MAYA from West End

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*日記は日本語のみで、翻訳はありませんが、時々全文中国語の日記も書きます。
*日記の写真はデジタルカメラと携帯のカメラで撮影したものであり、作品写真ほどのクオリティはないことをご理解下さい。「本気で写真撮る!」と思わないと良い写真が撮れない性質なのです。

*這本日記基本上用日文寫、沒有中文和英文翻譯。可是不定期以中文來寫日記。請隨性來訪。
*日記的相片都用數碼相機或手機相機來攝影的、所拍的相質稍有出入、請諒解。我一直覺得不是認真的心態絕對拍不出好的東西。
© 2011 Maya Nishihata
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最近のお仕事三つ――骨董のある暮らし、夏きもの、漆の産地へ 2019/07/16



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仕事と介護でバタバタと過ごし、ブログも滞りがちなこの頃ですが、最近のお仕事をまとめて三本ご紹介致します。骨董のある暮らし、夏のきもの手入れ、漆の産地を訪ねて‥と多様なテーマに取り組みました。

一つ目の「骨董のある暮らし」は、発売中の「クロワッサン」誌にて。
住まい方特集の記事の一つとして、和洋アジアの骨董と現代作品を絶妙にミックスさせて暮らす「湖心亭」さんを取材しました。
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「湖心亭」さんのご職業は、インテリアコーディネーター。一般には無名の方ながら、インスタグラムでその暮らしぶりを公開すると評判を呼び、多くのフォロワーを集めています。ちなみに、女性の方です。お顔は非公開なのですが、とても美しい方で、その審美眼によって選ばれた骨董のある麗しい暮らしの哲学を、写真とともにぜひご覧ください。
           *
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二つ目「夏きもののお手入れ」は、発売中の「美しいキモノ」夏号にて。
汗をかくことから、冬よりもずっと難しい夏のきものの手入れや、涼しく着るコツについて、編集部からのアンケートに回答しました。
実は私、夏は肌襦袢を着ていません!
「襦袢の下には肌襦袢」という固定観念がありますが、少しでも涼しく着るには不要と判断して、数年前からやめてしまいました。‥と、これは私の回答の一つですが、十七人のきもの愛好家の夏きものの知恵が詰まったページです。ぜひご覧ください。
          *
最後、三つめは、とても真面目な記事です。
大丸百貨店の上顧客様向けの会報誌「J PRIME」創刊号にて、奥茨城の山間の村へ。漆の原木を育てる“漆農家”の皆さんを取材しました。
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海外では漆のことを「japan」と呼ぶこともあるほど、漆は日本を代表する工芸品の一つです。しかし、現状は9割9分海外産の漆を使用していることをご存知でしょうか?
国もさすがにこの現状に危機感を覚え、国内産漆の復活を支援し始めています。しかし、一旦途絶えた産業、それも自然相手の産業を復活させるのには時間も手間もかかります。それでも、長く続いた漆危機の時代の中、奥茨城には細々とその灯を守り続けて来た人々がいて、今、次の世代へと培って来た技術を渡していこうとしています。そんな彼らの物語を記事にまとめました。
「J PRIME」誌は一般の書店では販売されていませんが、何かのご縁でお手に取ることがありましたら、ぜひご一読いただければ幸いです。
また、大丸百貨店では、この活動を支援するクラウドファンドも立ち上げています。ご興味を持たれた方は、ぜひ私までご連絡ください(一口10万円から)。

‥‥と、ブログやFBの更新頻度はやや減るかと思いますが、仕事はこれまで通り、元気に続けています。取材やロケ、はたまた資料探しに走り回る姿を見かけたら、皆様ぜひお声掛けくださいませ!
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母の救急搬送とフェミニズム課題と、香港の政治運動と。 2019/06/19



フェミニズムの問題、ジェンダー課題について書いた前回のブログの反響が大変大きく、すぐに次のブログを‥と思っている間に、またたく間に2週間近くが過ぎてしまった。
実は、母が発作を起こして病院に救急搬送され、毎日がとてつもなくバタバタとしていた(現在も入院中)。その間、香港では大規模な政治デモが起こり、また、前回のブログの反響を受けても、老親の介護ということについても、考えさせられることが多い。今日はそんなあれこれを胸に浮かぶつれづれのままに、書いてみたいと思う。

"私のフェミニズム"の余波       
まず、時間軸順で、ジェンダー課題、「私のフェミニズム」の話題から。
前回のブログでは、私が「婦人画報」で上野千鶴子先生を取材した記事とからめて、私自身が直面して来たジェンダー問題について書いた。大変反響が大きく、たくさんの方がコメントを書き込んだり、シェアーをしてご自分自身の意見を書いてくれたり、また、ご自身の大変厳しいジェンダー意識にまつわる被害体験を、初めて公にされた方もいた。改めて、書くことの責任をひしひしと感じている。
世の中全体を見渡してみても、この2週間ほどの間に新しくパンプス強制反対運動、パタハラ左遷問題、続く少子化問題が大きく話題になり、ジェンダー課題についてのニュースを見ない日はないほどに、声を上げる人々が増え続けていることを感じている。

