西端真矢

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神楽坂にて取材と、新しい茶道扇子 2015/06/30



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今日は朝から神楽坂にて、或る素敵な方の取材。
とても楽しく終了して、毘沙門天近くの椿屋さんへ。ここの茶道扇子には夏の柄があるので、来月の氷点てのために撫子柄を購入。
実は、以前もこちらで朝顔の柄の茶道扇子を買っていたのですが、どういう訳か扇子好きの我が家の白猫チャミが、ガジガジ噛んでダメにしてしまったのです。
これで新しい扇子を確保出来、一安心。
この後は根津美術館へ、「江戸のダンディズム」展を見に回ります。
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友を送る茶会に、オリジナルの主菓子をあつらえて(お菓子&きものコーディネイト写真付き) 2015/06/24



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先週末、通っている茶道の教室で、大切な茶会がありました。
私たちの会は、美術史家の先生に茶道のお点前とお道具について教えて頂いているのですが、発足時以来の古参男子メンバーMさんが、ご家庭の事情で故郷へと帰ることになったのです。
そこで、心づくしの「名残之茶会」を開くことになりました。お点前が安定していて美しい方は、炭点前やお濃茶など、お点前の担当に。すぐ順番を間違えてお点前はダメダメ劣等生の私は、お菓子の担当です。そう、この日の茶会に出すお菓子をどこのお菓子舗に注文するのか、どんな題材のお菓子にするのか、総てを決める権限(と責任)があります。

          *

そこで散々に知恵を絞りました。
現在、盛りの花は、例えば紫陽花。或いは、梅雨入りしたということで、雨や水、傘などをモチーフにしたお菓子も良いかも知れません。けれど、この日は友を送る「名残之茶会」。何か私たちの会にちなんだものか、Mさんにちなんだものにしたい。私の仕事は文筆業で、いつも「話の流れ」ということに頭を使ってお金をもらっているのだから、ここでストーリー性のあるお菓子を作れなければ名折れというものではないか!
‥と、しばし悩んだ末、妙案が浮かびました。それは、「銅鑼」をモチーフにするというものです。しかし、何故銅鑼なのか?
下の写真は、淡交社「原色茶道大事典」の中の「銅鑼」の解説写真を撮ったものですが‥↓
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このように、黒や茶色の鉦(かね)で出来た合図を鳴らす道具が、銅鑼である訳です。
実は、茶道では、銅鑼は大切なお道具の一つです。
正式な茶事の際に、途中で休憩時間のような「中立ち」という時間があるのですが、その「中立ち」が終わって「また茶事の続きを始めますよ。どうぞ茶室にお入りください」と呼びかける、その合図に銅鑼が使われるのです。
そんな銅鑼を、どうして今回の「名残之茶会」のお菓子のモチーフにしようと思ったのか?それは、過去の茶道の歴史の中に銅鑼にまつわる、或るエピソードがあったためです。

           *

江戸時代後期に当たる安永・文化期、表千家第七代如心齋の愛弟子に、川上不白という方がいました。後に江戸千家の流祖となる方です。
この不白は三十代の初めに、江戸の或る大名より「千家の茶を江戸でも教えてほしい」と出仕の要請を受けました。師である如心齋は愛弟子を手放したくはなかったでしょうが、大名の要請とあれば受けない訳には行きません。そこで、万感の思いを込めて、いよいよ不白が京都を旅立つ日、「名残之茶会」を開くことにしました。
この茶会で、如心齋はちょっと変わった銅鑼の打ち方をします。七回打つことと決まっている「中立ち」後の銅鑼を、敢えて一回少なく打ったのです。そして、いよいよ茶事が終わって不白が茶室を離れるその瞬間に、最後の一打を打ったといいます。
これは、恐らく次のようなメッセージをその裏に込めているものでしょう。「今、私たちは別れ別れに暮らす時を迎えたけれど、またいつかきっと再会して茶室に集い、共に茶を楽しもう」‥何とも深い、惜別の思いを込めた銅鑼の使い方であると思います。
     
           *

「茶道は決まりごとばかりだから嫌い」と言う人がいますが、それは非常に浅薄な理解に過ぎないと私は思っています。
まず、決まり事をしっかりと、自家薬籠中のものにする。その上で、自分の心からの思いや思想を表現するために、その決まり事を自由な発想で駆使すること。そこに茶道という高等な遊びの本質があると思うのです。

