西端真矢

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『源氏物語』原文読書を終えて思うことつれづれ(全篇を貫く因果応報システム対照表付き) 2018/08/23



先日、『源氏物語』全五十四帖を、一言一句、原文で読み終えた。第一帖の「桐壺」を読み始めたのが2015年の秋の初め頃だから、ほぼ三年がかりということになる。やはり相当に感慨深い。

私を『源氏物語』へと導いてくださった方
そもそも『源氏』を読もうと思ったきっかけは、今は亡くなってしまった或る方からのうながしによるものだった。日本の古典文化全体に通じ、特に『源氏物語』ときものの研究で知られるその方が、たまたま私の書いたものを読んで、「この人に、私の持っている知識をすべて伝えて死んでいきたい」と仰ったという。大きな驚きだった。
「来月から、とにかく毎月先生のお宅へお伺いしてはどうか」
と、先生の言葉を伝えてくれた編集者の方は勧めてくれた。けれど、その頃、ちょうど私は本を書こうとしていた時期で、先生のところへ伺うからには、当然それなりに勉強をしていかなければならないし、伺った内容を自分なりにまとめ咀嚼するための復習の時間も必要だろうと考えると、私の脳のキャパシティでは、本の執筆と同時進行で行うのは不可能なことと思えた。そこで、
「まずは本を書いてからにしたい」
とお返事をした。版元との契約で一年で書き上げなければいけないと決まっていたから、その一年だけ待って頂く。先生は、ご高齢とは言え、「まだまだ心身ともに元気いっぱい。あと十年は生きられる」と仰っていると言うし、時間はたっぷりあると思えたのだ。
ただ、その一年の間に『源氏物語』だけは読み進めておこうと決めた。恥ずかしながら、それまで、飛び飛びでしか『源氏』を読んだことがなかった。それも、一部は『あさきゆめみし』の漫画だったり、現代語訳だったりする。こんな状態で先生の前に出る訳にはいかないから、毎朝、食事を取る間とその後の30分ほど、つまり毎日一時間弱を“源氏原文読書”にあてることに決めた。ところがそれからしばらくして、あっけなく、そして一度もお会いすることもないままに、先生が亡くなってしまったのだった。

こうして私の“源氏原文読書”は行く先を失った。
もう先生にお会いすることもないのだから、このまま止めてしまってもいい。それでも、やはり最後まで読み終えようと決めたのは、一つには、私を信じてくださった先生のお心に報いたいと思ったから。
もう一つは、きものや茶の湯など日本の伝統文化に関する取材依頼が増え、自分自身もそれこそを自分の分野としたいと思うようになっていたからだった。日本文化というあまりにも深く広大な分野に携わっていく以上、『源氏』や『平家』など古典を読み込むことは不可欠だろう。たとえばきものの文様にも、能や歌舞伎の演目にも、古典は繰り返し採り上げられている。もちろん現代語訳で読んでも良いが、文章を生業とする以上、普通の人に出来る以上のアプローチをしなければいけない。そんな風に考えて、そのまま――胸の中で先生の御霊に手を合わせながら――源氏原文読書を続行することにしたのだった。

石の上にも二年半――原文をすらすらと読めるようになるまで
それにしても、私の原文読解スピードは、かたつむりよりもまだ遅いくらいに遅々としたものだった。何しろ文章の仕事をしているくらいだから子どもの頃から本が何よりも好きで、けれど、好きな分、すらすらと読めないとイライラして古文は楽しいと思えなかった。まったく素養がないままいきなり『源氏』を読むのだから、最初のうちは一時間かけても数行しか進まないこともざらだった。昭和の半ばに出た「岩波古典文学大系」版を使ったのだけど、何しろほぼすべての語の意味が分からないから、いちいち本文の上に設けられた注釈を見る。それをまた原文に当てはめしばらくじーっと首をひねっていると、おぼろげに意味が分かって来たかも知れない‥というようななさけない状態だった。
しかも、この状態が二年半ほども続いたことが更になさけなかった。当初の期待では、何しろ毎日読むのだし、一年も経てばすらすらと読めるようになるのでは?と思っていたが、そうは甘くなかったのだ。どんなに進んだとしても、一日2ページがやっと。こんなに読んでいるのにほとんど進歩がないとは、と、ふと悲しく思うこともあったけれど…、不思議なことに、「宇治十帖」と呼ばれる最後の十帖に入って少しした頃から、突然、読めるようになっていた。ふと気がつくと8ページも進んでいて我ながらびっくりする。分からない単語が出て来ても、「こういう意味かな?」と思うとたいがいは当たっている。どうやら私の脳は二年半の時をかけて、古典の基本言語ソフトを構築したようだった。

