MAYA from West End

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*日記は日本語のみで、翻訳はありませんが、時々全文中国語の日記も書きます。
*日記の写真はデジタルカメラと携帯のカメラで撮影したものであり、作品写真ほどのクオリティはないことをご理解下さい。「本気で写真撮る!」と思わないと良い写真が撮れない性質なのです。

*這本日記基本上用日文寫、沒有中文和英文翻譯。可是不定期以中文來寫日記。請隨性來訪。
*日記的相片都用數碼相機或手機相機來攝影的、所拍的相質稍有出入、請諒解。我一直覺得不是認真的心態絕對拍不出好的東西。
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新聞社会面の珍ニュースから読みとる、明治・大正の暮らし 2017/06/21



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何回かこのブログで書いたので覚えて頂いているかも知れませんが、3年前、本の執筆準備を始めた時、日々ひたすら図書館に通って明治末から大正時代にかけての新聞縮刷版に目を通してた時期がありました。今日の日記ではその中で見つけた面白ニュースをご紹介したいと思います。
(写真は、気になる事実を資料として保管するために、私がコピーして持ち帰ったもの)

そもそも日清日露の戦い後から関東大震災頃までのこの時代、全貌がつかみにくいと思う方が多いのではないでしょうか。「富国強兵に邁進した明治初期・中期」「暗黒の昭和戦前時代」のように、一言で言い表すことが難しい時期です。大正デモクラシーと言いながら思想弾圧も厳しく、軍が強いかと思えば軍縮で退潮気味。政党が乱立して何が何だか頭がこんがらかるし‥
そんなこの時代を理解するために、もちろん、解説本的なものを読むのも良いのですが、ふと、新聞の社会面、いわゆる三面記事を読んでみたらどうだろうと思いつきました。何しろそれは当時の生の情報を、ほぼ客観的に伝えているタイムカプセルなのです。読み続ければおのずと、当時の時代の空気が肌に染み込んで来るのでは、と思ったのでした。
     
今とは違う「松竹」の読み方。東京は臭かった?驚きの連続

さて、こうしてひたすら新聞を読み始めると、意外な事実に驚かされることばかりでした。
その第一は、有名会社の名称や所在地が今とは全く違うこと。
幾つか例を挙げると、例えば、映画や歌舞伎の「松竹」。これが明治時代には、何と「まつたけ」と呼んでいたようなのです。まさか、と思いましたが、新聞紙面にわざわざ「まつたけ」とルビが降ってあったので間違いありません。いつから「しょうちく」に変わったのかは不明ですが、たしかに「まつたけ」では、何か下町の八百屋さんのようです‥
         * 
それから、伊勢丹。伊勢丹と言えば今の私たちには新宿しか思い浮かびようがありませんが、当時は、「神田明神下、伊勢丹」が決まり文句で広告にも掲げています。つまりは、当時の人にとっては、伊勢丹と聞けば、ぱっとお茶の水のあの辺りの風景が思い浮かんでいたということ。新聞を読んでいると次々とこういった意外な事実に行き当たります。
 *
そんな中でも特に意外だったのが、東京の「匂い」のこと。大正時代の東京と言えば、カフェーが誕生してモボモガが闊歩し、着物ファッションでは、華やかな銘仙や耳かくしの髪型が流行して、和洋折衷。心惹かれる人も多い時代のはずです‥が、何と、その頃の夏の東京は臭かったようなのです。
大正9年6月のことですが、それほどの雨量でもないのに、下水が氾濫。浅草や下谷から小石川、それから赤坂の溜池の辺りに泥の筋が方々に流れてひどい臭気だと報じられています。欧米では、一人でもチフスが出たら国の恥とされているのに、日本では年間6百人も7百人も出ている、と問題提起する記事も。
その原因は、人口の急増でした。明治維新後、急に人が増えたことで、東京ではゴミ処理も下水の整備も追いついていない。川にゴミを捨てる人も多いから、夏の東京は臭い、と嘆くコラムもあります。モボモガの歩く銀座は臭かったのか、不良少女が活躍する川端康成の「浅草紅団」は好きな小説ですが、あれもドブ川の臭いを加えながら読まなければいけないのか‥と衝撃ですが、これこそ、客観報道だからこそ知ることの出来る事実。「清潔好きの日本人」というのも、意外とここ数10年に出来上がった神話なのかもしれない、と思い知らされます。そう言えば、この頃書かれた夏目漱石の『三四郎』でも、電車の窓から食べ終えた弁当箱をポイっと捨てる場面がありました。

ケンカっ早かった明治・大正の東京人

さて、三面記事を系統的に読んで行くと、繰り返し目につく事実、というものが出て来ます。その一つが、ケンカがとても多いなということ。東京、それも浅草・下谷辺りの下町では、ほぼ毎日のように人目を引くようなケンカが起こり、「下谷区**町で、鳶職誰の誰助と大工何の何蔵がつかみ合いとなり、**署に連行された」といった数行ほどの記事が、短信コーナーに、毎日ばっちり名前ごと報道されています。
より大規模なケンカとなると、「浅草で大乱闘」のような題が付いて10行、20行の記事に。例えば、明治末の事件。浅草で職人二人が飲んでいたところ、隣りの席にやはり二人連れの職人らしき客が来たので、仲間意識からイキに「お隣りからです」と一皿奢ったところ、相手が特に感謝もせず当然のように食べた。奢った方の職人からすると、これがカチンと来た。すぐさまケンカを売り、最終的に店中をめちゃくちゃにする乱闘になって警察に連行されて‥確かに、怒る気持ちは分かりますが‥