           *

いつの日かの稽古の折りに先生から教えて頂いていたこの如心齋と川上不白との銅鑼のエピソード。今正に同門のMさんを送ろうとする私たちの茶会でお出しする主菓子に、ふさわしい主題となり得ると思いました。
しかし、銅鑼のお菓子など、どこのお菓子舗も作ったことはないでしょう。当然これは、新たに特注で発注するしかない。では一体どこにお願いしようか‥
そこで思いついたのが、このブログで5月7日にご紹介した、神楽坂「梅花亭」でした。
http://www.maya-fwe.com/4/000350_J.html
この時は、きものイベント「わーと日本橋」に出掛け、会場内に作られた空中茶室での茶会に参加しましたが、その日のお菓子を担当していたのが「梅花亭」さんだったのです。空中茶室にふさわしい、成層圏や雲をイメージしたお菓子。こんな大胆な発想を持つお菓子処なら、きっと「銅鑼をモチーフに」というリクエストにも応えてくれるに違いない。
実は、「わーと日本橋」の後、ご主人の井上豪さんが私のおきもの友だちの元同級生だと知ったこともあり、何だかぐっと頼みやすくなった気もして、思い切ってメールをお送りしてみました。すると、快く「やりましょう」というお返事。何とも嬉しい瞬間でしたが、一つだけ心配だったのが、銅鑼は何と言っても茶色や黒と地味な色合いで、茶会の菓子としてあまりにも華がないことでした。
そこで、
「ばちの柄には赤を使うことが多いようなので(先ほどの解説写真のバチでも赤を使っています)、茶色の銅鑼の上に、赤いバチが置いてある意匠ではどうでしょうか?」
と提案してみました。しかし、私のこの素人くさいアイディアは直ちに却下(笑)。確かに今になって想像してみると、小学生が家庭科の時間に作るお菓子のようで、まるで大人の茶会の品格がありません。
十日ほど、試作を試みて頂いていた後、「梅花亭」井上豪氏のオリジナル作品として、下の写真のような銅鑼のお菓子が完成しました。
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色は、格調高い白。万感の惜別の念を表して、一片の金箔がその上を飾ります。友を送る私たちの心の中で鳴る銅鑼の音を象徴化する、素晴らしいお作となりました。銘をつける権限も与えられている私は、「名残之音(なごりのね)」としたことを書き添えておきます。

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この日の茶会は万事滞りなく進み、お点前をする人は心を込めて、先生のお道具組も格調高く惜別の念がこもり、また、門人全員からMさんに贈った茶道具一揃えの中のお棗は、蒔絵も学んでいる仲間による手ずからのものでした。
もちろん、お菓子も大変に好評で、そして、先生よりこのお菓子の由来を説明する口上を申し付けられた私は、先ほど書いた如心齋と不白のエピソード、そしてMさんを送る思いとを、五分ほどの時間をかけて心を込めてお話ししました。Mさんや他のお仲間が涙ぐんで下さったので、きっと成功していたのではないかと思います。

          *

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そんな素晴らしいお菓子を作って下さった井上豪さんと、茶会前日、お菓子を受け取りに行った際に撮ったのが上の写真です。
神楽坂「梅花亭」は昭和十年の創業。神楽坂駅に近い店内はいつもたくさんのお客様でにぎわっています。神楽坂ポルト内にも支店があり、実は私は以前から、度々、おまんじゅうなどは買い求めていました。お菓子にはうるさい甘党の私の厳しい~舌にかなうお菓子処です!
その秘訣の一つは、お菓子の皮に合わせて餡の豆を何種類にも炊き分けていること。私たちの茶会の日のお味も、もちろんびっくりするほど美味しいものでした。大切な茶会のお菓子をこちらにお願いして、本当に良かった…!
  