『源氏物語』は強姦の物語
こうして自力で読み切った『源氏物語』に、では、どんな感想を持ったかを書いてみようと思う。
まず、総じて言えることは、よく、
「源氏に出て来る女たちの中で、私は朧月夜が好き~。色っぽいよねえ」
「実は花散里が賢いよね。控えめに控えめに出て、男にとって癒し度の高い港のような存在になって、特に美人じゃないけど結局は自分の方に引きつける(私もそんなタイプかも、うふ)」
などと、源氏好きの或る種の女性たちが熱中して語り合うような入れ込み方が、私にはまったく出来なかった、ということだった。
時代背景が違うのだから紫式部を責めても仕方がないのだけれど、ただひたすら男の愛に頼り、男の愛を待って暮らす、という『源氏物語』の中の女性たちの生き方に、私のような、完全に対等な男女関係を求める女は髪の毛一筋も共感出来ない。
そう言えば、上に書いたような「源氏の女性では、私は~」と熱中して語る女の子たちは、人生の最大価値基準に「もてるか/もてないか」を置き、「結婚できなければ女として終わり」と考える子が多かったことを思い出して、むべなるかな‥とため息をついたりもするのだった。
『源氏』の研究者の中には、これは「強姦の物語だ」と喝破した女性の学者がいたという。私もその意見にまったく同意する。『源氏』を読んでいくと分かることは、もちろんすべてではないが、強姦から始まる関係が非常多いということだ。
平安の公達たちは、どこそこの家に美人ちゃんがいるらしい、と噂を聞くと、あの手この手を使って塀や壁の隙間から覗いて確かめる(覗きのエピソードが実に多いのだ)。そして、よし、本当に美人だ、となると強引に押し入ってものにする。身分の低い男性から上位階級の女性へ、ということはないものの、身分の高い男性から下の階級の女性へ、あるいは対等な階級同士なら、強姦OK。このどこに共感出来ると言うのだろうか? 
おそらく「源氏の中の女性では~」ときゃぴきゃぴのたまう女の子たちも、この部分は()に入れた上で話しているのだろうと思いつつ、私は最後までまったく乗り切れずに読み終えた、というのが真っさらな正直なところだ。

私の好きな名シーンその一 第三十八帖「鈴虫」
それでも、いいなと思う場面はいくつかある。例えば、第三十八帖の『鈴虫』。
これは、源氏の晩年、五十歳の年を描いた帖で、その少し前、源氏は上皇から半ばむりやりその娘を正室に押しつけられる。女三宮と呼ばれる美貌の姫君で、けれど二十ほども年齢が開いていることもあって、夫婦仲はしっくりといかない。
そんな中、或る日、女三宮は以前から彼女に憧れていた柏木に強引に犯され(ここでもまた強姦から関係が始まる)、何度か関係を持つうちに不義の子を妊娠してしまう。偶然にその事実を知って、強い怒りと悲哀をおぼえる源氏。けれど皇女を離縁することも出来ずにいる。一方、女三宮も罪の意識から突然に髪を下ろし(=髪を短くする)、源氏の邸宅にはとどまるものの、出家するという道を選ぶ‥
「鈴虫」の帖では、そのようなほの暗い日々の中で、或る日、源氏が女三宮の部屋を訪ねる。髪を下ろしたとは言え、まだ女三宮は若く、輝くばかりに美しい。その姿を見ればむらむらともう一度抱きたいような気もして来るけれど、出家した女に手を触れることも出来ない。名残惜しい、残り火のような情だけがほのかにただようその時、庭では秋の鈴虫が鳴いている…という、人間の愛憎の念はそれを抱く本人にも一筋縄では整理がつけられない複雑のような執着なのだと思いいたらせる、何とも言えず風情のある帖で、文章にも艶があり、私は全五十四帖の中でこの帖を最も美しいと感じた。

