西端真矢

ARCHIVE:
女子の生き方 / 文学・思想・美学論 / 中国、日中関係 / 着物日記 / 仕事論 / 日々のこと / 世の中のこと / 和のこと / / 吉祥寺暮らし / 本や映画や美術展感想 / お仕事ご報告 /

2019年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2018年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2017年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2016年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2015年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2014年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2013年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 3月 / 1月 / 2012年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2011年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2010年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 /

母の救急搬送とフェミニズム課題と、香港の政治運動と。 2019/06/19



フェミニズムの問題、ジェンダー課題について書いた前回のブログの反響が大変大きく、すぐに次のブログを‥と思っている間に、またたく間に2週間近くが過ぎてしまった。
実は、母が発作を起こして病院に救急搬送され、毎日がとてつもなくバタバタとしていた(現在も入院中)。その間、香港では大規模な政治デモが起こり、また、前回のブログの反響を受けても、老親の介護ということについても、考えさせられることが多い。今日はそんなあれこれを胸に浮かぶつれづれのままに、書いてみたいと思う。

"私のフェミニズム"の余波       
まず、時間軸順で、ジェンダー課題、「私のフェミニズム」の話題から。
前回のブログでは、私が「婦人画報」で上野千鶴子先生を取材した記事とからめて、私自身が直面して来たジェンダー問題について書いた。大変反響が大きく、たくさんの方がコメントを書き込んだり、シェアーをしてご自分自身の意見を書いてくれたり、また、ご自身の大変厳しいジェンダー意識にまつわる被害体験を、初めて公にされた方もいた。改めて、書くことの責任をひしひしと感じている。
世の中全体を見渡してみても、この2週間ほどの間に新しくパンプス強制反対運動、パタハラ左遷問題、続く少子化問題が大きく話題になり、ジェンダー課題についてのニュースを見ない日はないほどに、声を上げる人々が増え続けていることを感じている。

実は、この「声を上げる」ことについては、上野先生の取材でも話が上がっていた。先生はそれを「女たちががまんしなくなった」と表現されていて、日本のフェミニズム運動40年の一つの達成として総括していらっしゃるのだけれど、私自身にも、以前、こんな体験があったことを思い出した。
数年前のある時、私は、私と同世代の女性たち数人と、その中に一人だけ年配の男性が混じる‥という顔ぶれで話をしていた。どういう話の流れだったのか、話題が、女性の容姿や年齢、結婚の有無をからかうような発言をするべきではない、という話になった。するとその男性が、
「昔はしても良かったんだけどね、今は時代がダメってことになってるからね」
 というようなことを言ったのだった。その時、私は、それは違うだろうと怒りが湧いて、
「昔だって言うべきではなかったんです。昔は、女性たちががまんしてくれていたから、許してくれてたから、言えただけです。今は女性たちももうがまんしなくなりましたから」
 と言って、その男性は黙ってしまったのだった。
「時代の雰囲気がダメな方向になっているから」、だからセクハラはしてはいけない、という発言をするような男性は、事の本質を全く分かっていない。昔の女性は懐が深くて、今の女にはそれがない、という意見もそこには垣間見えるが、もちろん、昔の女性だって今の女性と同様に不愉快に思っていたし、傷ついてもいた。ただ、力がなかったから、がまんしていただけのことなのだ。
けれど、パッとしない景気やグローバル化による産業構造の変化の中で専業主婦が消滅しつつある今、夫婦二人で家計を支えること、或いは、女性が自分の職業を持つこと、つまりは女性が収入を持つことが当たり前になりつつあり、ついに、がまんをやめた、ということだ。昨年、アメリカで「me,too」運動が起こり、日本ではアメリカほどの爆発的盛り上がりは見せなかったものの、少し遅れて、じわじわと波が起こり、その波は止まらない、ということではないだろうか。将来振り返った時、今年から数年は、潮目の変わった時期と言われるような、そんな予感がする。