頻出する性病治療の広告と、芸者にまつわる事件

このように、何かと血の気の多いこの時代、もう一つ驚かされるのが、性病治療をうたう薬や病院広告の多さです。これは、社会面や一面にはあまり掲載されず、中ほどの面に、やや人目を忍んで出すのが通例のようなのですが、それにしても「梅毒」「淋病」「早漏」「陰茎」と文字は毒々しく、フォントも大きいものが結構多い。良家の子女も新聞を読んでいたと思うのですが、こういうところは、ぽっと頬を赤らめてスルーしていたのだろうか、などと想像が膨らみます。
          *
こうした性病は、当時「花柳病」と呼ばれていました。今よりも花柳界が何倍も盛んだった時代、三面には芸者がらみのニュースも散見されます。
たとえば、明治45年、吉原の「紫」という芸者に入れあげて会社の金を横領した男がいました。その金を手にまた吉原の妓楼へ行って、しかし横領が露見することを悲観したのか、紫に心中しようと持ちかけたところ、もちろん、返事はノー。
「あんたが勝手に横領したんでしょう。知ったことじゃないわ」
くらい言ったのでしょう。男は逆上してその場で腹を切り、妓楼は阿鼻叫喚の騒ぎに…。
一方では、大正始め、しがない車夫、つまり人力車引きの男が、
「俺だって吉原で遊びたいやい!」
と思い詰めたのか、お大尽のふりをすることに。よっぽど演技が上手かったのでしょうか、吉原の芸者も店の主人もころっと騙されて、大豪遊。しかし、いざ支払いの段になって無一文と分かり、あえなく逮捕されています。「何よ、騙された!一生懸命お座敷つとめて損したわー!」と怒っている芸者衆や幇間の顔が見えるようですが‥一生一度の夢を見て、この俥引きは、留置場に入っても幸せだったのだろうなと想像します。

羊羹泥棒に、頬かむりの空き巣、乙女二人の心中。庶民が起こした小さな事件


さて、この頃、軍や政府の大規模な贈賄事件が世間を騒がす一方、庶民が引き起こした小さな事件も枚挙にいとまがありません。
例えば大正5年の、甘党泥棒。東京京橋区の菓子屋が羊羹の注文を受け、お客の家まで届けに行くことになりました。指定の住所の住宅に着くと、ちょうど家の前に家人がいたので手渡して帰ることに。お代は後からのつけ払い、家も分かっているので安心だ、ということで、後日集金に行くと、何とその家は空き家。つまり、空き家だと知っていて詐欺を思いついたのです。しかし、この犯人、こんな手の込んだことをしてまで、よっぽど羊羹が食べたかったのでしょうか‥
          *
大正14年には玉川上水で女の子二人の入水自殺がありました。
この二人は、ちよと鈴といういとこ同士。ちよはかなりの不良少女だったらしく、1年程前に家出して、カフェーの女給になった‥というところが時代を感じさせます。
そのカフェーで大学生の恋人が出来、ところがこの男に捨てられたため、夜をはかなんで自殺。しかし鈴が自殺した原因には思い当たることがないと書かれています。もしかしたら、家出をするような強い性格のいとこに引きずられ、女学生らしい、一種のヒステリー状態に陥ってしまったのかも知れません。
この乙女たち、花柄の錦紗の着物に羽織を着て、緋のしごき(太い腰紐のこと)でお互いを縛り合って死んでいたというのですから、何とも美しくはあるのですが‥
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そんな乙女の事件があるかと思えば、中年女性も負けてはいません。
これもやはり世相を表しているなと思うのですが、大正9年、第一世界大戦の軍需景気であぶく銭を手にした船成金の妻が、旦那の金をごっそり盗んで失踪していたり、はたまた、その少し前の大正5年には、巣鴨近辺で連続空き巣事件が発生。これが、頬かむりをして、いかにも髪結いのふりをして、各家庭に忍び込んで空き巣をしているのだそうです。なかなか知恵者の女泥棒。後追いの報道もなく、結局逃げおおせたようです。そして、この頃にはまだ家で島田や丸髷、或いは束髪に結うために?、髪結さんが出入りする時代だったのだなということも分かるのでした。
          *
一方、渋谷近辺では、家のポストに届けられた郵便物が何者かによって開封され、赤い字でひわいな文句を書きなぐられる…という事件が多発しています。郵便配達の局員が疑われ、解雇までされたのですが、警察の粘り強い捜査により捕まったのは、中学生。この郵便配達夫がちゃんと職場復帰出来たのかが気になります。それにしても、今も昔も、こうしたゆがんだ事件を引き起こす男性は変わらず存在するのですね。
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この事件では警察の捜査が成果を挙げましたが、時には失敗もあります。
大正5年、品川の一軒家で、四、五人の男が集まり違法賭博をしているという情報が。現行犯逮捕すべく現場にそっと近づいた刑事たち。かっこよく「御用だ!」と踏み込んでみると、四、五人どころか十七、八人も集まった大賭博でした。一瞬、え!と驚いているうちに、全員に逃げられてしまった‥という間抜けな顛末なのでした。

天皇崩御にともなう過剰報道と、皇居に集まった人々

さて、明治から大正へ、天皇の崩御によって年号が移って行く時、昭和天皇崩御の時がそうだったように、明治天皇の容態も連日大きく報道されていました。
思い起こせば、昭和63年には、新聞やテレビで昭和天皇の病状が「今日は下血有り」「体温は**度」などと連日細かく報じられ、たとえ天皇でなくとも誰でも、自分が下血したことなど人に知られたくないはず。こんな報道はしなくても良いのに…と憤慨したものですが、まさか現代よりももっと天皇への畏敬の念が強かった明治時代に、しかも「御大便」「御尿量」など言葉だけは麗しく、同じように天皇の容態を詳細に報道していたとは‥!これはかなりの驚きでした。
しかし、報道の媒体は、今とは違います。もちろん新聞でも報じているのですが、恐らく当時は、全戸が新聞を取るような習慣はなかったのでしょう。天皇の「御大便」「御尿量」情報は、日々、交番に貼り出されていました。
買い物帰りに、仕事帰りに、或いは子どもに見に行かせるなどして、そこで「今日の天子様の御大便」状況をチェックする。わりあいにシュールな状況です。交番だけではなく、電柱や、何と柳の木にまでも貼り出し、束髪の女性が柳の木の前で掲示に見入っている写真が添えられています。今ならスマホでニュースをチェックするところですが、柳の木…あまりにも面白かったので、この件は本の本文の中に取り入れてみました。
そして、天皇の快癒を祈って、全国からたくさんの人々が、当時は「宮城」と呼ばれていた皇居前に集まります。あまりの人出、しかも夏の盛りで倒れる人も出るだろうという心配に、横浜の貿易会社社長が義侠心を発揮。無料でサイダーを配ることにしました。
ところが不逞の輩がいて、サイダーだけせしめて遥拝もせず帰って行くのです。
「今は厳しくチェックしています!」
と、この貿易会社の社員がハキハキ取材に答える記事も。死の淵をさまよう明治天皇のすぐ足もとで、せこ過ぎるサイダーただ飲み…明治終わりの日本は、昭和の“がちがち皇国日本”とは違い、意外とゆるかったなのだなということが見えて来ます。一般的な歴史書では「乃木将軍が殉死」などと、一つインパクトのある深刻な事件が起きるとそれが時代の空気すべてだったようにとらえられがちですが、人間の暮らしは決して何か一つの思想や空気一色に塗りつぶされてしまう訳ではない、ということが、このような小さな事件の報道から看取されると思います。