実は、この「声を上げる」ことについては、上野先生の取材でも話が上がっていた。先生はそれを「女たちががまんしなくなった」と表現されていて、日本のフェミニズム運動40年の一つの達成として総括していらっしゃるのだけれど、私自身にも、以前、こんな体験があったことを思い出した。
数年前のある時、私は、私と同世代の女性たち数人と、その中に一人だけ年配の男性が混じる‥という顔ぶれで話をしていた。どういう話の流れだったのか、話題が、女性の容姿や年齢、結婚の有無をからかうような発言をするべきではない、という話になった。するとその男性が、
「昔はしても良かったんだけどね、今は時代がダメってことになってるからね」
 というようなことを言ったのだった。その時、私は、それは違うだろうと怒りが湧いて、
「昔だって言うべきではなかったんです。昔は、女性たちががまんしてくれていたから、許してくれてたから、言えただけです。今は女性たちももうがまんしなくなりましたから」
 と言って、その男性は黙ってしまったのだった。
「時代の雰囲気がダメな方向になっているから」、だからセクハラはしてはいけない、という発言をするような男性は、事の本質を全く分かっていない。昔の女性は懐が深くて、今の女にはそれがない、という意見もそこには垣間見えるが、もちろん、昔の女性だって今の女性と同様に不愉快に思っていたし、傷ついてもいた。ただ、力がなかったから、がまんしていただけのことなのだ。
けれど、パッとしない景気やグローバル化による産業構造の変化の中で専業主婦が消滅しつつある今、夫婦二人で家計を支えること、或いは、女性が自分の職業を持つこと、つまりは女性が収入を持つことが当たり前になりつつあり、ついに、がまんをやめた、ということだ。昨年、アメリカで「me,too」運動が起こり、日本ではアメリカほどの爆発的盛り上がりは見せなかったものの、少し遅れて、じわじわと波が起こり、その波は止まらない、ということではないだろうか。将来振り返った時、今年から数年は、潮目の変わった時期と言われるような、そんな予感がする。

母の再入院と、自分の弱さを認めることと
そんなあれこれを考えている中、母が持病の発作を起こし、救急搬送されるという家族の大事件があった。
母は、肺癌、そしてやや進んだ認知症に加え、アミロイドアンギオパチーという脳の血管の持病も持っている。その発作が深夜に起きてしまったの。
実は、母がこの発作を起こすのは今回が2回目で、初めてではない。ただ、前回はお友だちとの旅行の帰り道の新幹線の中での出来事だったので、私たち家族は目の当たりにしなかった。だから初めての体験ということになる。
最初は、トイレに行こうとして、でもどうも上手く歩けないというところから始まった。ふだん通り深夜に原稿を書いていた私が付き添い、それでもうまく歩けない、と言うより立てないので父も起こして介添えしようとしているうちに、一歩も動けなくなった。そして意識を失っていった。救急を呼び、付き添いで、人生で初めて救急車に乗ることになった。救急車の中で、二度、大きな発作が起こった。
ただ、その時点では、まだアミロイドアンギオパチーが原因なのか、それともくも膜下出血など他の脳の病気が原因なのかは、分かっていなかった。分かったのは、病院に着いて、CTを撮ってからのことで、サイレンとともに進む救急車の中では、まるで深い霧をさまようように、何が正しい処置なのか、その道筋はまったく見えていなかった。そんな中で、文字通り母の命を預かり、最善の処置を尽くす救急救命士の方々には本当に頭が下がった。どれほど恐ろしく、どれほど勇気のいる仕事だろうか?そう、後になってしみじみ考えた。
当たり前の話だが、人は、たとえどんなにお金を持っていても、外見の美や、社会的な成功を手にしていても、命を助けてくれる人がいなければ死ぬしかないのだ。最も尊い仕事をしているのは、間違いなく救命に携わるこの人たちで、彼らがベストな精神状態、経済環境で暮らせるように、正当な報酬が払われていなければいけないだろう。一体どのくらいの収入を得ているのだろう、ということも気になって調べてみると、激安給料という訳ではないものの、そう高いという訳ではないようだ。これで良いのだろうか、と言うことも気になっている。

さて、母については、幸い発作はアミロイドアンギオパチーによるもので、命にすぐ別状がある訳ではない。現在は入院して体力の回復に努めているけれど、これから先、家に帰って来てからのことを考えると、実は憂鬱になってしまう。
今回の発作は、それに先立つ1週間前に、無理な外出をして疲労したことが誘因となって起こった。もちろん、私も、父も、そんな無理な外出はやめてほしいと何度も止めていた。家中で、猫がおびえるほどの言い合いになっても、それでも本人だけが、「自分はまだまだ大丈夫」という自己像を描き変えることが出来ない。一人の大人を力ずくで家に縛りつけることには、家族の側にもためらいがあるから、もう勝手にすれば、とさじを投げることになった。その結果が今回の発作というわけだ。弱い自分を認めることは、どうしてこんなに難しいのだろう?――そう、ため息が出る。
でも、我が家だけではないのだろう。日本中のあちこちで、この問題に頭を悩ませている家族がいるはずだし、その数はこれからますます増え続けるのだろう。せめて私たちの世代は――バブル崩壊を二十代で経験して来た世代は――と思う。強いこと、イケイケどんどんだけが素晴らしいのではない、自分の弱さを認めることが、なめらかな社会の基礎になるのだ、という意識を持たなければいけないと思う。そして、「自分もいずれ必ず弱くなる」ということが分かれば、人は、今、弱い状態にいる人にもやさしくなれると思うのだ。それは未来の自分の姿なのだから。
   
香港の政治運動について、思うこと
――と、そんなことを、日々の病院見舞いの行き帰りに考えている中、香港で、大きな政治運動が始まっていた。私のブログを読んでくださっている皆さんにはよく知って頂いている通り、私はかつて中国に留学し、中国語で言うところの「両岸三地」、中国、香港、台湾の三つの地域に、それぞれ、たくさんの大切な友人がいる。
もちろん、私は香港市民を支持している。大躍進、文化大革命、天安門事件。中国共産党の残虐さと愚かさは目を覆うばかりであり、悲しいことに、その残虐さと愚かさは少しも磨耗していないことを、日々の報道から、SNSでの情報収集から、実感している。

