西端真矢

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幸運の空~~子宮体がんロボット手術回復記 2023/08/01



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昨日は、退院後、初めての通院だった。
手術から一ヶ月。このタイミングで傷の経過を見るのが標準らしい。大量の患者でごったがえす一階ロビーを通り抜けると、戦地再訪の思いがするのだった。

婦人科の診察室で名前を呼ばれ、再び大股開きのあの台に座る。座り方など、もうベテランの域かも知れない。股の間から腹部へエコーカメラが入り、ライブ映像を先生が確認していく。子宮、卵巣、卵管、リンパ節。それらの臓器が切り取られた箇所は、すべてきれいに傷がふさがっているということだった。

その後、台から降りて、ベッドへ移るように言われた。お腹表面の切開痕を目視確認するという。
ロボット手術では、おへそのラインに五つ、等間隔で直径2センチほどの穴を空け、そこからロボットアームが入り、切った貼ったを行う。
だから、今、私のお腹には、惑星直列のように五つ手術痕が並んでいる。ちなみに中心はおへそだ。おへそからもアームを入れている。五つともしっかりふさがっているということで、続けて抜糸を行った。左の四つの穴は溶ける糸で縫われていて自然に体に吸収されつつあるが、一番右の穴だけは、老廃物を体外に出すために、術後、ドレーンという管を入れていた。
その穴だけは、退院前日に普通の糸で縫合したため、今回、抜く必要があるのだ。チクリとするのを我慢。3本の糸が無事体から抜け出て行った。

     *

そして、椅子へと座り、今日のハイライト、病理検査の結果説明が始まった。いよいよだな、と思う。この一ヶ月、ずっと案じ続けていたことだった。さすがに胸がドキドキしていた。
実は、子宮がんの治療は、手術が最終地点ではない。
摘出した子宮、卵巣、卵管、リンパ節は、術後すぐ病理部へ送られ、がんの進行がどの段階にあるのか、細胞レベルで精査されるのだ。その進行タイプによっては、潜在的な転移の可能性があり、予防のために抗がん剤治療を行わなければならない。だから、手術でがんを取りました!きれいさっぱり大団円!とはならない。

よく知られているように、抗がん剤は、がん細胞だけではなく健康な細胞も一部破壊してしまう。その結果として強い倦怠感や食欲不振、髪が抜けること‥‥多くの重い副作用に苦しむことになる。
非常な勇気を振り絞ってつらいつらい手術を乗り越えたのに、また同じほどにつらい治療が始まるのだ。どうか受けないで済むように。誰だってそう願うだろう。

‥‥それでも、覚悟はしていた。
医療用ウィッグのウェブサイトを閲覧して、このかつらならいいかも、とブックマークまでしていたし、愛する猫のチャミをまたもや留守番のストレスにさらすことを思うと、入院ではなく、通いで抗がん剤治療を受ける!そんなことも考えていた。

幸いなことに、結果は最良のものだった。
私の子宮の表皮は22ミリの厚さだったそうだが、がんの進行は、わずか1ミリまで。リンパ管、リンパ節への浸潤もまったく見られない。正真正銘に最初期のがんだということが、ようやく科学的に確実になったのだ。よって、抗がん剤治療の必要も、ない。
「良かったですね。今後は2ヶ月に一度、定期診察を行います。血液検査やCT検査で再発がないかをしっかり監視していきます」
そう先生がおっしゃり、深々と頭を下げる。訊くのを忘れてしまったが、この定期診察は、たぶん5年間続くはずだ(どの医療サイトにもそう書いてある)。もちろん、再発の可能性はある。これからの人生を常にその可能性を抱えながら生きていかなければならない。けれどとにかく、ただちに再び苦しい治療に入ることは免れたのだ。

     *

病院を出ると、夏らしい澄んだ青い空に、ぽこぽこと白い雲が浮かんでいた。その広い空の中へ、深い安堵の気持ちが吸い込まれていく。
けれど、同時に、同じ手術をして、ここから更につらい治療に入る人もいるのだということに思いが向かう。これまで苦しかったから、その人たちの苦しさを思うと、ただただ嬉しいと単純に喜ぶことは、もう出来ない。

屋上から、ドクターヘリが旋回して飛び立って行くのが見えた。
どこか、この近くに、今この瞬間、生きるか死ぬか、命の危機に直面している人がいるのだ。手術の日、自分が、手術室の銀色の天井を見つめながら、生きるか、死ぬかだと思った、その時の気持ちが不意によみがえった。ここから先、もう自分に出来ることは何もない。自分の命を医師団という他人に預けるしかない。どうして自分はこんなことになってまったのだろう?――あの、風に吹かれる一本の草のような、よるべない無力感がよみがえる。
とにかく、これからまだしばらくは、そのような命の危機を免れた。自分の幸運に感謝しながら傷をかばい、ゆっくり、ゆっくりとタクシー乗り場までを歩いて行く。ドクターヘリの爆音が空を遠ざかって行く。