          *

最後に、蛇足のようですが、私のコーディネイトを楽しみにしてくださっている方もいらっしゃるので(ありがとうございます!)、帯に寄った写真も。
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この日のおきものは、村山大島の単衣。とんでもなく精緻な板締めで、燕などの文様を表したものです。今、一番気に入っているこちらのおきものについては、また別の回に詳しくご紹介したいと思います。
帯は、祖母から伝わった八寸名古屋帯。破れ七宝模様のこの帯に、明るめの黄色の洋角組帯〆を入れています。
茶会当日のきものは、また別の回に。
今はとにかく、心血を注いだお茶会が無事に終わり、心からほっとしています。大切な友を送り出すのは寂しいものですが‥

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喪の日のきものと、厳しかった大学時代恩師の思い出(コーディネイト写真付き) 2015/06/19



少し前のことになりますが、大学時代の恩師が亡くなり、お通夜に参列しました。
きものブログはたくさんありますが、あまり喪の日のきものを採り上げる例はないように思うので、今日は、ご参考になればと写真付きで書いてみました。そして、亡くなった恩師――とても厳しい先生でした――と、先生のもとで真剣に学問に取り組んだ大学時代の思い出も、少し。

     *

この日のお通夜は、キリスト教式で行われました。私はミッション系の上智大学の出身で、先生は教授であり、神父様でもあった方です(私自身は無宗教です)。大学内のイグナチオ教会という、講堂のような大きな教会が会場でした。
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上の写真が、当日に着た喪服です。
一般に、お通夜はお葬式よりも略式で構わず、とり急ぎ駆けつけた気持ちを表せば良いとされているかと思います。私もこの日は、色喪服で参列しました。
この色喪服は友人のお祖母様の遺品を頂いたもので、ひげ紬のようなひげが出ていますが、やわらかものです。色は、紫がかった茶色のような、何とも言いがたき色(この写真と、下にもう一枚出て来る写真の中間の色目です)。八掛には黒を入れており、紋は入っていません。
そして、帯は、喪服用の唐花文様す。これに、黒の帯揚げと帯〆を入れました。
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↑会場に着くまで、帯付きの喪服姿で街を歩くのもどうも気持ちが落ち着かず、上の写真の羽織を羽織っていました。こちらは私自身の祖母から伝わったもので、般若心経柄。背には一つ紋が入っています。
般若心経は、全ての仏教会派に共通するということで、よく喪服の模様として使われているかと思います。ただ、この日はキリスト教式だったため、会場の敷地の20メートル前程で脱ぎ、持参した黒布の手提げ袋にしまっていました。そして式が終わり、敷地外に出てしばらく歩いてからまた羽織ります。
髪は後ろで一つに束ね、その束ねた所を黒いリボン付きのバレッタで留め、バレッタの先に付いているネットの中に入れ込みました。たまたま家にあった、このような黒リボン付きのバレッタは、一つ持っているとふだんにも、そして今回のような機会にも役立つと実感しました。
以上、お通夜の日のきものについて、皆様のご参考になることがあれば幸いです。

        *

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ここからは、亡くなった恩師と、その恩師の元で過ごした日々を振り返って綴りたいと思います。(上の写真は、式が行われたイグナチオ教会)

この日、最後のお別れをしたエセイサバレナ先生は、享年九十歳。スペイン、バスク地方のご出身でした。
バスク地方は、ご存知の方も多いかと思いますが、一応スペインに属してはいますがフランス国境に近く、独自の文化を誇り、スペイン語ともフランス語とも異なる、バスク語という言語を話します。独立運動も度々うねりを見せる地域のようです。
そんな複雑な地域で生まれた先生は、若くして信仰の道に入り、はるか歴史の昔のフランシスコ・ザビエルと同様、全く縁もゆかりもない東の小国へと派遣されることになりました。その信仰の心はどれほどまでに強く、純粋だったのだろうと思います。

          *

しかし、私たちが教えを受けていた頃、既に七十歳を迎えられていた先生は、ひたすらに真面目で実直な信仰の人、と言うにはかなり違う、独特の風をお持ちでした。柔らかな言葉で言えば、ユーモアの人、強い言葉で言えば、かなりの皮肉屋‥
実は、先生に教えを受けていた頃、私は先生をひどく憎らしく思っていました。私が学んだ哲学科は、全体的に真面目な校風の上智大学の中でも特に学問に厳しく、大学1・2年の間、毎日1限目に設定された第一外国語の授業(必修)に、年間で3回遅刻すると、即、留年となりました。遅刻だけで留年。相当に厳しい方ではなかったかと思います。