太り過ぎ奥様の惨事、帯を締め直している間に2千万円置き引き事件

…とこうして振り返っていると、まだまだ一日中書き続けられるくらい様々な発見があったのですが、あまり長くなるのも何なので、最後に二件の珍ニュースをご紹介して幕を下ろすとしましょう。
一つは、大正5年、横浜市長宅で起こった珍事。
どうもここの奥様は相当にお太りだったようなのです。或る日、外出に出ようと人力車に乗り、車夫が渾身の力を込めて梶棒を持ち上げると…巨体に引きずられ、車はアッと逆さの尻もち状態に。おそらく車夫も梶棒からぽーんと放り出され、そして、巨体の奥様は敷石に頭を打ちつけて流血の騒ぎに…しかしこんな不名誉過ぎるニュースを新聞で報道しなくてもと思うのですが。

もう一つは、同じ大正5年、ある鉱山師が、事業に使うためだったのでしょうか、8千円を銀行で下ろした時のこと。当時、「広辞林」一冊の値段が3円20銭、公務員の初任給が70円ですから、8千円というのは2千万円ほどの大金です。こんな一世一代の金を下ろして、この鉱山師は緊張してしまったのでしょうか、帯を締め直そうと思いたちます。ささっとその場で締め直して、ふと見ると、横に置いていたはずの8千円が、ない!おそらくお金は鞄か何かに入れていたのだと思われますが、白昼堂々と盗まれてしまったのでした。
それにしても気になるのは、この鉱山師が銀行の真ん中で帯を締め直していることです。確かに男性の帯周りは女性に比べれば簡素で、すぐ締め直すことが出来ます。ほどいても腰紐を締めているのだから総てがはだけるわけでもありませんが‥しかし当時は、人前でくるっと回ったりなどして帯を締め直すことも、そう珍しくはないことだったのでしょうか?こんなことも、酔狂に三面記事を丹念に読まない限り、見つけようもない事実。つくづく、思い込みを捨てて、歴史学で言う「一次資料」に当たることの大切さを感じます。そう、明治、大正の日本を、人々は悲喜こもごも、精一杯生きていたのでした。

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青山で、武士の精神とファッションを写し出した写真展を見る(着物コーディネイト付き) 2017/06/18