そして、しみじみと、初めて中国を訪れた年、北京に留学した1998年のことを思い出す。
当時の中国は経済が上向き、どことなく、政治的自由も拡大していくような楽観的な空気がただよっていて、北京の街の上には明るい風が吹いていた。
何より、インターネットが世界的に大きく広がり始めていた時期で、中国一国で統制することなど不可能なここから、必ず、言論の自由が広がっていくと確信していた。これから自由貿易の世界に中国が進出して行けば行くほど、民主主義の空気に触れ、この国も変わらざるを得ないだろう。そう確信していた。まさかこんな未来が待っているとは想像もつかなかった。
それでも、香港は抵抗し、今日までのところは一定の成果を収めた。けれど中国共産党がこんなことであきらめる訳はないだろう。2年後なのか、3年後なのか、彼らは必ずつけ込んで来る。もちろんその時香港市民は再び戦うだろうし、台湾も同様だろう。では、日本人に出来ることは何だろうか? と考える。
私は、伝え続けることだと思っている。
ビジネス上の取り引きで、プライベートで、接点のある大陸中国人に伝え続けること。ただ経済力だけをつけても、科学力だけを持っても、国として世界からまったく尊敬されていないことを伝え続ける。かつてアメリカやヨーロッパが世界の覇権を独占していた時代のように、憧れの対象とはなっていないのは何故なのか。それは、尊敬は、力ではなく文化からもたらされるからだ。文化は言論の自由がなければ開花しない。外に現れ出ることもない。
もちろん、一人一人の大陸中国人には、善良な人も、聡明な人も多い。私にも大切な友人が何人もいる。中国共産党のやり口に、彼らが責任がある訳でもない。彼らとの友情やビジネス関係を崩してしまいかねない時に性急に伝える必要はないし、互いの関係の中で、話せる機が熟した時に話せばいいと思う。それよりも、今出来ることは、インターネット上で、SNS上で伝え続けることだと思う。今では中国人も多く国外に出る。そこにたくさんのメッセージをまかれていることが重要だと思う。
清朝の終わりに弱国化して以来、200年、中国人は常に、名誉と面子に餓えている。名誉や面子が何によってもたらされるかを伝え続けなければいけない。そういう空気を作り、次の世代、その次の世代を通じて、たとえゆっくりとでも、彼ら自身の常識を変え、それが法制化される道を作っていかなければいけないと思う。

最後に、香港や台湾の民主社会に対して、大陸中国人――共産党に飼いならされてしまった大陸中国人、という意味だ――がよく言う反論や言い訳について、切り返し方をお伝えしたいと思う。
まず第一に、今回のような大規模デモに参加している市民のことを、彼らは「アメリカからバイト料をもらって参加しているのだろう」と言うことがよくある。実際、今回の香港でのデモについて、中国のSNS上にそのような言説が流れていた。
これは、中国共産党自身が、市民に一書き込みあたり「5毛(5円ほど)」の報酬で、共産党に都合の良い言説をネット上に書き込みさせていることから派生した、実にチープなデマ言説だ。大陸中国人にとっては、「香港でもそのようなことがあるのだろう」と受け入れられやすいのだ。中国で、このようなバイトをする人のことを「五毛党」と呼ぶが、その五毛人たちが、今回も、「アメリカからバイト料」というデマをせっせと書き込んでいると思われる。
しかし、このような主張に対しては、今回、youtube上で、香港人(或いは台湾人)が書いていたコメントが的確な反論になっていると思う。その人は、こう書いていた。
「(アメリカ政府が)香港人を、一日一人100ドルでデモに参加するようにと雇ったとして、10万人なら、一日で1000万ドルが消える。どこの外国勢力がそんな金を使うんだ?」
確かにその通りで、実際は200万人の参加者なのだから、日本円にしたら2百億、3百億という規模の予算を、たった一日のデモのために使うことなど出来る訳がない。一体どこに計上するというのだろう?しかもデモは何日も続いているのだ。
また、よく言われる言説として、「中国は広く、人口が多い。この広大な国を治めるには民主政治では不可能であり、中央集権的な独裁勢力が必要不可欠だ」というものがあるが、では、インドはどうなるのだろうか?
もちろん、インドの民主主義も完全に成熟し切れているとは言えないだろうが、それなりに機能し、その上で、国は年々発展し、映画に代表される文化が育って世界を魅了し始めている。

‥‥と、そのようなことを、つれづれと考えていた2週間だった。
自分の周りの小さな世界も、地球の別の場所に住む友人たちの広い世界も、物事はすっきりとは収まっていないが、それでも生きて、考え続けていくしかない。そしてこの国では特に、一人一人の小さな世界のあり方が、壊れ、変わりつつあり、それが国全体の大きな問題と深い根の底でつながっていることを、強く感じている。

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私のフェミニズム、私のme,too――「婦人画報」7月号で上野千鶴子先生を取材して 2019/06/03



