西端真矢

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感染=死。肺の重度基礎疾患持ちを家族に抱えてコロナウイルス下を生きる 2020/03/12



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2か月前、もしも誰かが私に、
「今から2か月後、あなたは深夜、熱湯に或るものを浸し、割り箸しでゆさゆさ揺するようになります。それは何でしょう?」
と質問しても、まったく見当もつかなかったに違いない。
今、私は、深夜にお湯を沸かし、沸騰後、たらいにそそいでその日に使ったマスクを入れ、割り箸でゆさゆさと揺すっている。数10秒揺すったら裏返し、また数10秒揺すったら裏返す。それを数回繰り返す。まるで天麩羅でも揚げているようで笑うしかないが、新型コロナウイルス流行と深刻なマスク不足によって生まれた、新たな日常風景だ。

今、日本のあらゆる街で、いや、もう世界中の街でと言った方がいいのだろう、2カ月前には想像もしなかった風景が日常を侵食し続けている。まるでウイルスのように。
多くの人が不安や緊張を強いられて日々を送っていると思うが、中でも私のそれは普通の方をはるかにはるかに超えるものだと思っている。何故なら、私は、同じ家の中に、肺の重度基礎疾患持ちの母を抱えているからだ。
そう、あらゆる通達や報道で、「重症化しやすい」「死に至ることも」と記される、肺の基礎疾患持ち。母の疾患はその最も高いレベルにある。
今日のブログでは、そのような基礎疾患者を抱える私が何を感じ、思いながら、この新型コロナウイルス下を生きているか、そしてこれからを生きようとしているか、を書いてみたいと思う。

      *

私の母は、15年前に肺癌を患い、右肺の5分の2を切除した。だから普通の人より呼吸を出来るスペースが絶対的に足りていない。更に5年前、癌は左肺へ転移し、現在、投薬治療を行っている。悪いことには約1年半前から、新たに脳の血管の病気を患うようになり、それを押さえるための強い薬も服用している。こういう人が新型コロナウイルスに感染した場合、ほぼ確実に、死に至る。

新型コロナウイルスに関する報道が始まり、重症化する人の特徴が分かって来た時、だから、私は激しいパニックに襲われた。それは何か、目に見えない巨人のような存在に首根っこをぎゅっとつかまれたような、或いは見えない斧のようなもので頭を二つに割られたような、言いようのない恐怖の感覚だった。
母は足が悪く、外に出ることが出来ない。だから、万が一新型コロナウイルスに感染するとしたら、それは、私か父がもたらすものということになる。
自分が、母の、死の原因になるかも知れない!
――そう思い当たった時、私は恐怖に縛りつけられたのだ。

     *

もう世界中の人が理解しているように、今回のウイルスの厄介な点は、感染しても発症までに長い時間がかかるケースが多いことだ。更には症状が出ない人も多く、また、現状、日本では無症状者は検査を受けさせない方針のため(その方針は正しいと思う)、自分が感染しているのかいないのか、確かめる術がない。そして、症状が出ていなくても、感染力は相当に強い。
これらすべてのことは、基礎疾患持ちを家に抱えている者にとって、そう、最悪の条件にあると言って良いだろう。

だから私は今、狂ったように1時間に数回も体温を測り、外出から帰宅後は、通りがかりの人が見たら笑ってしまうくらい熱心に玄関のドアノブを除菌ティッシュで清めてからやっと家に入る(そもそも玄関脇に除菌ティッシュを置いて備えている)。
もちろん即座に手を念入りに洗い、猫が私の顔に自分の顔をすりつけたがるので、顔も一緒に洗っておく。これは、母もしじゅう撫でてかわいがっている猫が、感染の媒介になってしまうことを防ぐためだ。
脱いだ衣類は、洗えるものはすぐ洗濯機に放り込む。ニットやコートなど洗えないものは決まった場所にハンガーで吊るし、スチームアイロンで蒸気消毒をする。もちろん日にも干す(紫外線にはウイルス死滅効果がある)。