私の好きな名シーンその二 第三十一帖「真木柱」
もう一つ、第三十一帖の「真木柱」にもほろりとさせられる挿話がある。
この帖には真木柱という幸薄い少女が登場する。お母さんが、今で言う精神疾患を患い、髭が濃いために髭黒の大将(この名前もすごい)と呼ばれているお父さんとの関係が破綻。家庭が機能不全家庭に陥っているのだ。
やがて髭黒は都中の噂となるほど美しい、玉蔓という若い女子に入れ上げ、ついにお母さんを離縁。真木柱も一緒に家を出て行くことが決まる。何ともひどい髭黒だが、それでも真木柱はやっぱりお父さんが好き、というところが、読んでいてほろりとさせられる。
そして、いよいよ家を出て行く日、生まれ育ち、馴れ親しんだその家の中でも特によくもたれて座って過ごした気に入りの柱(というものが平安の女子にはあった!)の前で、真木柱は別れの歌を詠み、その歌を書き記した紙を友に贈るように、柱の割れ目にそっと隠す‥この場面では彼女のいじらしさに思わず涙がにじんだ。
そして、恐らく作者の紫式部も書いていて真木柱があまり不憫に思えたのか、決してその後の彼女を不幸にはしていない。
最初の結婚では夫から好かれずまだしばらく薄幸が続くものの、その嫌な夫が病死して再婚した相手とは気持ちが合い、幸せな夫婦生活を送る。ああ良かったな、と、実は他の登場人物にはたいがい不幸な結末を用意していて底意地の悪さを感じさせる紫式部なのだが、この子にだけはほっこりした結末にしてくれたのか、とお礼を言いたくもなったりもする。そんな「真木柱」の帖なのだ。

『源氏物語』全篇で、一番おいしい思いをした女は誰か?
ところで、その真木柱はあまり美人ではないという設定で、そう言えば、もう一人あまり美人ではないのに幸せになった登場人物がいたころを思い出す。
落葉宮、という名前からして地味な姫君(上皇の娘)は、ルックスがパッとしない上にすぐ下に絶世の美女の妹がいて、いつも日陰の存在。現代にもあるある、と頷ける設定になっている。
けれどこの落葉嬢、朝廷中の全女子が憧れるイケメン男子と結婚する。それが先の「鈴虫」の帖に登場した柏木で、先にも書いたように本当は女三宮に憧れ続けている。そう、落葉の絶世の美女の妹とは、この女三宮なのだ。
柏木が落葉を正室に迎えたのは、源氏のもとに嫁いでしまった女三宮があきらめられず、「お姉さんなら女三宮に似ているかもしれない」という、いわば身代わりとしてだった。落葉からすれば、「そんなことで私を選ばないで」と言いたかっただろうが、さらにひどいことに柏木から「やっぱり君はぱっとしないよ。まるで落葉のようだね」と残酷な言葉を投げつけられる。その上彼はやはりあきらめ切れず虎視眈々と機会を狙って源氏の家にこっそり忍び込み、女三宮を無理やり手籠めにして不倫するのだから、落葉の結婚は何ともみじめに破綻したと言えるだろう。
ところが、柏木は色々あってぽっくり早死にしてしまい、その後、柏木と並ぶイケメンで、やはり全都女子(ぜんみやこじょし)の憧れだった夕霧(源氏の息子)が、何故か落葉に一目惚れするという意外な幸運が訪れる。
実は、この夕霧、「ちょっと不美人な子が好き」という変わった趣味の持ち主で、そう言えば現代でも「え?こんなかっこいい**君の彼女が、何故この冴えない女の子?」というカップルに出会うことを思い出す。うんうん、いるよね、こういう男子、と深くうなずける設定なのだ。
結局落葉は夕霧と結ばれ、気づいてみれば、美人でもないのに当代を二分する二人のスーパーイケメンとうふふした女子ということになる。もしかしたら、『源氏物語』中、一番おいしい目を見た女子と言ったら彼女かも知れない、という筋立てになっているこのあたりにも、生まれついての美人や金持ち女は不幸に落とすけれど、けなげな冴えない子にはほのぼのした幸せを、という“作者の特権”をなぎなたのように振りまわす紫式部の屈折した魔の手を、私などは感じたりもするのだ。

全五十四帖、七十年の物語を貫くもの――因果応報のシステム(図表付き)
ここまでは、『源氏物語』の個別の場面を採り上げて来た。
その中にも源氏の息子の名が登場したように、『源氏物語』は光源氏からはじまってその息子、孫まで三代、七十年以上に及ぶ長大な物語だが、その根底には全篇を読み通すことで初めて見えて来る大きなテーマが埋め込まれているのではないだろうか――ということを、半ばほどまで読み進めた頃から感じるようになった。ここからはそのことを検証してみようと思う。