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一昨日に引き続き、昨日も着物で青山へ出かけました。目的は、スパイラルホールで今日まで開かれている、エバレット・ケネディ・ブラウンさんの写真展「ジャパニーズ・サムライ・ファッション」を見ること、そしてトークショーを聞くことでした。
エバレットさんは1980年代より日本で暮らすアメリカ出身の写真家で、本展では、「相馬野馬追」に参加する「武士」たちの肖像と装束を撮影しています。
相馬野馬追のことは、何となく知っている方も多いのではないでしょうか。一言で言えば、武士の野外訓練。起源は鎌倉時代と言われ、複数の組に分かれた武士たちが藩主の前で、神旗争奪を目指して競い合います。全国に多々ある武士イベント・武将イベントがいわばコスプレであるのとは一線を画し、殿様の席に座っているのは、現在で第34代となる本物の藩主。馬追いに参加するのも、今が江戸時代ならお城に詰めて殿に仕えていた、本物の家臣や、その城下の人たち。彼らが代々家に伝わる本物の甲冑や篭手、鎧直垂を身につけ、全身全霊でお役を全うするという訳です。
同時に発売された写真集の序文によると、ふだんはタクシー運転手など、ごく普通の市民生活を送るこの「武士」たちは、旧藩主の相馬家の当代のことを「若殿」と呼び、常に気にかけて暮らしているのだそうです。つまり、この人たちの中には、今もまだ江戸時代の武家の精神のあり方が、生きている。エバレットさんはそれを写し出そうと試みたのでした。
     *
…と偉そうに書きましたが、実は一昨日まで、私はこの写真展のことを全く知りませんでした。一昨日、このブログに書いたように、友人との食事会に行くため青山に向かい、けれど早く着き過ぎてしまったため、「スパイラルで何かやってないかな」とたまたま足を向けたことでこの展覧会に出会ったのです。
これまでにも何度か書いているので覚えていてくださる方もいらっしゃると思いますが、私は大の武士ファッション好きです。着物好きの中には、襲(かさね)の色目など、公家の装束がお好きな方が多いようなのですが、もうダンゼンの武家派。私のためにあるような写真展じゃないの、とワクワク見ていたら、会場にエバレットさんがいらっしゃり、明日、ISSAY MIYAKEのデザイナー・滝沢直己さんとのトークショーがありますよ、とご案内を頂きました。そこでこれも何かのご縁と、再び青山を訪ねたのでした。
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さて、上の写真で分かるように、相馬の「武士」たちの写真は、モノクロで撮られています。それも「湿版」と呼ばれる、幕末から明治時代にかけて行われていた撮影技法。詳しい説明は省きますが、とてつもなく大掛かりで面倒な技法です。エバレットさんは、わざわざその技法を選択して「武士」を撮っているという訳なのです。
ご存知の通り、「武士」は明治時代に消滅してしまいました。つまりはエバレットさんのこの作品群は、その消滅した武士たちを、消滅した時代と同時代の技法で撮影している、ということになります。
最初、私は、純粋に服飾史好きとしての興味、つまりは「甲冑の下でどのように着物や武具が身につけられているか」を見たいという思いで写真を見始めました。しかし、すぐに、これらの写真が現出しているもの、江戸から明治への変化どころか、ロケットが宇宙を探索し、人々がスマートフォンやバーチャルリアリティを普通に使いこなす劇的なテクノロジーの変化を経てもなお相馬の人々の精神の古層に「武士の魂」が宿っている、ということに大きな衝撃を覚えました。
もちろん、こうして言葉で書いているだけでは、なぜそこに武士の魂があると言えるのか、分かって頂けないと思います。実際に会場へ出向いて、写真に写っている武士たちのその面構えを見たとき、西端が言っていたのはこういうことだったのか、と感じて頂けることになるでしょう。
          *
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上の写真は、トークショー中のエバレットさん(左)と滝沢さん(右)。
エバレットさんは、武士に限らず、明治維新以降に日本人が失ってしまった――いや、忘れてしまった、と言った方が良いのでしょう――優れた精神性を探求すること、再現することを芸術活動の核心に置いています。現在も、縄文土器や日本の旧家の人々を撮影するシリーズを撮り続けているのだそうです。
今回、そんな彼の相馬のシリーズに触れられたことは、私にとって非常に大きな励ましになりました。と言うのも、皆さんもご存知の通り、私はとにかくきものが好きで好きで、何とかして後の世代にきものを残して行きたいと願っている人間ですが、けれど、もう無理なのかもしれないと思うことも、実は多々あるのです。
日本というこの文化の根底は、豊かで四季の変化多い「自然」であると私は思っています。しかし、今多くの人はアパートやマンションで育ちアパートやマンションに暮らし、ビルディングで働き、自然の変化に興味を持たない。或いは、花屋に行かなければ変化を意識しない。しかもその花屋には、明治以前の日本には存在しなかった、洋花しか売られていない。この国の土から生え出る自然から切り離されてしまった以上、もう何をどう叫んでも「本当の日本」は帰って来ないのではないか。きものも茶も和歌も、滅びるしかないのではないか、と絶望してしまうことも多いのです。
それでも、エバレットさんのこの相馬の写真群にあまりにも色濃く現れる「武士の魂」を見ると、まだ間に合うのかも知れない、と思えます。
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また、写真展には、上の写真のように、肖像写真とは対照的にカラーで撮影し、しかもコンピューター処理をほどこした野馬追の武士たちの武具や装束の写真も展示されていました。今我々が日常的にまとう洋服ファッションとは全く違った色の組み合わせ、そして数百年を伝え続けられた文様が生き生き着こなされている様が、ここには映し出されています。そう、ここにも、明治以来140年、戦後からは70年ほどの「短い」時間では決して消し去ることは出来ない、色濃い、美の感覚が、私たちの脳、或いはDNAの古層に眠っているのではないか、そんな希望を感じてしまうのです。
出会ったのが会期終了の三日前だったため、もう今日しか日程がないのが残念ですが、本日、お時間のある方はぜひ青山スパイラルホールに足をお運びいただければと思います。
    *
下の写真は、会場で、エバレットさんの今回の相馬シリーズの写真集「JAPANESE SAMURAI FASHION」を出した版元「赤々舎」の元社員?或いは「赤々舎」を手伝っていらっしゃる、棚橋さんと↓
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ちなみに帯周りと足元はこんな風です↓
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(村山大島紬の単衣に、米沢「近賢織物」の紙布帯。最強に軽くて楽で、しかもお洒落でしょ、と自慢の組み合わせです。足元は、浅草「辻屋」の塗り下駄)

棚橋さんとも、今回知り合ったばかり。共通の友人(香港人の写真家)がいると判明して、大いに盛り上がったのでした。そう、この写真展に行き当たったのも偶然なら、関係者に共通の友人が、しかも外国人の友人がいることも偶然。今は大きな仕事を終えた後にぼーんと心のドアを開いてふらふらとさまよっている時期なので、偶然が飛び込んで来てくれるのかも知れません。

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蛍ぼかしの着物で、出版祝いランチ会と蒔絵展へ 2017/06/16



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先週のこの日記で私の初めての単著「歴史を商う」の出版のお知らせをしたところ、たくさんの方から「いいね!」を頂きました。お蔭様で売れ行きも思いがけぬほど上々で、誰よりも私が一番驚いています。皆様の応援に、深く、深く感謝。本当にありがとうございます。
          *
実は、出版後、ほっとして、若干自律神経失調気味になってしまいました。毎日めまいがしたり、座っているのもつらい時間が多く、ぐったりと過ごして‥。しかし、数日前から、また元気が出て来ています。と言うのも、どうやら「次にこういうものが書きたいな」と、頭の中にぼんやり筋が浮かび始めたから。こんな所に取材に行こう、主人公はこういう女性で、などと妄想、いやプロットを繰り広げていると、みみるうちに頭がしゃっきりして来たようなのです。やはりどうもただぼんやりとは過ごせない性分のようです。

本当は、こうして皆様に応援を頂いているお礼に、今日のブログは、今回の「歴史の商う」を書くために様々な資料を読み込んだ中から見つけた、明治・大正期の面白事件をご紹介する回にしようと思っていたのですが、まずはお礼をお伝えすることと、再び元気に、大好きな着物も着て過ごしています!ということをお知らせする回とすることにしました。明治大正珍事件などなど(他にも面白いネタがあります)については、また後日のお楽しみにお待ち頂ければと思います。
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そして、元気復活してきもので出かけた、その今日のきものはこちら↓
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…と、まずは足元から。蛍ぼかしの桜色地の単衣に、同じ淡い桜色の台の「神田胡蝶」の草履で、青山の「リストランテ・ヒロ」に向かいました。実は、今日は、大学時代の学科の女友だち三人が、出版祝いのランチ会を開いてくれたのです。デザートの時に登場したのが、下の写真の素敵なプレート。涙がじわっとにじんでしまいました↓
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私の人生で、これまで何度か選択の場面がありましたが、エスカレーター式に上がることが出来たはずの某私大に進まないと決めて受験を選び、そして上智大学のこの年の哲学科に進学したことは、五本の指に入る良い選択だったと思っています。
当時、バブル経済に浮かれた軽佻浮薄の日本で、「関係とは関係の関係が関係するところの関係の関係である」(‥だったかな)などと書かれた哲学書に頭を抱えながらもとにかく立ち向かっていた、その、「本当に」考えるということ、論理を追究しようとすることの心構えが、今に生きているように思えるのです。一人一人の仲間が、今、社会の中で、実にそれぞれのキャラクターに合った姿で活躍をしている様子にとても励まされています。そしてみんながとても優しい。今日もたくさんの元気と、そして心のぬくもりをもらいました。三人のお友だちに、心から感謝♡