母の再入院と、自分の弱さを認めることと
そんなあれこれを考えている中、母が持病の発作を起こし、救急搬送されるという家族の大事件があった。
母は、肺癌、そしてやや進んだ認知症に加え、アミロイドアンギオパチーという脳の血管の持病も持っている。その発作が深夜に起きてしまったの。
実は、母がこの発作を起こすのは今回が2回目で、初めてではない。ただ、前回はお友だちとの旅行の帰り道の新幹線の中での出来事だったので、私たち家族は目の当たりにしなかった。だから初めての体験ということになる。
最初は、トイレに行こうとして、でもどうも上手く歩けないというところから始まった。ふだん通り深夜に原稿を書いていた私が付き添い、それでもうまく歩けない、と言うより立てないので父も起こして介添えしようとしているうちに、一歩も動けなくなった。そして意識を失っていった。救急を呼び、付き添いで、人生で初めて救急車に乗ることになった。救急車の中で、二度、大きな発作が起こった。
ただ、その時点では、まだアミロイドアンギオパチーが原因なのか、それともくも膜下出血など他の脳の病気が原因なのかは、分かっていなかった。分かったのは、病院に着いて、CTを撮ってからのことで、サイレンとともに進む救急車の中では、まるで深い霧をさまようように、何が正しい処置なのか、その道筋はまったく見えていなかった。そんな中で、文字通り母の命を預かり、最善の処置を尽くす救急救命士の方々には本当に頭が下がった。どれほど恐ろしく、どれほど勇気のいる仕事だろうか?そう、後になってしみじみ考えた。
当たり前の話だが、人は、たとえどんなにお金を持っていても、外見の美や、社会的な成功を手にしていても、命を助けてくれる人がいなければ死ぬしかないのだ。最も尊い仕事をしているのは、間違いなく救命に携わるこの人たちで、彼らがベストな精神状態、経済環境で暮らせるように、正当な報酬が払われていなければいけないだろう。一体どのくらいの収入を得ているのだろう、ということも気になって調べてみると、激安給料という訳ではないものの、そう高いという訳ではないようだ。これで良いのだろうか、と言うことも気になっている。

さて、母については、幸い発作はアミロイドアンギオパチーによるもので、命にすぐ別状がある訳ではない。現在は入院して体力の回復に努めているけれど、これから先、家に帰って来てからのことを考えると、実は憂鬱になってしまう。
今回の発作は、それに先立つ1週間前に、無理な外出をして疲労したことが誘因となって起こった。もちろん、私も、父も、そんな無理な外出はやめてほしいと何度も止めていた。家中で、猫がおびえるほどの言い合いになっても、それでも本人だけが、「自分はまだまだ大丈夫」という自己像を描き変えることが出来ない。一人の大人を力ずくで家に縛りつけることには、家族の側にもためらいがあるから、もう勝手にすれば、とさじを投げることになった。その結果が今回の発作というわけだ。弱い自分を認めることは、どうしてこんなに難しいのだろう?――そう、ため息が出る。
でも、我が家だけではないのだろう。日本中のあちこちで、この問題に頭を悩ませている家族がいるはずだし、その数はこれからますます増え続けるのだろう。せめて私たちの世代は――バブル崩壊を二十代で経験して来た世代は――と思う。強いこと、イケイケどんどんだけが素晴らしいのではない、自分の弱さを認めることが、なめらかな社会の基礎になるのだ、という意識を持たなければいけないと思う。そして、「自分もいずれ必ず弱くなる」ということが分かれば、人は、今、弱い状態にいる人にもやさしくなれると思うのだ。それは未来の自分の姿なのだから。
   
香港の政治運動について、思うこと
――と、そんなことを、日々の病院見舞いの行き帰りに考えている中、香港で、大きな政治運動が始まっていた。私のブログを読んでくださっている皆さんにはよく知って頂いている通り、私はかつて中国に留学し、中国語で言うところの「両岸三地」、中国、香港、台湾の三つの地域に、それぞれ、たくさんの大切な友人がいる。
もちろん、私は香港市民を支持している。大躍進、文化大革命、天安門事件。中国共産党の残虐さと愚かさは目を覆うばかりであり、悲しいことに、その残虐さと愚かさは少しも磨耗していないことを、日々の報道から、SNSでの情報収集から、実感している。

