山崎さん自身が大の着物好き。着物を中心に据えた漫画を描くことになったきっかけや、主人公の着物と山崎さん自身の着物の好みの関係性などをお聞きしました。
皆様、コミックとあわせてぜひご高覧ください!

一枚のきものと別れる日 2019/11/01



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 今年の秋はこの国にあまりにも厳しいことばかりが続いて心が苦しくなってしまうけれど、その中にも祝い事はあって、或る会に、華やかさのある銀杏の小紋を着て出かけた。
 四十年ほど前、祖母が、当時三十代だった母、そしてゆくゆくは私も着るようにと染めてくれたもので、二人で合計すれば三十回近くは着ているだろうか。大好きな一枚だった。

 けれど、数年ほど前から、着ていて何だか落ち着かなくなっていた。どこがどうと言われると説明出来ないけれど、何とはなしに、顔と生地とが互いに離れて行くような感覚がある。まるで愛し合っているのに倦み始めた恋人同士のように。
 つまりは私が年を取って、顔つきや肌がもうこのきものを受けとめられくなっているのだけれど、あまりにも、このきものの模様つけ方や染めの調子が好きだったから、毎年一度ほどは未練がましく着ていた。そんな着物だった。

 けれど、もう潮時だ。今回で最後にしようと思った。
 そしてそう思って袖を通すと万感の思いがこみ上げて来た。
 もちろん、やさしい知人たちは「まだまだ全然おかしくないですよ」と言ってくれる。また、「幾つになったって、好きなものを着ればいいんです」とも。
 もちろんその通りで、〇歳になったら地味な色を着なければいけなどという法律がある訳ではないし、誰かに迷惑をかける訳でもない。
 また、確かに世の中にはいくつになっても若々しい色や模様のきものを着ていてちっともおかしくない方もいるし、もしかしたら私のこのきものも、もうあと一、二年なら、何とかそう珍奇な見映えにならずに着ていられるかも知れない。
 けれど、一方で、老いた肌に可憐な色のきものを着て、視界に入った瞬間にぎょっとするようなおばさまが存在する。おしゃれとはバランスだ、と私は考えていて、こうなってしまえばおしゃれとは程遠いことは私にとってははっきりしている。そして自分がそういう状態に陥ることに耐えられない。何より自分自身が、もうこの小紋を着ていると落ち着かなくて落ち着かなくてそわそわしてしまうのだ。こんなに愛しているのに。悲しいけれど。

          *

 だから、恥ずかしながら今日のブログに掲げた写真は、この着物との別れの記念だ。そう思いながら着られたことは、やはり良いことだった、と、今は思っている。
 人生には、たくさんの不意の別れがある。いつでも会えると思っていたのに、明日会えると思っていたのに、それどころか朝家を出て夜にはまたいつもと変わらず会えると思っていたのに、会えなくなってしまうこともある。それに比べれば、さよならと言いながら別れられることは得難い幸せなのかも知れない、と。

 家に帰り、二日ほど陰干しをして風を入れ、たとうへとしまいながら、このきものを通してたくさんの楽しい時間を贈ってくれた祖母に心から感謝した。糸をほどき帯に仕立て変えれば、またこの布と一緒にいられるかも知れない。けれどきものでいる今の姿を、壊したくない、とも思う。
別れてもまだ一枚のきものに心を迷わされている。

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