そんな上智の哲学科は、伝統的にドイツ哲学が強く、ほとんどの同級生は第一外国語にドイツ語を選択していました。その中で、七名だけ、変わり種のラテン語専攻の仲間がいて、実は、私もその一人です。そしてエセイサバレナ先生は当時、ラテン語の担当教授でいらっしゃったのでした。

          *

ラテン語というのは、要するに、日本語で言うところの古文であり、現在、ヨーロッパ生まれのヨーロッパ人にとっても十分に難しい言語です。もちろん、現実生活で使い機会は全くと言っていいほどありません。

この言葉の難しさは、活用にあります。
何しろ、動詞はもちろんのこと、名詞、形容詞までいちいち総ての語が活用をするのです。しかも、単数形・複数形、男性名詞と女性名詞があり、時制は一体いくつあるのやら‥要するに、一つの文章の主語、動詞、形容詞、目的語‥に全て活用があり、しかもその時々の時制や数量に合わせて正確に活用していなければならい。‥そんな気が狂いそうに複雑な言語でした。
しかも全くのゼロから始めているにも関わらず、何しろ毎朝1限に授業があるために文法だけはどんどん前に進み、半年もすればもう、あのローマの雄弁家キケロの原文を読む、という恐ろしくレベルの高い授業が行われていました。

‥が、そのようなハイスピードのため、当然どうしても覚えられない活用や、読み取れない箇所が頻出するようになります。私たちは日々の宿題や授業中の指名の度に頭を抱えることになった訳ですが、そんな時エセイサ先生は決まってこう言いました(日本語で)。
「キケロのおばあちゃん」
これは一体どういうことかと言えば、あれこれ考えてみても仕方がない。語学には、何故こう活用するのか、何故この発音なのかという問いに対して、理由など何もない。キケロも、キケロのおばあちゃんもみんなこう喋っていたから、こう喋るんだ、ということを意味しています。
語学というものの真実をたった一言でユーモラスに言い当てている名句だと思うのですが、けれど、当時、留年におびえながら活用に頭を悩ませている時に微笑混じりに言われれば、どうにも憎らしく腹が立ったものです。一体、私たちラテン語組は2年間で何回この「キケロのおばあちゃん」を聞いたでしょうか。

          *

式の後、その仲間たちで、なつかしい四谷の街で食事をしました。
みんなが口々に「ほんと、あの頃のエセイサは憎らしかった」と言い、当時から夜型だった私は毎朝1限ギリギリに飛び込んでみんなをはらはらさせていたこともぼんやりと思い出しました。
『パパラギ』『蠅の王』『夜と霧』など、1年次の必修授業「人間学」で読んだ課題図書に、今になって思えば非常な良書が選ばれていたことや、そのためみんなが内容を鮮明に記憶していること、確実に今の自分たちの思考の血肉になっていることにもまた気づかされ,、それぞれが書き上げた卒論についても話し‥と、話題は尽きることがないのでした。

          *

けれど、ざっくばらんに言ってしまえば、今、そんな私たちの中で、ラテン語の知識を役立てられる仕事に就いている人は、一人もいません。あまりにも複雑なラテン語のあの活用文法は、その複雑さの故に今はきれいさっぱり脳髄から消去されてもいます。では、あの時間は無駄だったのか?と問えば、そこはそうではないように思うのです。
私たちが大学に入学した頃は、まだバブルの花が最後の腐臭を放ちながら、かろうじて咲き誇っていた浮かれ時代の最終章。そんな時代の空気の中で哲学を学ぼうなどという人間は、子ども時代から何らかのやむにやまれぬ哲学的命題に頭を悩ませ(例えば、「“本当に理解する”とはどういうことか」「1+1は何故2なのか」などなど…)、それを何とか解き明かしたい、そういう、切迫した決意を持って入学を決めたはずです。少なくとも、私はそうでした。
けれどそんな人間にとっても、禅問答オンパレードの哲学書を読むことはやはり相当に難易度が高く、非常な根気が必要とされる出来事でした。
だからこそ、一切甘えのきかない態度で私たちの前に立ちはだかったエセイサ先生をはじめ、上智哲学科の、キリスト教ならではの生真面目な環境が役立ったと思います。すぐに落第、留年となってしまう環境では怠けることは許されず、カントでもデカルトでもキルケゴールでも、課題となった哲学書を線を引き引き読み通さざるを得ない。それが4年間続くことで、もともと持っていたそれぞれの論理的な傾向が徹底的に磨きをかけられ、血肉化し、卒業して20年を経た今、仕事をする上での大きな武器になっていることは、その夜集まった全員の共通認識でした。
もちろん、こういった理論的傾向は、問題解決を最後の最後では情緒で紛らわしがちな日本社会においては、「理屈っぽい」と摩擦を引き起こすこともあります。
けれど、どのようなことでも、中途半端が最も意味がない。4年間で磨き上げられ、とにかく、抜けのない論理的思考方法を持てるようになったこと。それをどう使いこなすかは、それぞれの謂わば人間力次第であり、また別の話なのだと思います。
「キケロのおばあちゃん」とエセイサ先生に憎らしく微笑まじりに言われたこと。
それは今になってみれば、たまらなく心楽しい思い出です。そう言えるほどには私たちが成長したことを伝えたいと思った時、もう先生はここにいないのでした。
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我が家の庭の巨大紫陽花 2015/06/14