その主題とは、当時の人々の人生観の根幹をなしていた仏教思想から来る「因果応報」の思想で、紫式部はその「因果」に人がからめ取られ、もがき続ける様相そのものを描きつくそうとしていたのではないかと思えるのだ。
そもそも「因果応報」とは、自分が為した行いの是非が、自分自身、或いは、子や孫など自分の後の世代の人生に多大な影響をもたらすという考え方だ。『源氏物語』の因果はこの法則にのっとり、主人公の光源氏が生まれる以前、その父母の世代から始まっている。

      *

光源氏は、天皇の第二王子としてこの世に生を享ける。
母親は下流貴族家の出身で、桐壷の更衣と呼ばれる女性だ。光源氏と言うと輝くばかりに美しく、女性にモテモテの羨ましい男、ということばかりが強調されるが、実は「出身はいま一つ」という設定なのだ。
平安の朝廷では、結婚は自由意志ではなされなかった。家格が釣り合っていることが何より重要で、その最たるものである天皇の正妻=中宮に選ばれるのは、上流貴族の中でも特に限られた数家の出の女性だけ。法律には一言も書かれていないけれど、そういう不動の法則が動いていた。
それら最名門の数家の一族は、やがて中宮から王子が生まれ、その子が次の天皇になることを期待する。天皇の祖父であるということを利用して絶大な権力を振るうという、独特の回りくどいシステムが平安期に働いていたことは、歴史の授業で学んだ通りだ。

桐壷の更衣は、だから、この権力システムに飛び込んで来た目障りなエラーということになる。下流の出のくせに、女の魅力で天皇を虜にしてしまった魔性の女。しかしあの女が男の子を生み、その子に天皇位が移ったら一体我々の家はどうなるのか?――
名門「右大臣家」出身の中宮、弘徽殿の女御にすれば、桐壷の更衣は夫の愛を奪った憎い女であると同時に、実家の没落を招くかも知れない恐怖の対象だった。
ここから、弘徽殿の女御はその政治力のすべてを使って桐壷に激しい集団いじめを仕掛けていく。やがてそのストレスから、病にかかり早逝してしまう桐壷。忘れ形見に輝くばかりに美しい息子、光源氏を残して。

これが、すべての因果の始まりだ。
本来、愛とは、人と人とが我知らず引き合う「自然な」ものであるはずだが、その「自然の愛」が「人工の愛」と衝突して、人工の愛の中に生きていた女を激しく傷つけた。そこに強い怒りの情念が生まれ、因果応報のシステムが動き出したのだ。
そして『源氏物語』では、この因果応報のシステムが七十年に渡って興亡を繰り返すことになる。その様を手書きの乱筆で恐縮だが下の表にまとめてみたので参照してほしい。
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一つの愛が激しい傷を生み、その傷が次の傷を生み、その傷口がまた次の傷口を招く。しかも空恐ろしいことには、当事者たちがこの因果応報の輪の中にいることを知らずに、無自覚に次の傷を生み出していくことがあることで、人はまるで大きな力に操られてもがき苦しむ影絵のように思えて来る。そして、この力から逃れる道はないのだろうか、ということにも思いがめぐる。

紫式部が本当に書きたかったこと
よくよく物語を眺めてみれば、この力が断ち切られても良さそうな場面はいくつかあった。
例えば、朱雀帝が源氏を大きな心で許した時(上掲図の青字部分参照)また、朱雀帝に許されて都に戻った源氏が、自分を地方(須磨・明石地方)へ追いやった弘徽殿の女御に復讐をすることをしなかった時。
けれどそのような寛大の心を持ったとしても、まるで体の奥深くに潜伏して発症の時をうかがう厄介な病原菌のように、因果応報のシステムは長い時を経て再び作動し始める。もしかしたら、人間は永遠にこの働きを断ち切ることは不可能なのかも知れない。或いは、死によって、死に準ずる出家を果たすことをもってしてようやくシステムはその輪を停止するのかも知れない――ということを、物語は最後に暗示して幕を閉じる。