外出時にも、トイレや店先のアルコール液などあらゆる機会を見つけて手を清めているし、洗い過ぎてひび割れが出来るとそこからウイルスが入ると聞き、ハンドクリームも必ず塗り込むようにしている。そもそも家を出る前に、本来は顔に吹きつけて使う花粉・ウイルスブロックスプレーIHADAを、手にも吹きつけてウイルスガードしている。

仕事のために電車に乗れば、マスクなしで大声で笑い、話す人が近くにいる時は、即座に違う車両へ移動し、出席者が近距離で座り、資料を回し見することの多い会議に参加する日は、事前にメンバーにメッセージを送り、入室前に必ず手を洗ってもらうよう依頼した(そのうちの何人かが会議中もマスクをしてくれたのを見た時は、涙が出るほどありがたかった)。楽しみに楽しみにしていた菊之助さんの舞台もあきらめ、飲食を伴うお茶の稽古も、流行の鎮静化までは自主的に欠席にしている。
…その他その他、気をつけていることは山ほどある。神経過敏だと笑われてもいい。たった一度の失敗が、油断が、母の死につながるかも知れないのだ。どこの世界に自分の親の死の感染源になりたい人がいるだろうか?

     *

そんな緊張と恐怖の日々が、もう1カ月以上続いている。
そして分かったことは、人間は、極限の精神の緊張を持ちこたえられない、ということだ。
恐らく狂ってしまわないための防御反応なのだろう、20日ほどを過ぎたあたりから、どこかにやけっぱちの気持ちが生まれて来るのを感じた。そして恐怖心はいつしか以前より、鈍く、薄らいでいた。
或いは、こうも言えるのかも知れない。恐怖に心が麻痺してしまった、と。
もちろん、表面的には、なのだろう。胸の奥底には今も真っ黒な恐怖が渦巻いているけれど、それでも、どこかに、狂ったように手を洗う自分を空の上から眺めて笑っているような、もう一人の自分がいることも、感じている。

     *

一体、この陰鬱な緊張の日々は、いつまで続くのだろう?
終息の見通しについては、専門家の間でも意見が分かれているようだ。
徹底的な移動・交流の制限をすれば、1、2カ月ほどで押さえ込める、とする専門家もいるし、事実、台湾やマカオは押さえ込みに成功しているように見える。
一方、今後もこの流行は世界規模で長期化する、或いは、ウイルスは弱体化した後(多くのウイルスは徐々に弱体化していくそうだ)、インフルエンザのような、毎年毎年つき合っていかなければならない常在ウイルスとなる、という考え方もあるようだ。
今のところ誰にも見通せないのは、新型なのだから仕方がないだろう。

もしも1、2カ月の強力な封鎖が有効であるなら、一時的な経済の痛みはともなっても、やはり全国民で協力しなければならない、と考える。
日本経済は内需のみで成り立っている訳ではないから、世界から「安全だ」と認めてもらえない限り、日本人に対する入国制限は解除されず、どこの国にも商談に行けないし、「日本に旅してみよう」というマインドも全世界的に戻って来ないからだ。
「春節需要を逃したら、経済が‥」という最初期のためらいが水際阻止の絶好の機会を奪ったように、どこかの業界に配慮して五月雨式にしていたら、永遠に封じ込めは出来ないし、経済も永遠に回復しない。配慮してもらった業界の人も、結局長く苦しむことになる。誰も傷つかない解決はない、という意識を持たなければならないのだろう。全員が傷つきながら、協力し合うしかない。