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発売中の「婦人画報」7月号で、上野千鶴子先生を取材した。
今年の4月、おめでたさ満開のはずの東大入学式の祝辞スピーチで、「がんばってもそれが公平に報われない世界があなたたちを待っています」とぶちかまし、大反響を巻き起こした、あの上野先生である。日本のフェミニズムを代表する論客であり、生半可な気持ちでは取材出来ない人であることは、どなたにも分かって頂けるだろう。実際、非常な緊張感と、必死の準備をもって取り組んだ仕事になった。
そして、これは自分でも意外なことだったけれど、先生の著作を読み込み、実際に先生と対話し、原稿に向かう中で、しみじみと、自分の中のフェミニズム的問題について思いをめぐらせることになった。時には一人部屋の中で涙ぐんでしまうことさえも。
だから、今日のブログでは、私自身の個人的なフェミニズム、私のme,tooを語りながら、当該の上野先生の取材記事をご紹介したいと思う。何故ならフェミニズムの問題は一人一人の女性にとって、個人的になる他ない問題群だからだ。その主張に賛同するにしろ、反発するにしろ、何故賛同するのか、何故反発するのか、その態度表明自体に自分のアイデンティティが直接浮かび上がる。どうしようもないほどに切実な問題なのだ――ということに、今さらながらに気づかされたからだ。
          *
先ほど、時に部屋で涙ぐんでしまうことがあった、と書いた。
もしもそのことを上野先生が知ったら、また、先生の著作を読んだことがある方なら、何故泣くのかと不思議に思うかも知れない。先生の論考は社会学者らしくこつこつとデータを積み上げ、厳密に論理を詰めたもので、冷静で構築的で、そして強靭だ。およそ情緒的なお涙頂戴表現からはかけ離れているのだけれど、でも、私は時々涙で先が読めなくなることがあった。
先生の著作は、どのページを開いても、どの行も、一つのメッセージを伝えようとしていた。それは、こんなことはおかしい、というメッセージだった。女だからこれはしてはいけない、女だからこれくらいにしておけ、女だから我慢しろ、おとなしくしろ、俺たちを凌駕するな、ただ俺たちの欲望の対象でいればいい。そういうすべての言説に対して、一行一行が「おかしい」と声を上げていた。読んでいる私に向かって文字が踊り上がって来るようだった。その強さに涙がこぼれた。恐らく孤独な戦いだっただろう。それでもこの人は一歩もひるむことなく、冷静に、強靭に戦い続けたのだ。その勇気に涙がこぼれた。

そして自分自身のことを振り返った時、もう一度、涙がこぼれた。私は先生とは真逆だった。勇気がなく、声を出そうとして胸の中にぐっと呑み込んだ言葉がいくつもいくつもあった。その時感じた悔しさや、屈辱の感情がよみがえってため息をついた。そのため息が涙に変わったのだ。
たとえば広告代理店に勤務していた時、私は仕事の後の飲み会の席で、取引先の或る年上の性から何度も腿を触られた。その男性には、「哲学科を出ている女なんて最悪常」とも言われた。けれど私は反論しなかった。
社会に出て初めて勤めたアパレルの大手では、上司が机にハードなヌード写真のカレンダーを置いていて、毎日それを見なければならなかった。鳥肌が立つほど嫌だった。けれど私は声を上げなかった。
またある時には、やはり代理店時代の飲み会の席で、次長という非常に高い地位にある上司から卑猥な言葉を言わされた。「ねえねえ、*って言ってみて」と言われて意味も分からず「*」と言い、「じゃあ、*って言ってみて」と言われて「*」と言い、「じゃあ、‥」と続き、最後に、「逆から言ってみて」「*、*、‥」と、言いかけた言葉が非常に卑猥な言葉だと途中で気づいた時、私は赤面し、当惑し、そして絶句した。
またある時、クリエーティブディレクター(CD)、コピーライター、アートディレクター、営業の全員男性、プロデューサーの私だけが女性というチームでCMの編集スタジオに入っていた時、一歳年上のCDから、「今から下ネタ話したいんだよね。女がいると出来ないから、ここから出て行ってくれないかな」と言われたこともあった。
実は、このCDとは、それ以前に別のチームで仕事をしたことがあった。私は彼を良い仕事仲間だと思っていたけれど、いつしか彼は私に友情以上の好意を持っていたようで、或る時、やはり飲み会の席でお酒の力を借りてその想いを表して来た。私は彼に友情以上のものは持てなかったらやんわりと拒絶し、彼はそのことを根に持ったようだった。翌日から、それまでのナイスな態度とは別人のようによそよそしくなったのはあからさま過ぎて笑いたくなったけれど、きっと復讐の機会をうかがっていたのだろう。「下ネタ話ししたいから出て行け」というパワハラとセクハラの入り混じった攻撃を仕掛けて来たのだ。
けれど、その瞬間、私は、「分かった」と言ってそこを離れた。場は凍りついていた。こんなことはしてはいけないことだということは、他の男性社員はもちろん分かっていただろう。けれど、会社は「クリエーティブ・ファースト」を方針としていたから、CDの序列が最も高い。誰も彼に逆らいたくはないのだろうな、穏便に事が済むといいなと願っているのだろうなということが分かったから、私は、「こんなことはおかしい」「こんなことは屈辱的だ」という言葉を呑み込んだ。そして別の場所で社外の友だちにメールを打ったり、見積を作ったりしてその下ネタ話が終わるのを待った。ちょうどこのメールを打ちたいと思ってたんだよね、見積作業もしたかったし。だから、ちょうどいいじゃない、と自分に言い聞かせて。

――そんな風に、呑み込んだ言葉がいくつも、いくつも、書き切れないくらいある。
私はレイプをされたわけではない。何時間も体を撫でまわされ続けたわけではない。女だからと昇進を阻まれたわけでもない。たかが言葉の上だけでのこと、たかがほんの少し体を触られただけのことじゃないか、そのくらい流せよ、と或る種の男性たちは言うだろうか? 呑み込んでうまくいなすことこそ賢い女よ、と男の意をくむ「賢い女性」たちは言うだろうか?
確かに私は呑み込んだ。そうすると、悪臭を放つ大便のような何かが、肌の内側にこびりついてはがれなくなった。ずいぶん長い時間が経った後でも、何かの時に、ふっとその悪臭に気が遠くなる。「小さなこと」なんかでは、決してないのだ。人の尊厳にかかわることなのだ。
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それなのに、と思う。何故、私は反論の言葉を呑み込んだのだろう? 何故上野先生のように戦えなかったのだろう?
理由はいくつも並べられる。上司に逆らえなかったから。チームの雰囲気を悪くしたくなかったから。確かに、唯一反論に出たのは冒頭に挙げた腿を触る取引先の男性に対してだけで、それは、取引先と言ってもこちらが発注を出すクライアントでありまだ立場が強かったからで(そもそもクライアントの腿を触ること自体が信じられない話だが)、それでも、その彼に対しても、「何故女性が哲学を学んではいけないのですか?お詫びして、訂正してください」とは言えなかった。