お店の選択がまた素敵で、私は初めて出かけたのですが、「リストランテ・ヒロ」は、老舗でありながら常に新しい試みを続ける人気店なのですね。花ズッキーニ(下・上の写真)の花の中にリコッタチーズを詰めて揚げたフリット(下・下の写真)が絶品でした↓
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楽しい会の後は、徒歩1分程の「ふくい南青山291」ビルで開かれている、蒔絵展へ。蒔絵の名匠・松田眞扶さん、松田祥幹さん父子の作品と、祥幹さんが主宰する「祥幹スタジオ」の皆さんの作品展が開かれています。下の作品は、私のお茶仲間で、この「祥幹スタジオ」に通っている友人の作品↓
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蒔絵キャリアは6年ほどとのこと。美術大学出身でもない彼女がゼロから始めて、こんな精緻な作品が作れるようになるのかと驚きます。
会場には、こんな斬新な作品も↓
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↑金継ぎクラスもあるようで、作品が展示されていました。こちらも楽しそうですね。
「眞扶・祥幹・祥幹スタジオ作品展」は、青山の「ふくい南青山291」で、18日までの開催です。ここには写真を掲載出来なかった、両先生の素晴らしい作品も展示されています。ぜひ足をお運びください。
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↑今日の着物の寄りの写真は、こちら。「蛍ぼかし」文様のきものに、「片輪車」文様の絽綴れに絽刺の帯で。帯揚げは絽縮緬です。
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↑そして、こちらは、お友だちから頂いたお祝いのお花。「和にも洋にも合うアレンジ」という主旨で作ってくれたそうです。カラーは大好きな花。大切に眺めながら、また次の作品のことを考えて行こうと思います。


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単著『歴史を商う』が出版されました。 2017/06/07



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やっとこのお知らせを出来る日がやって来ました。
初めての単著『歴史を商う』が、先週、発売になりました(本文391頁、雄山閣刊)。
下記は、アマゾンに掲出している内容紹介、つまりは「あらすじ」です。
          *
明治43(1910)年、甲州の片田舎で親に見捨てられ、親族を転々として育った青年が大志を抱き、東京へ出る。
やがて青年は大正5(1916)年、歴史書を中心に書道、刀剣など文化学術書籍を専門に扱う出版社「雄山閣」を創業。その灯は代々、家族、そして日本文化を愛する編集者、著者によって受け継がれてゆく――
関東大震災、昭和モダニズム、太平洋戦争、高度成長、バブル崩壊…激動する社会の荒波に翻弄され、幾度も倒産の危機に直面しながらもいぶし銀のような本を世に問い、文化の灯を守り続けて来た小出版社、百年の物語。
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振り返れば、「我が社と我が家百年の歴史を、読み物としてまとめてほしい」と、版元「雄山閣」の長坂慶子会長から依頼を頂いたのが、四年前。純粋なノンフィクションでも、ノンフィクション小説のかたちでも良い、好きなように書いてくれと言われ、まずはどちらのスタイルを取るかに悩みながら、資料読みが始まりました(最終的に、ノンフィクション小説の形式を選択します)。
主要登場人物の一人が少年期を過ごした山梨の村を季節ごとに訪ね、古本屋で資料を探し、時代の空気感をつかむために地元の武蔵野市立図書館で明治末から大正期の新聞縮刷版をひたすら読み込み‥。出版業界史関連資料を多く収蔵する千代田区立図書館、そして国会図書館には何度足を運んだか分かりません。
何しろ、あらすじにもあったように、学術出版、それも日本史分野を中心に発行する出版社の物語。それなのに誤った史実を書く訳にもいかず、事実の確認に非常に神経を使ったのです。
例えば、登場人物の一人が書き残している手記に*年*月に新宿の****という店に行ったと書いてあるけれど、本当にその時、新宿にその店はあったのか?意外と人は記憶違いをしているものです。
また、主人公がよく出入りする東大の「史料編纂所」。この研究所は昭和の初めまで「史料編纂掛」という名称でした。そうすると、「金雄は史料編纂所へ入って行った」というごく何気ない一行も、大正年間の描写であるなら間違いということになってしまう訳です。一体何年から「編纂所」になったのか?こういった細かいことが無数に出て来るのでした。そして、資料読みと併行して、坂詰秀一立正大学元学長をはじめ、関係者の方々に長時間のインタビューを行うこともしていました。

こうした下準備に、一年半。執筆は一昨年の十二月終わりから始め、第一稿の脱稿までに四カ月を要しました。この期間は一切他の仕事を入れず、人ともほとんど会わず、茶の稽古すらも休み、四カ月間毎日ひたすら規則正しく、朝は11時半頃に起きて、日中は資料読み(書き始めても後から後から気になることは出て来るもので、書きながら読み続けます)。夕食後から書き始めて、12時頃にいったん休憩して、入浴。その後、午前4時頃まで書き続ける‥という生活を続けました。文章の一定の調子を保つために、規則正しい生活をすることは何より重要だ…ということをよく耳にしますが、やはり、自然とそうなって行くのでした。