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我が家の庭の紫陽花が、巨大な花をつけました。
どれくらい大きいか、比較のために母のガラパゴス携帯を横に置いて撮ってみましたが‥何だか別の花のような巨大ぶりです。今にもパンっとはじけそう。
この紫陽花の木は、15年程前、どうしてか庭の片隅に自生していたものを父が植え替えたところ、立派な木へと成長しました。とは言え、大きな花をつけたのは、今年が初めてです。紫陽花の木の樹齢を知りませんが、今が盛りの時なのかも知れません。

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人生を左右する“頭にピッタリの枕”問題について 2015/06/10



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何やらこんまりさん風の題名をつけてみた今日のブログなのですが、皆様、毎朝の目覚めは快適でしょうか?
実は私、枕にはとてもうるさい人間です。
どのくらいうるさいかと言えば、小学校低学年にして既に「枕が合わない!」と日夜親に訴え、困った父親が特製枕を作ってくれたほど、枕には一家言持っておりました。これから詳しく書きますが、これまでに渡り歩いた枕の数は相当数。枕放浪記が書けそうな勢いです。

☆枕の合う合わないは、体型に起因する
では、どうしてこれほどまでに枕に敏感体質なのか?どうやらそれは、私の体型に起因しているようです。
これまでに複数の枕アドバイザーさんに指摘されたのですが、私の体型は、背中のS字湾曲がかなり大きめ。そのため、お尻側と上手くバランスを取って頭側からこの深めのカーブを支える枕を見つけることが、難しいようなのです。
私の身長や首の長さ、肩の厚みから言って、「標準的にはこのくらいの枕が良い」という高さがあるようなのですが、どうもそれでは高過ぎる。事実、これまでに枕アドバイザーさんからお薦めされた枕は、どれも合いませんでした。
また、売り場では必ずサンプルの枕に寝てみるのですが、そのような試し寝も役に立ちません。その場では、「これなら大丈夫そう!」と思って購入しても、家で使ってみるとNG。どうやら、寝心地というものは枕だけで決まるのではなく、ベッドの固さも影響するらしい、ということも、最近になって知りました。
つまり、このようなことが結論されます。理想の枕とは、「枕自体の高さ・素材が体型に合っていること×ベッドの固さが適した時」に誕生する。何とも、難しい。

☆過去、二度の枕問題深刻化を体験。現在、三度目に遭遇…
そんな枕問題の難しさを、恐らく体型のせいで早くも小学生の時から実感せざるを得なかった私である訳なのですが、この時の枕騒動は、冒頭にも書きましたように父のお手製枕が解決してくれました。
その後、後に詳述しますが、三十代で二度目の深刻な枕問題に突入。更に四十代のごく最近、実は人生三度目の枕騒動が勃発してしまいました。今、この問題がなかなかに深刻なのです。