結局、私は、怖かったのだと思う。私は自分のイメージを守りたかった。もしもその場で「それはセクハラです」「不愉快です」と声を上げたら、そのとたん、私は、うるさい女、面倒な女、潔癖症のお堅い女、に分類されるだろう。それがとても怖かった。
そんなことが怖いのか、と驚かれるだろうか?でも、真実なのだから仕方がない。私はとても怖かった。自分で今こうして書いていてもなさけなくなってしまうけれど、怖くて怖くて仕方がなかった。「潔癖症のお堅い女」と思われたまま、その同じ人間関係の中で仕事を続けていけるとは思えなかった。だから、沈黙した。もの分かりのいい、「さばけた女」になろうとした。本当は、さばけたいなどと1ミリも思っていないのに。
私はそういう、なさけない、へたれだった。だから、先生の著作を読んで泣いてしまった。それは、ふがいない自分に対する怒りと、あわれみの涙だった。こんな悲しいことがあるだろうか。
          *
それでも、と思う。
それでも私はまったくの白旗をあげることだけはなしなかった。分かりました。じゃあ、今日から、私は私のキャリアを追いかけることをやめます!何故なら男性と競うことになるから。自分で収入を得る道を放棄します!そして男性に養ってもらい、その男性の背中の後ろを三歩下がって歩く、もの分かりのいい良妻賢母を目指します!いつもにこにこすべてを受け入れる聖母の役を演じます!と完全撤退することだけはしなかった。
私がこの社会に対して採った戦略は、あの人気ドラマのタイトルと同じ「逃げるは恥だが作戦」と言っていいのではないかと思う。上野先生のように凛々しく、正面突破では戦えなかった。びくびくと、一まずはしっぽを巻いて撤退し、「さばけた女」というカモフラージュの密林に逃げ込んで、そのせいで悪臭ただよう大便的な何かをびっしりとお腹にこびりつかせ腹痛に悩みながら、一歩ずつ、迂回戦線を匍匐前進で進んだ。そしてわずかずつでも自分の陣地を広げる。そういう、いかにもなさけない、弱者の戦略を生きて来たのだ。
そのことに初めて思いをめぐらせた時、何ともかっこわるいけれど、それでも頑張ったじゃないか、と、自分の肩を抱きかかえたくなって、もう一度涙が出た。
          *
今、思うのは、これから社会に出て行く女性たちが、もう私のような思いをしないで済む社会であってほしいということだ。そして今後社会の中で上位ポジションに着く女性が増えていく時に、女性たちが、これまで自分たちが受けて来た屈辱を若い男性たちに与えることがないように、と願う。
フィギュアスケートの高橋大輔選手に対して、連盟会長の橋本聖子氏がキスを強要した事例を見る時、強い怒りを感じる。男性が女性に、女性が男性に、好意や性的欲求を抱くこと自体が悪い訳では、もちろんない。相手の意志を無視してそれを押し通すことが問題なのだ――という、わざわざ書くのもばからしいほど当然のことを理解出来ない人間を「下品な人」と呼ぶが、「下品」は男性にも、女性にもいる。当然が普通に当然とみなされる社会になることを、心から願う。
          *
もちろん、社会は少しずつ変わっている。そもそも「婦人画報」が上野先生を取材すること自体が、時代の変化の表れであるだろう。
創刊110年を超える「婦人画報」は、これまで、最高度に洗練された物品や環境を享受するための最新情報を発信し続けて来た。しかし、7月号では「日本をつなぐ」と題し、「サステナブル社会」を第一特集に掲げている。
食、教育、消費の仕組み――人生を豊かに楽しみながらも、地球に対し、人類に対し、持続可能に生きるためにどのような選択があるのか。上野先生への取材は、その模索の一つとして行われた。何故ならば――これは原稿の中でも書いた言葉だが――社会の半分は女性だからだ。ワンオペ家事、ワンオペ育児、セクハラ、デートレイプ、医科大学での不当な合格者調整。もしも社会の半分が生きづらいと感じるなら、その社会はどこかにひずみを抱えているのではないか。そして実際、そのひずみは急速な少子化に大きく影響し“この国の持続”そのものに危険信号を灯している。
記事中で、先生は、日本のフェミニズム40年を総括し、この国で、一人一人の女性たちがこれまで、私が感じて来たように感じて来た生きづらさの何を変え、何がいまだ変えられていないのか、変わるために何が必要なのかを洞察し、語っている。それはこれまでの男の「下品」な行為をひたすら責め、攻撃するような、浅はかなものではない。変わることで、女はもちろん、男性たちも、より楽々と、のびやかに、持続可能に生きるための考察だ。

意気地なく沈黙に回り、それでも「逃げるは恥だが作戦」で細々と迂回路を進むしかなかった何百人、何千人の私に似た誰か、私のようなme,tooの女たちの痛みを仕方ないなあと一手に肩に引き受け、最前線で、正面から戦ってくれた上野先生のようなフェミニズムの先輩たちを、心から尊敬する。日本の女の生きづらさがそれでも何とかましなものに変わってきた原動力の多くは、間違いなく彼女たちにある。
そして、そんな上野先生を取材出来たことを光栄に思う。あまりに大きなテーマに七転八倒して数え切れないほど原稿を書き直し、「もうこの原稿が面白いのか面白くないのか、自分では分からない!」と発狂寸前まで悩みながら書きつづった。幸いにも先生から「骨太のレポートになった」と言って頂けた原稿をぜひご高覧頂けたら、これ以上嬉しいことはない。私はかつての自分と、たくさんの言葉を呑み込みしっぽを巻いて撤退を繰り返したへたれの自分と、ようやく握手出来たのだ。