一方で、全世界的に長期化が避けられず、しかもこのウイルスの毒性が大して弱体化しない場合には、私のような近親に基礎疾患持ちを抱える人、また、基礎疾患持ちそのものの方は、或る程度生活を変えなければいけなくなるかも知れない――ということまで、考えざるを得ない。
例えば、地下で、窓がなく、小規模。けれど素晴らしい板前さんがいるお料理屋さん、といった店での会食に参加することは難しくなるし、同じような条件の劇場やライブハウスにも、出かけることは難しい。屋内でのスポーツ観戦や換気の悪いスポーツジム、或いは茶の湯での濃茶の回し飲みも不可能になるだろう。

けれど、だからと言って、すべての活動が不可能になる訳でもないように思う。
たとえば茶の湯なら、事前にご亭主に事情をお話しして、自分だけは回し飲みには参加せず、お茶碗の受け渡しだけにする、など、少しやり方を変えれば出来ることも多くあるのではないだろうか。
会食の場所も、他のメンバーに事情を話して、テーブルとテーブルの間にゆったりと距離があり、換気の良い店の窓側の席にしてもらえば良いだけのことだし(事実、私は、先日、そのようなお店でのビジネスランチには参加した)、一方、身近に基礎疾持ちを抱えず、自分自身も元気な人たちは、“狭く、換気は悪くても、味の良い素敵なお店”で楽しく集えばいい。
ただしその後2週間程度は、基礎疾患持ちやその家族、また、高齢者と、至近距離でマスクなしで話すことがないよう配慮するべきだ。

一般的な買い物や、美術館での作品鑑賞は、いわゆる“激込み”状態でなければ誰でも問題ないだろうし、屋外での様々な活動も、至近距離での接近や接触がなければ、何ら問題ないのではないだろうか(ただし帰宅後は必ず手を洗う)。
何もかも制限してしまえば経済そのものが破綻し、それはそれでパンデミックと同等レベルの災厄となってしまうように思える。

もちろん、お店の経営者やイベントの主催者も、これまでと同じ考えでいてはいけないのだろう。
感染は密集状態、且つ、つばや汗が飛び散る環境で起こることがはっきりしているのだから、とにかく何よりも、換気を確保する。「お客様と従業員の安全のために、当店では45分に1回窓を開けて空気を入れ替えます!」としたっていいし、席と席の距離もこれまでより広く取る。1時間に1回備品をアルコール消毒するなど、ありとあらゆる知恵を絞ってそれを顧客にアピールしなければ、結局じり貧になっていくのではないだろうか。

     *

あれこれと書いたが、それは、自分の周囲の人々のSNS上などでの発言を見渡していると、自分が健康体で、かつ、重症化しやすい家族を抱えていない人の群(健康群)と、重症化しやすい人、或いは重症化しやすい近親者を抱えている人の群(重症群)とでは、今回の事態の見え方も、心のあり方も、大きく違っているように思えるからだ。
ざっくばらんに言ってしまえば、健康群の人には、重症群の危機意識は過剰で社会の自由を縛るものに見えているし、重症群の人からは、健康群の人の無防備な行動や発言が非常に無神経に見えている。今後流行が長期化すれば、社会に分断が生まれていくのではないか、と危惧している。

そして、もちろん、そのような事態は最も避けなければいけないだろう。
健康群の人は、上に私が書いたような、重症群の人が抱えている強い恐怖を理解して配慮をもって行動するべきだし、重症群の人は自ら防御を強くして、多少は我慢やあきらめることもあるのは仕方がないとし、社会を縛り過ぎないよう振る舞うべきではないか、と考える。
互いに非難し合ったり、一方の側の声だけが大きくなるようなことは、最も避けるべきだ。どちらかの側が強く委縮し、結局社会は停滞して、全員の経済が苦しくなるだけではないだろうか。互いを理解して、協力し合う。そんなごく当たり前の、成熟した態度が求められていると思う。

もちろん、最も良いのは、特効薬が開発されることだ。伝統的に科学・医学分野に強いこの国で、その先陣を切れたら文句なしにカッコイイのだけど‥と願いつつ、もう一度、今日何十回目かに、体温を測ってみたりする。


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