西端真矢

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ピーターラビットと森の泉
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ピーターラビットと森の泉

大きな森の中に、ピーターラビットが住んでいました。
ピーターラビットは毎日おおばこの葉を食べたりぴょんぴょん飛び跳ねたりして暮らしていましたが、あるとき森の奥からやって来たえぞしかに、「泉に行けばもっと面白いことがあるよ」と聞いたので、旅支度をして行ってみることにしました。

夏の終わりのことでした。
三日三晩歩いて泉に着くと、驚いたことに、そこにはピーターラビットとそっくり同じ顔をした他のピーターラビットがたくさん集まって暮らしていました。
「僕の他にもこんなにピーターラビットがいたなんて!」
ピーターラビットはすっかり驚いてしまい、最初のうちは、他のピーターラビットたちを警戒しながら眺めていたのですが、やがて、みんなとてもやさしくて楽しくて話も面白いと分かったので、すっかりこの場所が気に入ってしまいました。
それに、泉には他にもピーターラビットを夢中にさせるものがありました。茶色の毛を風にそよそよさせながらピーターラビット泉の中に手を入れてみると、指の先が何か輝くものに触れたのです。
「えい!」
ピーターラビットは耳をぴんと立てて、そのきらきらしたものを泉から取り出してみました。そっと手を開いてみると、それはガラスで出来た小さな金閣寺でした。
「きれいだねえ」
いつの間にか周りには他のピーターラビットたちが集まっていて、手のひらの中を一緒に覗き込んでいました。
「裏返してごらん」
しっぽの長いピーターラビットが言いました。しっぽの長いピーターラビットはとても物知りなのです。ピーターラビットが言われた通りにしてみると、裏側はミロのビーナスになっていました。
「磨くと時々文字が出るんだよ」
しっぽをぶるんと振って、しっぽの長いピーターラビットは命令口調で言いました。
「やってみな」
ためしにピーターラビットがその金閣寺/ミロのビーナスガラスをそっとなでてみると、「memento mori」というラテン語の文字が、奥の方から浮かび上がってすっと消えてゆきました。ピーターラビットはすっかり驚いてしまい、文字が消えた後のガラスの表面をじっと眺めていると、
「もう一つ出て来るよ」
と、背の低いピーターラビットが背伸びをしてそっと耳打ちしてくれました。
そしてその言葉通り、しばらくすると今度はガラスの表面に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる者も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ」という日本語の文章が、また、奥の方から浮かび上がって消えたのです。
「きれいだ、きれいだ」
他のピーターラビットたちが言いました。
「僕のも見て」
「僕のも!」 「僕のも!」「僕のも!」
ピーターラビットがびっくりして振り返ると、他のピーターラビットたちもそれぞれの手の中に、金閣寺ミロガラスを持っているのでした。
「僕のは特別にガラスの層が薄いのさ」
右の耳が少し裂けているピーターラビットが得意げに言いました。ピーターラビットが覗かせてもらうと、確かに彼の金閣寺ミロガラスは今にも割れてしまいそうに薄くて繊細で、ピーターラビットはすっかり羨ましくなってしまいました。
「あたしもほしい!」
後ろの方に立っていたちょっと太めのめすのピーターラビットが言いました。めすのピーターラビットはまだ金閣寺ミロガラスを持っていないようでした。
「僕も!」
「わしもじゃ!」
まだ他にも金閣寺ミロガラスを持っていないピーターラビットがいるようなので、もう持っている者たちは泉の前の場所を空けてやることにしました。
こうしてみんなが金閣寺ミロガラスを手に入れた後は、ピーターラビットたちは毎日泉の周りでおおばこの葉を食べたり、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしながら暮らしました。空いた時間は金閣寺ミロガラスをせっせと磨いて過ごしました。

やがて1年が経ち2年が経ち3年が経ち、もう何年が過ぎたのか分からなくなりました。秋が来て冬が来て月が昇り雨が降り、冬にはおおばこの葉が少なくなるのでピーターラビットたちはずいぶんひもじい思いをしました。おおかみの群れに襲われたこともありました。雷がごろごろと鳴った夜は、ピーターラビットたちは大きなほら穴の中でぶるぶる震えながら眠らなければなりませんでした。
やがて耳の裂けたピーターラビットが風邪をこじらせて死に、何匹かのピーターラビットは泉の周りから失踪してしまいました。自殺をしたピーターラビットもいたし、妊娠したピーターラビットもいました。幾つかの金閣寺ミロガラスは途中で割れてしまい、磨いても磨いてもいつも様子が変わらない金閣寺ミロガラスもあれば、赤になったり青になったりガラスの層が厚くなったりひびが入ったりまた元に戻ったりと、どんどん姿を変えてゆく金閣寺ミロガラスもありました。