本当は、第一稿脱稿からすぐ校正に入り、昨年の今頃には出版の運び…のはずだったのですが、諸事情で修正、修正が相次ぎ、その頃には雑誌の仕事もしなければもう生活が成り立って行きませんから、本と雑誌を両方回すことになり…。一年間、一日も休みのないような厳しい毎日を送る羽目になってしまいました(何かしらの食事会などに遊びに出た日でも、夜から朝までは必ず原稿に向かっていました)。
それでも、とにかく書き上げ、校正を終え、ようやくこの世に送り出すことが出来たのです。この本は「依頼」というかたちで始まり、自分の中から出て来た内発的なテーマではないとは言え、百年、いや、創業者の生まれたときから筆を始めているので百三十年ほどの歴史を、群像劇として、多彩な人物を書き分け、資料を読み込んでその真贋価値を判断し、400頁近くにわたり、一本の思想が通った読み物にまとめ上げる体験は、やはり何事にも代えがたく面白く、また、自分の中に眠っていた力に、今、少しの自信を持てるようにもなりました。
ぜひ、書店で見かける機会があったら、お手に取って頂けたら幸いです。

そして、資料読み期間から執筆、校正までの3年間を、いつも温かく応援して下さった友人の皆様、本当にありがとうございました。特に第一稿擱筆以降は、まるで「出る出る詐欺」のように、「もうこれで修正もないだろうから、あと2か月後の発売かな」などと言っているそばからまた修正が入り…ということの連続で本当にお待たせし、時に心がささくれ立っていたときにも温かい言葉をかけて頂いたことが、大きな慰めになりました。深く、深く感謝をしています。ありがとうございました。
なお、著者割引があるため、もしもご購入を頂ける場合には、直接メッセージを頂けたらと存じます。

今、大量の資料を、まだ片づけぬまま机の周りに残しています。何だか再びまた資料を開き、ノートを取らなければいけないような、そんな気がしてしまうのですが…そろそろ本当に別れを告げる時が来たようです。


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初夏の庭の花 2017/06/04



今週末は雑誌の大きな原稿書きがあり、出かけたかった会合も、習い事のお茶と書もパスして家に籠っています。
…とは言え、大分めどがついて来たことと、少しは休憩も必要なので、庭の草花を愛でて。少し前の4月半ば頃が、赤や黄色など色鮮やかな花が多く、一年で最も“花々しい”季節だったのですが、初夏の今もすっきりとした花たちを楽しめます。

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↑こちらは朝遅い時間から午後3時頃まで、睡蓮鉢に咲く寝坊の睡蓮の花。浄土の花と言われるのもうなずける、うっとりするような美しさです。
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↑これからが楽しみなのが、あじさいです。白い蕾がたくさん。近所ではもう咲き始めているお家も見かけるのですが、我が家は来週後半くらいからでしょうか。
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↑野薔薇。この春は大量のアブラムシが発生し、輪郭が丸みを帯びて変わるほどにびっしりと取りつき葉もべたべたになって大変だったのですが、ナチュラル系農薬を吹きつけたところ絶滅しました。しかしその途中、一部を手で取っていたときに風が吹き、風向きのせいで私の目の中に粉のように入り込み‥あの瞬間を「アブラムシの逆襲」と名づけています。
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↑こちらは1週間ほどの前に撮ったもの。アヤメの最後の一本です。その周りのドクダミは現在も満開中。名前が悪過ぎますが、可憐な花。美肌も効果もあるくらいなのだから、もっと良い名に改名してあげたい。
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↑和室の縁側の沓脱石の前に、数年前から蛍袋が咲くようになりました。誰も植えていないのに、庭に出入りする野良猫の毛についてでもして、種が運ばれて来たのでしょうか。嬉しいことです。
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↑最後の一枚は、くちなし。この花は、カタカナではなくひらがなで書きたい。
我が家の中でも日当たり悪く、裏庭部分に当たる場所に何か植えたいなと思っていたところ、近所の花屋さんの店先に売れ残り特売品としてうら悲しく並べられていたのがこの子でした。それから4年ほど。翌年には花をつけたのですが、一昨年、去年と沈黙し、今年もどうやら咲かないようです。‥が、新しい葉が続々と出ていることが、写真からお分かり頂けるでしょうか。
実は一昨年夏の終わり頃だったか、蛾の幼虫に、一晩にしてほぼ丸坊主になるほど葉を喰われるという悲惨な目に遭ったのですが、何とかここまで回復しました。一本だけ、ひと際背の高い枝のてっぺんに付いている葉。当時この子だけが無傷で生き残っていたので、事あるごとに「大変だったね」「新しい葉が出るまで頑張って」と話しかけていたのが効いた気がします。今では仲間もいっぱい。来年は花をつけてくれますように‥

…と、こうして花の写真だけ並べてみるととっても素敵な庭のように見えるかも知れませんが、庭全体の管理は日本一美的センスのない我が父が、がむしゃらにただ切ったり植えたりしているのでめちゃくちゃです。一つ一つの子たちはこんなに美しいのだから、と日々心をなだめながら眺めているのでした。


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「クロワッサン」誌『着物の時間』にて、料理研究家の山脇りこさんを取材しました。 2017/05/31



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「クロワッサン」の長寿連載「着物の時間」にて、料理研究家の山脇りこさんを取材しました。
山脇さんは、代官山で料理教室「リコズキッチン」を主宰。常に空席待ちの大人気教室として知られています。雑誌など、メディアでもレシピを発表。13年に出版したレシピ本「昆布レシピ95」は、世界中の料理本が競い合う「グルマン世界料理本大賞」で、魚料理部門グランプリを受賞しました。
ふだんは白いシャツなど、きりっとしたスタイルでメディアに登場する山脇さんですが、実は大の着物好き。ご実家は長崎で大きな旅館を営み、出入りの呉服屋さんが反物を抱えてしじゅうお伺いにやって来る。お母様を含む四姉妹はそれを広げて、あれこれと笑いさざめきながら見立て合って…というまるで「細雪」のような着物バックグラウンドをお持ちなのです。
そんな山脇さんは、お母様や叔母様たちのはんなり着物好みからは突然変異のように、渋くシンプルな着物がお好き。誌面では、そのスタイルの根幹にある着物観をお聞きしています。何ともハンサムな結び柄の名古屋帯は、栗山工房さん作!
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今号の「クロワッサンは」、肉!肉!肉!の肉料理特集。真似したくなるレシピ満載です。肉好き、着物好きの皆様、書店で、電子書籍で、ゼヒお買い求めください。

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大島の単衣で母校へ。茶道「宗徧流」家元のご講演を拝聴に。 2017/05/29