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クロワッサン「着物の時間」にて、YAECAデザイナーの井出恭子さんの着物物語を取材しました。 2019/05/28



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「クロワッサン」の連載「着物の時間」にて、「YAECA」デザイナーの井出恭子さんを取材しました。
一見何気なく見えながら、細部にエッジの効いたデザインで知られる「YAECA」。その鋭敏な感性がそのまま着物スタイルにも反映されています。ぜひ記事をご高覧下さい。
第一・第二特集の「お腹ぽっこり改善プログラム」「腸に効く、美味しい食」も必見です!(私も熟読しなきゃ…)
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野原の公園で、お友だちと、野点の一日(きものコーディネイト付き) 2019/05/20



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少し前のことになりますが、大好きな年上のお姉さまのお友だちと野点を楽しみました。
場所は、私の地元、吉祥寺の…あらら、名前が分かりません…紀ノ国屋の裏にある野原の公園です。地元の場所やお店って、「角の八百屋さん」のように、正式な名前が分からないことが多くないでしょうか。ここの公園はとにかく、ただ、草しかない。遊具が一切ないところが素晴らしく、ちびっこからお年寄り、まったり女子大生、外回りさぼり中の営業マンまで、地元民の憩いの場になっています。

そんな野原の公園に、神奈川から、知子姉様がやって来てくれました。
イラストレーターの岡田知子さんとは、仕事で一緒にページを作ったことから仲良くなり、このブログにも何度かご登場頂いています。介護に奮闘する私の慰問に、お茶を一服とやって来てくれたのです。何て嬉しいことでしょうか♪

その野点の様子がこちら↓
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原っぱの上にまずビニールシートを敷いて、その上に、とも姉様が持って来てくれた素敵な木綿布を敷いて座っています。
やはりかなり目立つのか、公園の隣りのマーガレットカフェのお客さんが手を振っていたり、通りがかりのおばさまに話しかけられたり。
この日は気温20度ほどで、時々そよそよと風が吹く、最高の野点日和。暑くもなく寒くもなく、何とも気分良く過ごしました。

詳細をご紹介していきましょう。こちらは、じゃーん!お軸代わりの和歌です↓
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書のお上手な姉様が今日のために書いて来てくださいました。新元号が万葉集から採られたことにちなみ、

わが宿の花橘にほととぎ寸
今こそ鳴かめ 友に逢へる時

と、万葉集から、大伴書持の一首を択んでくださいました。季節と言い、友情を歌った内容と言い、これ以上ないという歌を択んでくださり、涙が出ちゃいます。この色紙は頂いたので、毎年この頃に部屋に飾ろう!

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↑こちらはお菓子。私が準備しました。千歳船橋の知る人ぞ知る名店「東宮」の薯蕷饅頭です。野点の日は、練り切りや外郎製などより、お饅頭の方がふさわしいかなと選びました。
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こちらは、姉様がお茶を点てているところ。お茶はかわいいジャム瓶に入っています。こんな風に、あるものを工夫しながらお道具を組み立てていくのが楽しいですね。お茶はそれ自体が緑色で美しいものですから、こうしてそれを見せてしまうのも良いなと思いました。
それにしても、あれこれのお道具、どうやって持って来たの?と気になりますよね。一つにまとまったところがこちら↓
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この籠バッグは、もともとはアジアの竹籠バッグ。そこに一閑張りの要領で渋紙を張り、更に色和紙を張って作ったというご自作です。ああ、器用な方って素晴らしい‥!
上から見ると、こんな風にコンパクトにまとまっています↓
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↑この日の着物は、以前、倉敷で購入した木綿の備後絣の単衣。機械織ですが、今では機械織の機元さえなくなってしまっているということで、貴重な最後の手持ちの分から売って頂きました。野点では土がついてしまう可能性もある中、木綿なら家で洗濯出来て安心。この日の気温にもちょうどよく、快適に過ごせました。帯は、破れ七宝柄の八寸を締めて。
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↑履物は、下駄を。浅草の「辻屋」さんで、女将の里枝さんに見立てて頂いて購入したお気に入りの一足です。鼻緒は格子柄の小千谷縮。
    *
こうして春の終わり、夏の初めの一日、草の匂いに包まれ風を感じながら、美味しくお茶をいただきました。素敵な気分転換の一時を作って下さって、とも姉様、本当にありがとう。
皆様も外でお茶を、ぜひ楽しんでみてくださいね。
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魯山人×ロイヤルコペンハーゲン×広尾「青草窠」――「婦人画報」6月号にて新しい懐石の美の試みを取材しました。 2019/05/15



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発売中の「婦人画報」6月号にて、ロイヤルコペンハーゲン×魯山人、そして広尾「青草窠」の三者競演という楽しく美しく、そして美味に胸躍る企画を担当しました。
デンマークの王立窯「ロイヤルコペンハーゲン」から、昨年、「ブロムスト」というシリーズが発売されました。もちろん洋食器なのですが、白地に青の草花を大きく余白を取って描くデザインは染付を思わせ、不思議と和食と相性が良いのです。

そんな「ブロムスト」を古染付に見立て、魯山人の器と競演させながら、茶懐石に取り入れてみる――試みたのは、広尾の日本料理の名店「青草窠」オーナーの永坂早苗さん。新しい懐石の美の誕生と、その背景にある思索とを取材致しましたので、ぜひご覧ください。抜き刷りが、全国の「ロイヤルコペンハーゲン」直営店でも配布されています♪