その中で、一部のピーターラビットたちは、「memento mori―風の前の塵に同じ」という、あの、ガラスの表面に時々浮かび上がる文字が、どうにも気に食わないと思うようになりました。
「memento moriってさあ、『汝、死を忘れるな』って意味だろう?いちいちうるさいんだよ」
耳の先にピアスをしているピーターラビットが言いました。
「そうよ、奢れる者も久しからずってそれがどうしたのよ?そんなことめそめそ考えてたって楽しくないわよね」
ミニスカートのピーターラビットも吐き捨てるように言いました。こうしたピーターラビットたちはいつしか泉の一角に固まって暮らすようになり、強い仲間意識で結ばれていきました。
そして不思議なことが起こったのです。彼らがあの文章を嫌いだ、嫌いだと思いながら磨いていると、やがていつしか金閣寺ミロガラスが美しい七つの色に光り始めたのです。
「見て、このきれいな色」
ミニスカートのピーターラビットがうっとりとした声で言いました。
「うん、本当にきれいだね‥それにさ、気づいた?色があんまりカラフルだから、あのしんきくさい文字ももうすっかり埋もれて見えなくなっちゃったよ」
「‥そうね。なきゃないで、少し淋しい気もするけどね」
彼らはあははと笑ってその夜から、三日三晩、喜びのダンスを踊り続けました。
そして、そんな彼らが磨いた七色の金閣寺ミロガラスは何と言っても色がとてもきれいだったので、たくさんのピーターラビットが同じやり方をしてみようと思うようになりました。
やがて時が流れ、いつしかこうしたピーターラビットたちは七色派と呼ばれるようになりました。そして彼らの体の毛の色まで、いつの間にか七色に変わっているのでした。森の遠くの別の場所から、かわうそやもんしろ蝶や渡り鳥やおおくまたちが、わざわざ七色派の金閣寺/ミロガラスを見にやって来ることもありました。

それとは反対に、一部のピーターラビットたちは、ガラスに時々浮かび上がるあの「memento mori-風の前の塵に同じ」という文章を、かえって強調してみたいと思うようになりました。彼らは、黒や白や銀色や明朝体や極細の書体を使って文字の美しさを来る日も来る日も追求しました。そんな彼らの磨く金閣寺ミロガラスは、日に日に澄んで透明さを増してゆき、文字の美しさとあいまって、いつしか彼らはモノクローム派と呼ばれるようになっていました。
やがて、彼らの毛の色も、いつしか黒か白のどちらかの色に抜け変わってしまい、七色派と同じように、遠くからでも一目でモノクローム派だと見分けられるのでした。
この他にも、冗談派、革命派、エロス派、未来派、装飾派、かわいい派‥などなどの様々な派が生まれ、彼らはみんな泉の周りにごちゃ混ぜになって、やはりおおばこの葉を食べたりぴょんぴょん飛び跳ねたりしながら暮らしているのでした。

では、いつかの夏の終わりに泉にやって来たピーターラビットはどうしていたのでしょうか?
ピーターラビットは、一度おおかみに襲われて死にそうになったのですが何とか生き延び、そのときの怪我で少し不自由になった右手で、毎日ぶつくさ言いながら金閣寺ミロガラスを磨いていました。
ピーターラビットは、七色派やモノクローム派やエロス派や未来派や‥などなどのやり方も試してみたのですが、どうしても途中で気が散ってしまい、長続きすることが出来ませんでした。七色派風にしようとするとモノクローム派のことが気になり、モノクローム派風にしようとすると冗談派のことが気になる‥、といった調子なのです。
仕方がないのでピーターラビットは、全ての磨き方をごちゃ混ぜにしてみようと思いつきました。そうすると、彼の金閣寺ミロガラスは灰色や焦げ茶がごちゃ混ぜになったまだらもようになり、「みすぼらしい」と陰口をたたく声が聞こえて来たりもしました。「memento moriはどうなった!全然見えねえぞ!」と野次る声もしました。
ピーターラビットは「みすぼらしくってもいいや」と思いましたし、memento moriのことは、金閣寺ミロガラスの輪郭を一瞬にかけ巡るよう位置をずらしていたのですが、みんなにはなかなか気づいてもらえないようでした。
それでも、やがて少しずつ、ピーターラビットが何をしているのか理解する者たちも現れました。彼らはやがてピーターラビットが全体の輪郭をほんの少しデフォルメして、曲線をよりなめらかにしていることにも注目するようになりました。いつしかピーターラビットには、なめらか派、メルヘン派、叙情派などという呼び名がつけられ、それはそれでピーターラビットにしてみれば、「メルヘンだけじゃないのに」と不満でもあるのでしたが、でも、だからと言ってどうしてかデフォルメをやめることも出来ないのでした。