☆枕は厚い派?薄い派?
そもそも皆様は、厚い枕派でしょうか?薄い枕派でしょうか?
私はダンゼン“薄い枕派”です。よく、ホテルに宿泊すると、「これはもしや…?クッションなのでは?」と思うほどに分厚い枕が、しかも二段に重ねられて豊乳自慢の女性のように、今にも中綿をはち切らせんばかりにして並べられています‥が、あのような枕で寝ることは私には、到底考えられません。
実は、若かりし頃、試しにホテルの枕にそのまま寝てみたことがあるのですが、翌朝、ベッドから起き上がって一歩歩き始めたとたん、「も、もしかしたら私の首‥もげた?」と勘違いするほど、例えて言えば頭と首が左右にずれた状態でかろうじて糸一本でつながっているような、とてつもない不快感に襲われました。しかもその不快感は一日中続いたのです。
以来、私がホテルの部屋に入ってまずすることは、おしゃれで見栄えの良い分厚い枕をベッドからぜーんぶ取り払うこと。そしてバスルームからタオルを持って来て、三つ折りして枕代わりにして寝ています。これだと多少低過ぎではあるのですが、数日の旅行の間なら何とか過ごせます。
また、ホテルによっては、フロントに問い合わせてみるとそば殻枕を用意している所もあります(何と、中国のホテルでも用意していました)。そば殻のものは、ホテルによってはかなり薄いタイプがあり、完璧ではないもののしのげることも多いため、愛用している次第ですす。

☆お金をどぶに捨てた十の枕
こうして子どもの頃から常に枕に!問題意識を!持って来た私。
ここで、今日のブログ冒頭の写真を再び掲載するのでご覧ください↓
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枕が六つ、積み重なっています。実はこれらは9年前、三十代の頃の私が、人生二度目の“枕騒動”で悩んでいた頃にあれこれ買ってみては頭に合わず、お蔵入りとなってしまったもの。
現在手元に残っているのは写真の六枕なのですが、この他に、まだ三つか四つほどありました。それらは、或る時、フリーマーケットに、
「一度だけ使って頭に合わなかった枕です。たった一度しか使っていないのでとてもきれいです。100円でどうぞ」
と書いた紙と共に並べておいたら、お嫁に行ってくれました。しかし、まだ六つは残っていて、家の押入れを占領しているという訳です。(どなたかほしい方、いらっしゃらないでしょうか?もちろん無料で差し上げます!)

☆三十年間愛用した父の手製枕の優秀構造
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この二度目の枕騒動の頃、私は三十代の半ば。それまでは、何と冒頭に書いた小学生の頃に父が手作りしてくれた特製枕を、三十年近く使い続けていました。
それがどんな枕だったか、私のように枕問題で悩んでいる方のご参考のために、ちょっとご説明したいと思います。(上の図もご参考下さい)
1)お布団の中綿に入れるようなほわほわと柔らかい綿を、
2)やはり柔らかめでかなり薄手の、伸縮性のあるナイロン布で作った袋に入れて閉じ、
3)更に、頭が載る辺りの場所にそば殻を入れた袋を、横長に縫い付けたもの。
このそば殻袋の寸法は、縦は、大体頭の長さと同じ。横幅は、頭より5センチほど左右に出たものでした。
つまり、頭の重みをまずそば殻袋で受けとめ、しかも袋の底が直接マットに着くのではなく、一旦綿で柔らかく沈み込むように受け止める構造。これが、私の深めのS字湾曲体型に非常にマッチしたようです。似たような体型で悩んでいる方はゼヒ試してみて下さい。
どうやって父がこの形にたどり着いたのか、もう本人も覚えていないそうなのですが、とにかく非常に調子良く、三十年間使い続けることになりました。

しかし、万物は流転し、形あるものは必ず壊れる。これほど素晴らしかった父の手製枕も、9年前、ついにそば殻部分の袋が破れ始め、ぼろぼろとこぼれ出るようになってしまいました。30年も使い続けていたのだから、当然のことです。
そこで修復を施して、同じ枕を維持しながら使い続ければ良かったのに…と今になっては思うのですが、まさか自分がそこまで枕にうるさい人間だとは、その頃は想像出来なかった私は(何しろ前回の枕騒動が小学生のときだったので‥)、結構簡単に次の枕も見つかるだろうと、その手製枕を惜別の想いにかられながらも処分してしまったのです。