そして、しみじみと、初めて中国を訪れた年、北京に留学した1998年のことを思い出す。
当時の中国は経済が上向き、どことなく、政治的自由も拡大していくような楽観的な空気がただよっていて、北京の街の上には明るい風が吹いていた。
何より、インターネットが世界的に大きく広がり始めていた時期で、中国一国で統制することなど不可能なここから、必ず、言論の自由が広がっていくと確信していた。これから自由貿易の世界に中国が進出して行けば行くほど、民主主義の空気に触れ、この国も変わらざるを得ないだろう。そう確信していた。まさかこんな未来が待っているとは想像もつかなかった。
それでも、香港は抵抗し、今日までのところは一定の成果を収めた。けれど中国共産党がこんなことであきらめる訳はないだろう。2年後なのか、3年後なのか、彼らは必ずつけ込んで来る。もちろんその時香港市民は再び戦うだろうし、台湾も同様だろう。では、日本人に出来ることは何だろうか? と考える。
私は、伝え続けることだと思っている。
ビジネス上の取り引きで、プライベートで、接点のある大陸中国人に伝え続けること。ただ経済力だけをつけても、科学力だけを持っても、国として世界からまったく尊敬されていないことを伝え続ける。かつてアメリカやヨーロッパが世界の覇権を独占していた時代のように、憧れの対象とはなっていないのは何故なのか。それは、尊敬は、力ではなく文化からもたらされるからだ。文化は言論の自由がなければ開花しない。外に現れ出ることもない。
もちろん、一人一人の大陸中国人には、善良な人も、聡明な人も多い。私にも大切な友人が何人もいる。中国共産党のやり口に、彼らが責任がある訳でもない。彼らとの友情やビジネス関係を崩してしまいかねない時に性急に伝える必要はないし、互いの関係の中で、話せる機が熟した時に話せばいいと思う。それよりも、今出来ることは、インターネット上で、SNS上で伝え続けることだと思う。今では中国人も多く国外に出る。そこにたくさんのメッセージをまかれていることが重要だと思う。
清朝の終わりに弱国化して以来、200年、中国人は常に、名誉と面子に餓えている。名誉や面子が何によってもたらされるかを伝え続けなければいけない。そういう空気を作り、次の世代、その次の世代を通じて、たとえゆっくりとでも、彼ら自身の常識を変え、それが法制化される道を作っていかなければいけないと思う。

最後に、香港や台湾の民主社会に対して、大陸中国人――共産党に飼いならされてしまった大陸中国人、という意味だ――がよく言う反論や言い訳について、切り返し方をお伝えしたいと思う。
まず第一に、今回のような大規模デモに参加している市民のことを、彼らは「アメリカからバイト料をもらって参加しているのだろう」と言うことがよくある。実際、今回の香港でのデモについて、中国のSNS上にそのような言説が流れていた。
これは、中国共産党自身が、市民に一書き込みあたり「5毛(5円ほど)」の報酬で、共産党に都合の良い言説をネット上に書き込みさせていることから派生した、実にチープなデマ言説だ。大陸中国人にとっては、「香港でもそのようなことがあるのだろう」と受け入れられやすいのだ。中国で、このようなバイトをする人のことを「五毛党」と呼ぶが、その五毛人たちが、今回も、「アメリカからバイト料」というデマをせっせと書き込んでいると思われる。
しかし、このような主張に対しては、今回、youtube上で、香港人(或いは台湾人)が書いていたコメントが的確な反論になっていると思う。その人は、こう書いていた。
「(アメリカ政府が)香港人を、一日一人100ドルでデモに参加するようにと雇ったとして、10万人なら、一日で1000万ドルが消える。どこの外国勢力がそんな金を使うんだ?」
確かにその通りで、実際は200万人の参加者なのだから、日本円にしたら2百億、3百億という規模の予算を、たった一日のデモのために使うことなど出来る訳がない。一体どこに計上するというのだろう?しかもデモは何日も続いているのだ。
また、よく言われる言説として、「中国は広く、人口が多い。この広大な国を治めるには民主政治では不可能であり、中央集権的な独裁勢力が必要不可欠だ」というものがあるが、では、インドはどうなるのだろうか?
もちろん、インドの民主主義も完全に成熟し切れているとは言えないだろうが、それなりに機能し、その上で、国は年々発展し、映画に代表される文化が育って世界を魅了し始めている。

‥‥と、そのようなことを、つれづれと考えていた2週間だった。
自分の周りの小さな世界も、地球の別の場所に住む友人たちの広い世界も、物事はすっきりとは収まっていないが、それでも生きて、考え続けていくしかない。そしてこの国では特に、一人一人の小さな世界のあり方が、壊れ、変わりつつあり、それが国全体の大きな問題と深い根の底でつながっていることを、強く感じている。

にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村

私のフェミニズム、私のme,too――「婦人画報」7月号で上野千鶴子先生を取材して 2019/06/03



%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%85%88%E7%94%9F%E5%8F%96%E6%9D%90%E8%A8%98%E4%BA%8B%E7%B4%B9%E4%BB%8B1.jpg
発売中の「婦人画報」7月号で、上野千鶴子先生を取材した。
今年の4月、おめでたさ満開のはずの東大入学式の祝辞スピーチで、「がんばってもそれが公平に報われない世界があなたたちを待っています」とぶちかまし、大反響を巻き起こした、あの上野先生である。日本のフェミニズムを代表する論客であり、生半可な気持ちでは取材出来ない人であることは、どなたにも分かって頂けるだろう。実際、非常な緊張感と、必死の準備をもって取り組んだ仕事になった。
そして、これは自分でも意外なことだったけれど、先生の著作を読み込み、実際に先生と対話し、原稿に向かう中で、しみじみと、自分の中のフェミニズム的問題について思いをめぐらせることになった。時には一人部屋の中で涙ぐんでしまうことさえも。
だから、今日のブログでは、私自身の個人的なフェミニズム、私のme,tooを語りながら、当該の上野先生の取材記事をご紹介したいと思う。何故ならフェミニズムの問題は一人一人の女性にとって、個人的になる他ない問題群だからだ。その主張に賛同するにしろ、反発するにしろ、何故賛同するのか、何故反発するのか、その態度表明自体に自分のアイデンティティが直接浮かび上がる。どうしようもないほどに切実な問題なのだ――ということに、今さらながらに気づかされたからだ。
          *
先ほど、時に部屋で涙ぐんでしまうことがあった、と書いた。
もしもそのことを上野先生が知ったら、また、先生の著作を読んだことがある方なら、何故泣くのかと不思議に思うかも知れない。先生の論考は社会学者らしくこつこつとデータを積み上げ、厳密に論理を詰めたもので、冷静で構築的で、そして強靭だ。およそ情緒的なお涙頂戴表現からはかけ離れているのだけれど、でも、私は時々涙で先が読めなくなることがあった。
先生の著作は、どのページを開いても、どの行も、一つのメッセージを伝えようとしていた。それは、こんなことはおかしい、というメッセージだった。女だからこれはしてはいけない、女だからこれくらいにしておけ、女だから我慢しろ、おとなしくしろ、俺たちを凌駕するな、ただ俺たちの欲望の対象でいればいい。そういうすべての言説に対して、一行一行が「おかしい」と声を上げていた。読んでいる私に向かって文字が踊り上がって来るようだった。その強さに涙がこぼれた。恐らく孤独な戦いだっただろう。それでもこの人は一歩もひるむことなく、冷静に、強靭に戦い続けたのだ。その勇気に涙がこぼれた。

そして自分自身のことを振り返った時、もう一度、涙がこぼれた。私は先生とは真逆だった。勇気がなく、声を出そうとして胸の中にぐっと呑み込んだ言葉がいくつもいくつもあった。その時感じた悔しさや、屈辱の感情がよみがえってため息をついた。そのため息が涙に変わったのだ。
たとえば広告代理店に勤務していた時、私は仕事の後の飲み会の席で、取引先の或る年上の性から何度も腿を触られた。その男性には、「哲学科を出ている女なんて最悪常」とも言われた。けれど私は反論しなかった。
社会に出て初めて勤めたアパレルの大手では、上司が机にハードなヌード写真のカレンダーを置いていて、毎日それを見なければならなかった。鳥肌が立つほど嫌だった。けれど私は声を上げなかった。
またある時には、やはり代理店時代の飲み会の席で、次長という非常に高い地位にある上司から卑猥な言葉を言わされた。「ねえねえ、*って言ってみて」と言われて意味も分からず「*」と言い、「じゃあ、*って言ってみて」と言われて「*」と言い、「じゃあ、‥」と続き、最後に、「逆から言ってみて」「*、*、‥」と、言いかけた言葉が非常に卑猥な言葉だと途中で気づいた時、私は赤面し、当惑し、そして絶句した。
またある時、クリエーティブディレクター(CD)、コピーライター、アートディレクター、営業の全員男性、プロデューサーの私だけが女性というチームでCMの編集スタジオに入っていた時、一歳年上のCDから、「今から下ネタ話したいんだよね。女がいると出来ないから、ここから出て行ってくれないかな」と言われたこともあった。
実は、このCDとは、それ以前に別のチームで仕事をしたことがあった。私は彼を良い仕事仲間だと思っていたけれど、いつしか彼は私に友情以上の好意を持っていたようで、或る時、やはり飲み会の席でお酒の力を借りてその想いを表して来た。私は彼に友情以上のものは持てなかったらやんわりと拒絶し、彼はそのことを根に持ったようだった。翌日から、それまでのナイスな態度とは別人のようによそよそしくなったのはあからさま過ぎて笑いたくなったけれど、きっと復讐の機会をうかがっていたのだろう。「下ネタ話ししたいから出て行け」というパワハラとセクハラの入り混じった攻撃を仕掛けて来たのだ。
けれど、その瞬間、私は、「分かった」と言ってそこを離れた。場は凍りついていた。こんなことはしてはいけないことだということは、他の男性社員はもちろん分かっていただろう。けれど、会社は「クリエーティブ・ファースト」を方針としていたから、CDの序列が最も高い。誰も彼に逆らいたくはないのだろうな、穏便に事が済むといいなと願っているのだろうなということが分かったから、私は、「こんなことはおかしい」「こんなことは屈辱的だ」という言葉を呑み込んだ。そして別の場所で社外の友だちにメールを打ったり、見積を作ったりしてその下ネタ話が終わるのを待った。ちょうどこのメールを打ちたいと思ってたんだよね、見積作業もしたかったし。だから、ちょうどいいじゃない、と自分に言い聞かせて。