やがてピーターラビットの周りにはいつしかぐるりと、えぞしかやほろほろちょうやおおつのしかやもんしろちょうや‥たくさんの森の動物たちが集まって来るようになりました。彼らはみんなピーターラビットが磨く金閣寺ミロガラスが次にどんな風に姿を変えてゆくのかと心待ちにしているのです。
「この方のガラスを見ていますとね」痩せたおばあさんのあらいぐまが、だいぶ毛が抜け落ちてしまった背中をとんとん叩きながら言いました。
「まだあたしが若い娘だった時分を思い出しますの。初めてあの人と川の飛び石を渡って、原っぱまで遊びに行った春のことをね。ひな菊の花が一面に咲いていて、それはそれはきれいで‥あの人ももうとうの昔に亡くなってしまいましたけれどね‥」
「おばあさん、泣くなよ」
かまきりが長い触角をゆらゆらさせながら言いました。
「あら、何をおっしゃるの?そう言うあなただって泣いていらっしゃるじゃありませんか」
ピーターラビットが金閣寺ミロガラスを磨くのを止めてちらっとかまきりの方を見上げると、確かに、その細い緑の触覚の上を涙の丸い粒がいくつもいくつも伝わって落ちてゆくのが見えるのでした。
「時々すごく心細くなるんだよ」小さな声でかまきりはつぶやきました。「こんな嫌われ者のおれだってさ」

そうしてそんな動物たちの声を背中に聞きながら、ピーターラビットはもう振り返らずに金閣寺ミロガラスをいつまでもいつまでも磨き続けました。磨いていると、森の奥の道をたくさんのひぐまたちが斧を掲げ、行進して行く遠い日の戦争の様子が見えて来るような気がしました。まだピーターラビットが生まれるより前の、ずっと昔の話です。いや、ピーターラビットが金閣寺ミロガラスを磨く今このときにも、本当は、森のどこかでは、いつも戦争が起こっているのです。
斧が木漏れ日にきらりと光り、たくさんのひぐまたちがどうという唸り声を上げて、森の外れに倒れてゆく姿が見えました。動物たちはみんな岩の後ろにかくれて、毛を逆立てながら、その様子をじっと見守っているしかありませんでした。ひぐまたちの流した血の匂いが幾日も幾日も森の中をただよい、からすたちが夜の空をぐるぐると旋回していました。
「そうか‥」ピーターラビットの知らない誰かの声が言いました。「きみは今、僕らのために泣いてくれるんだね」
気がつくと、ピーターラビットの丸い目のふちから涙の粒が幾つも幾つもあふれ、それでも構わずにピーターラビットが金閣寺ミロガラスを一心に磨き続けると、やがて涙は乾きピーターラビットの柔らかな短い毛は、そよそよと風にそよぎ続けるのでした。

‥そんな訳で、今日もピーターラビットは、おおばこの葉を食べたりぴょんぴょん飛び跳ねたりしながら暮らしています。正直言ってもう金閣寺ミロガラスを磨くのもやめたい気がするのですが、でもやっぱりやめられないような気もします。体の毛はいつの間にか、灰色と焦げ茶色のまだらもように変わってしまいました。あまりかっこよくないので何か他の色にしたいのですが、どうすること出来ません。また冬が来るかと思うとうんざりしますし、おおかみから逃げるのにもいいかげん疲れましたが、また冬も来るしおおかみもきっとやって来るでしょう。でも時には春も来るし、しろつめ草の花が咲く日もあるでしょう。今年の春は少しだけ長くなるといいなとピーターラビットは思いました。

(2008年6月作、2008年8月初出)


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