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「クロワッサン」にて、青山の名和菓子店「菊家」女将秋田隆子さんの着物物語を取材しました。 2019/05/06



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趣味と仕事が重なりまくった掲載記事のご報告です♪
クロワッサンの連載「着物の時間」、今月は、青山の老舗和菓子店「菓匠 菊家」女将、秋田隆子さんを取材しました。

着物好きが着物の取材をするだけでも趣味なのか仕事なのか境界がまだらなこの連載ですが、そこに、愛してやまない和菓子要素が加わり…ハイテンションで取材に向かった今回でありました!
「菊家」のことは、東京の和菓子好きなら知らない方はいないでしょう。向田邦子さんも深く愛した名店。私も特にここの「黄味しぐれ」が大好きで、しょっちゅう買いに立ち寄っています。近辺で取材の後、どうしても食べたくなって、でも、菊家さんは閉店時間が5時と早い。黄味しぐれのためにタクシーを飛ばしたことも何度か!
そして、いつお店を訪ねても女将さんが洒脱なきもの姿でいらっしゃることが、ここを訪ねるもう一つの楽しみでもあるのでした。
これはぜひ女将さんの着物個人史を聞いてみたいと取材を申し込み、お話を伺うと‥なるほどと膝を打つ、洒脱な着物姿の背景が浮かび上がって来たのでした。

奇しくも菊家さんは先月から店舗建て替え工事に入り(仮店舗で、予約販売なら受付けてくれます)、旧店舗と、そして常連にはなじみ深い、お店の前のあの柳とともに撮った最後の取材になりました。連休でご紹介が遅れてしまいましたが、今ならまだ書店にあります。ぜひ「クロワッサン」をご高覧下さい!
タイトルをつけるのが苦手な私ですが、今回の、
「青山、骨董通り。お菓子の香りと、
古き佳き東京の着物姿と」
は、なかなか良いのではと気に入っています!

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改元のゴールデンウィーク、「東京キモノショー」と日本橋散歩 2019/05/04



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今年は二度お正月が来たような気がする改元のゴールデンウィーク、友人知人は遠出をせず東京近辺で過ごす人が多く、私もその一人です。連休明けに大きな取材が控えているため、資料読みに明け暮れつつ、ちらほらと外出。一昨日は、日本橋のコレド室町へ、GW恒例の「東京キモノショー」へ出かけました。

この一大きものイベントは、今年で4回目。私のブログでも過去に2回レポートしているので覚えて頂いている方もいらっしゃると思いますが、とにかく今年は来場者が多い!
5年前の第1回目を思い返すと、広~い会場にお客様がちらほら、といった入りだったのが、今年は同じ大きさのはずの会場が、ものすごく狭く感じられるほど。特にきものや和小物のミニショップが並ぶホワイエは、なかなか前へ進めないほどでした。
わずか4回でここまで人気を得たこと、実行委員いの皆様の努力に頭が下がります。
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↑そんな中、メインホールには、今年もきものメーカーやきもの作家、きもの店、着付け師さんが提案するきものコーディネイトがずらり。
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↑そして、そのホール壁には、一昨年にやはりこのブログで旅レポートした丹後の引き染作家「小林染工房」の小林さんの“丹後ブルー”の作品9枚が展示されています(私が携帯の写真設定を変えられず、上の写真では6枚のみが写っています)。
友禅で模様を描く訳でもなく、刺繡や箔を置く訳でもなく、青の濃淡のみで、これだけ表情が違うきものを生み出せることの素晴らしさ。一緒に出かけた着付け師の奥泉智恵さんと、「私はあのきものが好み!」「私はこっち!」と盛り上がりました。
ちなみに、私の好みは、写真・下段左の淡いブルーの一枚です。もう一枚、上段左の粋な一枚も、黒の帯などを合わせて着てみたくなります。
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↑そんな小林さんの作品の前で、一昨年、一緒に丹後を旅した、きもの友だちのFさんとばったり会えたので、パチリ。
Fさんのきものは、まさに小林さんの作品。そう、青だけじゃないんです!焦げ茶と墨黒の間のような色をメインに、時々グレーが入り…何ともしゃれた一枚ですね。帯は同じ丹後の「登喜蔵」さんの紬帯。椿染とのことでした。
私は、小豆色の毛万筋の江戸小紋に、祖母が染めた蝶の柄の塩瀬名古屋帯を。この帯は毎年3月から5月に締めていますが、時々知らない方に「素敵な帯ですね」「写真を撮らせてください」などと声をかけられます。昨日もお一人に声をかけられたので、快諾。祖母もきっとあちらで喜んでいることでしょう。
そんな帯周りの寄り写真をうっかり撮るのを忘れてしまったのですが、帯〆は「道明」の高麗組、帯揚げは「ゑり正」のぽつぽつと七色の小さな絞りが散る一枚を入れています。自分としてはとても気に入っているコーディネイトです。
奥泉さんとも話していたのですが、小豆色の江戸小紋は、三十代から六十代ほどまで着用出来、お得な一枚ではないでしょうか。もっと赤に転ぶとせいぜい三十代まで。紫に転べば五十代以上がふさわしい。小豆色はどの年代にもしっくりと調和する不思議な色だと感じます。
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↑会場の一角には、葛布、藤布、大麻布、アイヌのアトゥシなど、「自然布」で織られたきものや帯を展示したコーナーもありました。どれも一級の品ばかり。撮影不可のものが多く、ほとんど紹介出来ないのが残念ですが、ここも必見の展示です。
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↑さて、一昨日の一番の目当ては、こちら。ステージで、公家男性の正装である「束帯」の着付けショーが行われました。改元の今年にふさわしいプログラムです。
実は私は武家の服飾好きで、特に直垂(ひたたれ)という装束が大好きな“直垂萌え”です。公家の装束にはいま一つ関心が薄く、これまでに何度も書籍で各アイテムや着装順を勉強してきたのですが、すぐに忘れてしまうのです。
しかし、今回は、愛知文教大学准教授の畠山大二郎先生の解説付きで、実際に目の前で着付けをしてくださる、ということで、どうしても見たくてやって来ました。
驚いたのは、上の写真の通り、解説の畠山先生(右)まで「直衣」という公家の服装で登場したこと。
↓下の写真が、「束帯」の着付けが完成した姿なのですが‥
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後ろに引きずっている「裾(きょ)」の部分は六尺。畠山先生曰く「僕の好みの長さで作りました」とのことで、先生のおたくぶりが垣間見え、ほほえましいのです。
ちなみに六尺は、「大納言」の地位に許された長さとのこと。さらに上の位の「大臣」となると、もっと長くなるそうです。たくさんの豆知識が散りばめられた解説がとても面白く、大満足のプログラムでした。
           *
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「東京キモノショー」を楽しんだ後は、甘党が日本橋に来た以上、行かねばならぬ場所があります。やはり甘党の奥泉さんと、「鶴屋吉信」の寿司カウンター、ならぬ“上生菓子カウンター”へ。まるで寿司店のように、目の前で菓子職人さんが上生菓子を握って?くれるここには、ブログには上げていませんが、これまでに何度も訪れています。お銚子一本で寿司を数貫さらりとつまみ風のように去って行く池波正太郎のように、上生菓子を抹茶で頂きわほわと立ち去るわたくしなのです。むふふ。
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↑さて、一昨日は、「花水木」を頂きました。こなし製に白あん。ああ、私の最も好きな組み合わせです。一人で来ると「コハダをもう一貫」というかんじに実は二個、三個と食べたりしてしまうのですが、一昨日はぐっと抑えました。
そして、日の落ちた日本橋をお散歩すると、どの店のショウウインドウにも「令和」の墨書きが飾られ、五月の風が心地よく。江戸時代と変わらぬ日本橋川の流れを眺めていると、心から、戦いのない、平和な時代が続いていくようにと願わずにはいられません。
そして、災害の多いこの国で、ただ災害が起こりませんようにと無力な赤子のように願うのではなく、避けられないその災害の被害を最小限に食い止める知恵と準備を怠らない自分でありたい、そういう社会を作って行く責任があるのだということを、改めて、胸に戒め、日本橋の街をそろぞ歩いたのでした。
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「婦人画報」5月号にて、西洋美術史家の木村泰司さんを取材しました。 2019/04/15