本の仕事がようやく終了して(発売間近!)、ここのところややのんびり過ごしています。
色々と着物で出かけてもいるのですが、会場が撮影禁止の場所だったり、話に夢中になって撮ること自体を忘れることも多く…。
そんな中、昨日、日曜日は、母校上智大学の「オールソフィアンズ・フェスティバル」という同窓会イベントに着物で出かけました。これは、年1回開かれる「卒業生の学園祭」といったイベントで、OB・在校生による様々な出し物があります。
私の目当ては、茶道「宗徧流」第十一代お家元の講演会。全く知らなかったのですが、現在のお家元(年齢は五十代)は上智の卒業生で、それも国文科や史学科ではなく、何故か「ポルトガル学科」のご出身。何だか変な人そう(褒め言葉です)、面白そうだな、とお話を聞いてみたいと思ったのでした。

さて、懐かしの学び舎に着くと、メインストリート――と言っても早慶や明治大などに比べて敷地がとんでもなく狭く、あっと言う間に終わってしまう弱小ストリートなのですが――には模擬店などが並び、大にぎわいでした。実は「オールソフィアンズ・デイ」に参加するのは卒業以来初めてのことです。
フラメンコサークル(在校生)のダンスや…↓
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↑上智で非常に盛んな福祉や国際協力サークルの模擬店も多数。こちらは、「Table for two Sophia」、飢餓に苦しむ発展途上国と飽食に喘ぐ先進国との食糧アンバランス是正に取り組むサークル(在校生主体)の模擬店です。一品買うごとに発展途上国の一食分を賄うことが出来るということで、私もマフィンを購入しました(マフィンの写真はブログの後半に)。
中には、日中友好サークルの模擬店も↓
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私は「盲目的な日中友好推し」には反対ですが、かつては北京に留学もした中国文化好き。今でも中国に関心を持っています。長い時間をかけて、両国が大人の関係を築き上げられること、機会があるならそこに貢献出来たらという願いも変わりません。現在の日中関係は非常に悪い状態にあると思いますが、母校で学ぶ中国人学生の皆さんには、良い留学生活を過ごしてもらいたい。逆風の中でも頑張ってね、と心の中でエールを贈りました。
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そして、宗徧流第十一代家元幽々斎宗匠の講演会へ。
本当はお話をされているお姿の写真を載せたいところなのですが、撮影禁止とのことで、レジメ的な役割を果たしていたチラシの写真のみをご覧ください。ちなみに左のノートは、私がお茶関係のことを一切合切メモしているノートです↓
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講演会は全体で2時間ほど。今回、OBサークル「ソフィア美学芸術学研究会」と在校生サークル「上智大学茶道部」の共同主催とのことで、まず最初に現在4年生の茶道部員二名のスピーチがありました。二人とも、しっかりと茶の稽古に励みながらも、海外留学で国際感覚を身につけておられ、頼もしい限り。卒業後のご活躍が楽しみになりました。
そしてお家元のご講演は、「変な人かも??」という予想通り、しじゅう笑いの絶えない楽しいものでした。「宗徧流は、イノベーション一筋、350年」と仰り、伝統文化を国粋的にとらえるのではなく、常に日本を世界のダイナミズムにおいて俯瞰し、現在と切り結んで行く姿勢が大切だということをまずお話になりました。
例えばお家元のおじいさま、つまりは先々代の第九代は明治時代の方ですが、何とオスマントルコ帝国の王様の所で25年も暮らし、何をしていたかと言えば、皇帝の日本文物収集の責任者を務めていたのだそう。意外なお話にただただ驚きでした。
ひるがえって考えてみれば、侘茶が大成した桃山期には西洋の文物やキリスト教宣教師が多数日本に流れ込み、堺で我が上智大の祖でもあるフランシスコ・ザビエルのサポートをしていた日比屋了慶という豪商の屋敷は、利休邸から200メートル、今井宗休の家からは50メートルほどのご近所だったそうです。
ザビエルの後輩に当たるルイス・フロイスが書いた日本観察記には侘茶完成期の日本人の思考法や生活様式を読み解くヒントが詰まっていることもお話からひしひしと伝わり、もともと歴史がむしょうに好きな私、「読まなければ‥」と人生の楽しみがまた一つ増えたのでした。
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そして、お家元自身がそんなイノベイティブな家風の中でご自分自身の茶の湯スタイルを作り上げるために、特に大学生時代頃から、どのような迷いや試行錯誤をたどりながら今に至ったかを、写真とともに振り返ってくださいました。
率直で虚飾のない、そしてユーモアを交えたお話の数々。特に、アジアの少数民族の村々を回って、囲炉裏や屋根の茅葺が今も生活の実践として行われている現場を進んで体験し、その経験をご自身の茶の湯に還元しようとされている姿勢には心打たれました。つくづく、茶の湯には様々なアプローチがあることを思い知らされます。
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講演の後、思いがけず「お楽しみ抽選会」というものがあり、入場の時に頂いた整理券の番号で九人の人にプレゼントが当たるとのこと。私は十一代幽々斎宗匠にちなんだ11番だったため、茶道部の学生さんが用意してくださった一保堂のお抹茶が当たりました!実は毎晩原稿を書く時、必ず二杯ほどお薄を点てて飲んでいるので、非常に非常に嬉しい。茶道部の皆さん、ありがとうございました。
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↑上の写真、隣りに写っているのが、先に書いた「Table for two Sophia」の模擬店で買ったマフィンです。オーガニック材料で作られた優しい味でした♪
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そして、今日の着物は‥
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20度超えを聞くと、もう見ている方も暑いでしょうし、やはり5月でも単衣を着たくなります。平成日本、既に「単衣は6月からルール」は崩壊していると言って良いでしょう。大島のごく細い横縞の単衣に、帯と半衿は塩瀬を合わせました(と言うより、半衿を絽ちりに変えている時間なし)。帯周りと足元は下のように↓
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帯は、祖母が染めた蝶の柄の名古屋。爽やかな色目の笹浪組の帯締めに、帯揚げは、軽めの地の立涌模様の古布を入れています。草履は「神田胡蝶」。バッグはアジアのアタバッグを合わせました。
ちなみに、写真に写っている趣のある廊下は、上智で一番古い建物である1号館のもの。学生時代、1年間に3回遅刻しただけで単位を落とすという毎日1限のラテン語の授業に遅れまいと、駆け足で通った懐かしい廊下です。無事卒業出来て良かった…
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…ということで、とても有意義な時を過ごした午後になりました。
帰宅後調べてみたところ、「完訳フロイス日本史」は、全12巻もあるのですね。長編数寄(敢えて「数寄」と書きたい)にはたまらないではありませんか。ちびちびと読んでいきたいと思います。