――そんな風に、呑み込んだ言葉がいくつも、いくつも、書き切れないくらいある。
私はレイプをされたわけではない。何時間も体を撫でまわされ続けたわけではない。女だからと昇進を阻まれたわけでもない。たかが言葉の上だけでのこと、たかがほんの少し体を触られただけのことじゃないか、そのくらい流せよ、と或る種の男性たちは言うだろうか? 呑み込んでうまくいなすことこそ賢い女よ、と男の意をくむ「賢い女性」たちは言うだろうか?
確かに私は呑み込んだ。そうすると、悪臭を放つ大便のような何かが、肌の内側にこびりついてはがれなくなった。ずいぶん長い時間が経った後でも、何かの時に、ふっとその悪臭に気が遠くなる。「小さなこと」なんかでは、決してないのだ。人の尊厳にかかわることなのだ。
          *
それなのに、と思う。何故、私は反論の言葉を呑み込んだのだろう? 何故上野先生のように戦えなかったのだろう?
理由はいくつも並べられる。上司に逆らえなかったから。チームの雰囲気を悪くしたくなかったから。確かに、唯一反論に出たのは冒頭に挙げた腿を触る取引先の男性に対してだけで、それは、取引先と言ってもこちらが発注を出すクライアントでありまだ立場が強かったからで(そもそもクライアントの腿を触ること自体が信じられない話だが)、それでも、その彼に対しても、「何故女性が哲学を学んではいけないのですか?お詫びして、訂正してください」とは言えなかった。