それにしても、こうして七十年の時を超えて作動し続けるこの因果のシステムを概観する時、改めて、それが、一人の女の激しい情動から生まれたことに慄然とさせられる。
実は、システムとは外れた脇のストーリにはなるが、『源氏物語』には、もう一人、弘徽殿の女御と同様の強い憎悪の念をみなぎらせる女性が登場する。若き日の源氏の恋人の一人で、源氏への執着のあまり嫉妬の念が我知らず肉体を抜け出し、ライバルの女性にとり憑きついに殺してしまうという恐ろしい女性だ。
六条の御息所、というその人は、高い教養の持ち主で、多くの取り巻きに囲まれ自宅は文芸サロンとしてにぎわっている。けれど、最高度に上品で優雅なその振る舞いの腹の底にははかり知れないほどの情念を抱え込み、白昼の光の下では決して相手をとり憑き殺そうなどと夢にも思っていないのに、夜の闇の中で情念が知性を越えて動き出す。
だから、紫式部は、人を根底から揺り動かすものは情念であるということを言い続けているのではないだろうか。五十四帖もの長大な紙片を尽くし、理性をはみ出すほどの深い執着が因縁を発生させ、世界はその力に操られているという一つの様相を描き出すことが、彼女を執筆に駆り立てた動機なのではないだろうか。その情念は、足枷多く、従属的な立場に閉じ込められているからこそ、女の中に強く深く宿る。そして世界を裏側から動かしているというすがたをも告発しているように見える。

貴族社会の滅亡と紫式部
ところで、『源氏物語』の世界を、現実の歴史の中に置くということをしてみたい。
『源氏物語』を読んでいると、地方出身の田舎者や、その田舎に派遣されて租税の取り立てを行う受領階級やその家族、また、荒々しい武士階級の人々を、粗野で無粋な者として、貴族たちが蔑む場面が度々出て来る。
けれど、大きな視点で眺めてみれば、貴族の彼らのその優雅な生活は地方からの税や武士が守る荘園の作物によって成り立っているのであり、ここに激しい搾取が行われていることは明らかだが、『源氏物語』にはそのような社会的な視座はまったく存在していない。貴族たちは呆れるほどに歌やおしゃれや蹴鞠遊び、そして恋愛にうつつを抜かし、仏教に深く帰依しているとは言ってもそれはあくまで自分の成仏のためであり、たとえば奈良時代の光明皇后(そう言えばこの人は貴族藤原氏の出だった)のように、貧しい人や病に苦しむ人々に施しをしようなどと考える人物は一人として出て来ない。それどころか、例えば気に入った女子を愛人の一人に加えるとなると、最高級の部材を使ってとんてんかんてんと愛人用ハウスを建てて迎える、など、その享楽と散財ぶりはすさまじいばかりだ。これでは、いつまでも他の階級が黙っている訳がないし、革命が起こって当然だと思わされる。
事実、紫式部が生まれる30年ほど前に、既に地方武士勢力が中央に反抗する大反乱を起こしている。その動揺は何とか鎮圧出来たものの、平安貴族最高の栄華を極めた紫式部の同時代人、藤原道長の死の直後からやはり同様の武士の大乱が度々起こりそれを押さえるために貴族階級は別の武士の力に頼り、これが、源氏や平氏の台頭を招いていく。紫式部の存命中から既に貴族社会という壮麗な建築物の土台は腐り始めていたのだけれど、しかし、そのような滅びの予感は、『源氏』の中にはまったく描かれていない。
爛熟した小宇宙の中で生きる人々のありようを冷徹に見つめた彼女も、より大きな社会的な視座という点では盲目だったということか。或いは、この物語は、有名な「いずれの御時にか(どの天皇の御代かは分からないのですが)」という一文から始まるけれど、様々な研究から、紫式部の生きた同時代より少し前の時代、900年代前半頃の平安朝廷に時代を置いていると言われている。そのことを考え合わせれば、そうすることで、紫式部は貴族社会崩壊の予兆を描き込まずに済んだ、目を背け続けた、と言えるのかも知れない。

終わりに
以上、長い長いこの物語を読み終えて思うことをつらつらと書き綴ってみた。もちろんこれらは私一人の見方に過ぎない。『源氏物語』を読み込んで来た先達の友人知人の皆さんと、これからは機会あるごとにこの永遠不滅の古典について語り合うことが出来ればと願っているし、そして今は新しく、『平家物語』を読み始めている。毎朝、少しずつ。

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