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今日の猫バカ日記~膝乗り大好きの巻 2017/05/18



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単なる勘違い、かも知れないのですが、会合などでお会いする結構な数の方々から「最近チャミちゃんは元気ですか?」「チャミちゃんはどうしてますか?」などと訊かれることが多く、もしかしたら気にかけて頂いているのでは?…という淡い希望的観測のもと、猫親バカ日記を。
子猫の頃から私の膝に乗るのが大好きなチャミでしたが、体重6キロ近い大猫になっても変わらず‥。
私が床に横座りして片づけものなどしていると、すぐさま腿の辺りに前足をかけ、「あぐらかくにゃー」とあぐら座り要求します。そしてその真ん中にどかんと横長に入り込んで膝を折り、ゴロゴロと喉を鳴らしながら寝るでもなく、辺りを見回したりなどしている風でもなく、放っておくと1時間ほどもただうとうとと座り続けるチャミを膝に乗せている、まあこれを幸せと言うのでしょう。

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婦人画報6月号にて「追悼・渡辺和子 小さな死」を取材執筆しました。 2017/05/11



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発売中の「婦人画報」6月号にて、「追悼・渡辺和子 小さな死」と題し、8ページにわたって紀行エッセイとでも言うべき文章を執筆しました。昨年末に亡くなった渡辺和子さんの人生の軌跡、そしてその思想の核心をたどるものです。
渡辺和子さんの名は、多くの方がご存知だと思います。
230万部のベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者であり、修道女(シスター)であり、岡山県にあるカトリック系学園「ノートルダム清心学園」の大学学長、理事長を長く務めた方でもあります。多くの人の人生に影響を与えた、大変に、大変に偉大な女性――であることは間違いないのですが、実は、私自身は、そんな渡辺さんに対して「敬して遠ざける」気持ちを持っていました。
恐らくそれは私という人間にどこかひねくれた一面があるからなのでしょう。二十代前半にバブル崩壊に遭遇して遊び仲間の幾人かが忽然と消えてしまうと経験をし――本当に彼ら――今になって思えば不動産やアパレル成金の彼らは或る日どこかへとかき消えてしまったのです――二十代後半から三十代はじめに深く関わった中国では、人々がかつて熱烈に信奉したはずの「社会主義」がただれ朽ち果てて行く様を目の当たりにし、そして、三十代を資本主義経済の最前線である広告代理店で過ごした私のような人間には、ただ美しい言葉、正しい思想というものは、全く心に響くことがありません。「現実」というものの圧倒的な力と複雑さをよく知っているつもりだし、その「現実」との血みどろの対峙の上に成り立つのではない言葉には、どうにも説得されようがないのです。
そう、宗教にしろ、何らかの理想的な主義にしろ、この「現実」から目をそらし、どこか別世界へと脱出を図る願望に根差したような言葉、思想というものは、私にとっては内容空疎な、一時の気休めとしか感じられません。その言葉が、思想が、正しく、美しいものであればあるほどそれは、人間、つまりはこの「現実」から遊離してかえって災いをもたらすと警戒心が働く、悲しいことに私はそんな疑い深い人間へと出来上がってしまったようです。そして渡辺さんの著書にもどこかにそんな「遊離」が宿っているのではないか、そう疑いの目を持っていたからこそ「敬して遠ざける」態度を取っていたのでした。
‥そんな私に、渡辺さんの軌跡をたどるというお仕事の依頼が舞い込んだ。しかし私も文筆業をなりわいとする身、もちろん、渡辺さんの生涯を手際よくまとめてそこに生前近しかった方々の言葉を散りばめ、何らかの感動をにじみ出させるような文章を書くことは出来ます。
それに、個人的な興味から何年も読み漁っている昭和初期の世相や軍関係の資料から、渡辺さんがお父様を2.26事件で殺害されたことは知っていました。2009年、杉並郷土資料館で、その殺害現場となった渡辺さんの実家玄関と茶の間を再現する展示があった時は、実は足も運んでいました。これほどの体験を経てなお「置かれた場所で咲く」と言うのだから、それまったくの「遊離し切った」言葉ではないはずだ、という思いもありました。
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こうして私はこのお仕事をお引き受けし、「置かれた場所で咲きなさい」だけではなく、他の著作群のページもひもとき、岡山の地を二度訪ね、渡辺さんが日々祈り、歩き、人々と話し、その心血をそそいだノートルダム清心学園を自分の目で見つめ、歩いてまとめたのが、今回掲載されている文章です。
もちろん、その中にまとめたことは、私という一個人の見た渡辺和子さんの像であり、生前彼女と親しく接した方々、また、より長い期間その著作や活動に注目し、心の支えとしていた方々には、また別の見方があるのかも知れません。
けれど、世の中には、私と同じように諸手を挙げて素直に良きものを良きものと信じることはしない一群の人々が存在し、そのようなものの見方も世の中にはあってしかるべきだと、私は考えています。渡辺和子という女性。意外なほどに傷だらけで、でこぼことつまづき続けどこか不格好に人生を歩き続けた、小さく、けれど偉大な女性。私という或る一つの視点からとらえたそんな渡辺和子像を感じとって頂けたら幸いです。森山雅智さんの素晴らしい写真とともにお届けしています。


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平和島骨董市 2017/05/05



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今日はお茶のお友だちと、平和島骨董市に来ています。
今年から書道を始めたので、筆筒を探しに。でも、帯締めを買ってしまったし、茶道具にもつい目が行きます。
とにかくお店が多すぎて(その数、260店舗)、頭が混乱。さてさて良い筆筒に巡り会えるでしょうか…。