結局、私は、怖かったのだと思う。私は自分のイメージを守りたかった。もしもその場で「それはセクハラです」「不愉快です」と声を上げたら、そのとたん、私は、うるさい女、面倒な女、潔癖症のお堅い女、に分類されるだろう。それがとても怖かった。
そんなことが怖いのか、と驚かれるだろうか?でも、真実なのだから仕方がない。私はとても怖かった。自分で今こうして書いていてもなさけなくなってしまうけれど、怖くて怖くて仕方がなかった。「潔癖症のお堅い女」と思われたまま、その同じ人間関係の中で仕事を続けていけるとは思えなかった。だから、沈黙した。もの分かりのいい、「さばけた女」になろうとした。本当は、さばけたいなどと1ミリも思っていないのに。
私はそういう、なさけない、へたれだった。だから、先生の著作を読んで泣いてしまった。それは、ふがいない自分に対する怒りと、あわれみの涙だった。こんな悲しいことがあるだろうか。
          *
それでも、と思う。
それでも私はまったくの白旗をあげることだけはなしなかった。分かりました。じゃあ、今日から、私は私のキャリアを追いかけることをやめます!何故なら男性と競うことになるから。自分で収入を得る道を放棄します!そして男性に養ってもらい、その男性の背中の後ろを三歩下がって歩く、もの分かりのいい良妻賢母を目指します!いつもにこにこすべてを受け入れる聖母の役を演じます!と完全撤退することだけはしなかった。
私がこの社会に対して採った戦略は、あの人気ドラマのタイトルと同じ「逃げるは恥だが作戦」と言っていいのではないかと思う。上野先生のように凛々しく、正面突破では戦えなかった。びくびくと、一まずはしっぽを巻いて撤退し、「さばけた女」というカモフラージュの密林に逃げ込んで、そのせいで悪臭ただよう大便的な何かをびっしりとお腹にこびりつかせ腹痛に悩みながら、一歩ずつ、迂回戦線を匍匐前進で進んだ。そしてわずかずつでも自分の陣地を広げる。そういう、いかにもなさけない、弱者の戦略を生きて来たのだ。
そのことに初めて思いをめぐらせた時、何ともかっこわるいけれど、それでも頑張ったじゃないか、と、自分の肩を抱きかかえたくなって、もう一度涙が出た。
          *
今、思うのは、これから社会に出て行く女性たちが、もう私のような思いをしないで済む社会であってほしいということだ。そして今後社会の中で上位ポジションに着く女性が増えていく時に、女性たちが、これまで自分たちが受けて来た屈辱を若い男性たちに与えることがないように、と願う。
フィギュアスケートの高橋大輔選手に対して、連盟会長の橋本聖子氏がキスを強要した事例を見る時、強い怒りを感じる。男性が女性に、女性が男性に、好意や性的欲求を抱くこと自体が悪い訳では、もちろんない。相手の意志を無視してそれを押し通すことが問題なのだ――という、わざわざ書くのもばからしいほど当然のことを理解出来ない人間を「下品な人」と呼ぶが、「下品」は男性にも、女性にもいる。当然が普通に当然とみなされる社会になることを、心から願う。
          *
もちろん、社会は少しずつ変わっている。そもそも「婦人画報」が上野先生を取材すること自体が、時代の変化の表れであるだろう。
創刊110年を超える「婦人画報」は、これまで、最高度に洗練された物品や環境を享受するための最新情報を発信し続けて来た。しかし、7月号では「日本をつなぐ」と題し、「サステナブル社会」を第一特集に掲げている。
食、教育、消費の仕組み――人生を豊かに楽しみながらも、地球に対し、人類に対し、持続可能に生きるためにどのような選択があるのか。上野先生への取材は、その模索の一つとして行われた。何故ならば――これは原稿の中でも書いた言葉だが――社会の半分は女性だからだ。ワンオペ家事、ワンオペ育児、セクハラ、デートレイプ、医科大学での不当な合格者調整。もしも社会の半分が生きづらいと感じるなら、その社会はどこかにひずみを抱えているのではないか。そして実際、そのひずみは急速な少子化に大きく影響し“この国の持続”そのものに危険信号を灯している。
記事中で、先生は、日本のフェミニズム40年を総括し、この国で、一人一人の女性たちがこれまで、私が感じて来たように感じて来た生きづらさの何を変え、何がいまだ変えられていないのか、変わるために何が必要なのかを洞察し、語っている。それはこれまでの男の「下品」な行為をひたすら責め、攻撃するような、浅はかなものではない。変わることで、女はもちろん、男性たちも、より楽々と、のびやかに、持続可能に生きるための考察だ。

意気地なく沈黙に回り、それでも「逃げるは恥だが作戦」で細々と迂回路を進むしかなかった何百人、何千人の私に似た誰か、私のようなme,tooの女たちの痛みを仕方ないなあと一手に肩に引き受け、最前線で、正面から戦ってくれた上野先生のようなフェミニズムの先輩たちを、心から尊敬する。日本の女の生きづらさがそれでも何とかましなものに変わってきた原動力の多くは、間違いなく彼女たちにある。
そして、そんな上野先生を取材出来たことを光栄に思う。あまりに大きなテーマに七転八倒して数え切れないほど原稿を書き直し、「もうこの原稿が面白いのか面白くないのか、自分では分からない!」と発狂寸前まで悩みながら書きつづった。幸いにも先生から「骨太のレポートになった」と言って頂けた原稿をぜひご高覧頂けたら、これ以上嬉しいことはない。私はかつての自分と、たくさんの言葉を呑み込みしっぽを巻いて撤退を繰り返したへたれの自分と、ようやく握手出来たのだ。

にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村