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発売中の「婦人画報」5月号にて、通常の私のお仕事とは少し領域が異なるのですが、西洋美術史家の木村泰司さんを取材しました。
今号の「婦人画報」は、「瀬戸内アート&イートの旅」を大特集。確かに、直島にはじまり、瀬戸内海の島々とその両岸には、アートの見どころがたくさんあります。その中で、木村さんには、徳島県・鳴門の“大塚国際美術館の使いたおし方”とでも言うべきお話をうかがいました。

実は、私、告白すると、「大塚国際美術館って、「モナ・リザ」とかジョットとかルーベンスとか、西洋のあらゆる名画を陶板画で再現しまくってる、要するに“まがいもの美術館”でしょ?そんなところへ行って何の意味があるんだろう?それより一作でも本物を見た方がいいでしょ」‥と思っていた口でした。
しかし、木村さんのお話を伺って目からウロコ。なるほど、まがいものだからこそ集めに集められ、だからこそ見えて来るものがあるのだということが分かるのです。
更に、名作にただ感じ入るだけではなく、「この絵のここに、こんな面白い鑑賞ポイントがあるんだよ」という隠し味のような見方も教えていただき(上の写真の左側でご紹介しているページがその部分に当たります)‥もう、ずっとお話を聞いていたい!という楽しい取材になったのでした。
皆様、ぜひ記事を、そして瀬戸内海特集ご高覧頂き、そして、次の旅行候補地に、瀬戸内アートの旅を加えてみてはいかがでしょうか♪

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着物をシェアする時代の到来?――「クロワッサン」誌にて、美容家の吉川千明さんを取材しました。 2019/04/05



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マガジンハウス「クロワッサン」での連載「着物の時間」、今月は、美容家の吉川千明さんを取材しました。
吉川さんと言えば、コスメフリークの方、また、オーガニックライフスタイルに詳しい方はよくその名をご存知かと思います。日本でいち早く自然派化粧品の紹介を始め、特に、ジュリークの日本進出を推し進めたことで知られます。
その後は、漢方クリニックや、更年期障害を乗り越えるための啓蒙活動にも従事。女性が楽に、健康に生きるための方法を切り開いて来たパイオニアと言える素敵な方です。

そんな吉川さんは着物が大好き。そして、紬好きで素敵な紬をたくさん持っていらっしゃると聞いていたため、取材を申し込んだのですが‥意外なことに、染めの着物、それも、小紋ではなく訪問着系、しかもしかも、「レンタル着物で登場したい」と仰るのです。
…一体その訳は?というところは、ぜひ記事で読んで頂きたいのですが、「着物をシェアする時代」を語る吉川さんの先見の明は、自然化粧品や、更年期障害を当たり前に語る時代がやって来たように、少し先の未来に実現するかもしれません。ぜひ、本屋さんで、インターネット書籍で、ご高覧下さい。
     *
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今号の「クロワッサン」は、「部屋が整うと、心も体もスッキリする」という片づけの特集。
単に片づけにとどまらず、「おしゃれな片づけ方」の知恵がいっぱいです。こちらもぜひご高覧下さい!

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