☆三十代、枕放浪記第二章始まる
ところが、それから、買っても買っても、頭にピッタリ来る枕が見つかりません。その結果が先ほどの六枕写真なのですが、全部で十個ほど買っては無駄となり、その中には1万円台後半のお高いものから3千円ほどの手頃のものまで、中身も、そば殻からウレタン、天然綿、ポリエステル綿、ビーズ‥実に様々なものがありました。
基本的には、どれも「最も薄い」サイズのものを買っているし、先ほども書いたように枕アドバイザーさんのお薦めを買ったり、売り場で試し寝もしているのですが、総て、合わない。もう、朝、起きてベッドから降りた瞬間に、「く、首が、もげてる…」状態となり、お金をどぶに捨てたことが分かるのです。
そんな中で、素晴らしいと思ったのは、テンピュールでした。
実はテンピュールの枕も「もげてる…」状態になってしまい、私には結局合わなかったのですが、あのブランドには、貸出制度があります。確か千円ほどで2、3日借りることが出来、自分に合うか合わないかを判断することが出来ました。かなり高額な商品だということを考慮しての制度なのでしょうが、すごく良心的な会社だなと思ったことを覚えています。

☆幼児用枕に落ち着く
そんな人生2度目の枕騒動に遭遇して十個ほどの枕を無駄買いした9年前、結局たどりついたのは、幼児用枕でした。
何だかかなり情けない話なのですが、ものすごーく薄い、二、三歳児用の枕です。中にはポリエステル綿が入っていて、厚みは2センチほどだったでしょうか。
これは、フェリシモのカタログで偶然見つけたもので、それまでに十個分トライしていましたから、もう、すがるような気持ちで、ダメ元で買ってみたものでした。値段は確か3千円ほどのお安いものだったと思います。
ところが、これが、劇的にピッタリと来ました。起きた時に、普通に、首と頭がつながっている!幼児用だって笑われたっていい!フェリシモさん、ありがとう、ありがとう!そんな気持ちでした。
‥この時、一生困らないように、4、5個まとめ買いをしておけば良かった、と、今となってはまたまた後悔の念に襲われます。何しろ一つ3千円ほどだったのですから、五つ買っても1万5千円。何故買っておかなかったのか‥そう、その枕は今、販売されていません。
そして9年を経た今、さすがに中綿がへたって薄くなり過ぎ、一月ほど前からでしょうか、“人生三度目の枕騒動”が勃発してしまったのです。

☆たとえ薄枕派でも、「薄過ぎ」はダメ
今度の枕問題は、これまでの「厚い」問題とは逆に、許容範囲を超えて綿が薄くなり過ぎたことが原因です。
本当は、このフェリシモ幼児枕の現在の状態をお見せしたいところなのですが、あまりにへたれ過ぎていて何とも悲しくみすぼらしく、私のありもしないかも知れないパブリックイメージに関わるため、非公開とさせて頂くことをお許しくださいっっ。
‥と、それほどにぺちゃんこになっているのですが、枕は、「厚過ぎる」場合には再三書いたように、首がもげる系の不快感に苦しみますが、「薄過ぎる」場合は、背中が痛み出すことが今回分かりました(そんなこと分かりたくなかったのですが‥)。
どうも1か月ほど前から背中や肩が痛み、次第にきものの帯を結ぶために後ろに手を回すこともつらいほどに。ちょうどその頃、階段で足を踏み外して転倒していたためてっきりそのせいだと思っていたのですが、「どうも枕が薄いような気がする」という違和感もあったのでバスタオルを二つ折りにして枕の上に重ねてみたところ、翌朝、きれいさっぱり痛み解消。手をぐるぐる回しても痛くない!そうか、転倒ではなく枕が原因だったのか、と思い当たりました。

そこで、「ぺちゃんこ枕+バスタオル」方式で過ごそうと思ったのですが、何故かその翌朝は、また背中の痛みが戻っている。けれど翌々日とその翌日は大丈夫。でもその翌日は痛い‥
どうやら、その日その日のタオルのたたみ方や寝相、綿の寄り具合によって、微妙に高さが変わってしまうようなのです。これは、根本的に枕を買い替えなければいけない、と思い当りました。

☆四十代、枕放浪記第三章。新たに薄型枕を購入したけれど‥
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‥そんな訳で、現在、三代目枕購入問題に、文字通り頭を悩ませています。私は吉祥寺に住んでいるので、街に幾つかあるデパートや枕専門店、インテリアショップを行脚。半月ほど悩みに悩んだ末に、つい先週、私の枕コレクションに新たな一つが加わりました。それを撮ったものが、すぐ上の写真です。
寝具メーカー「ロフティー」から出ている最も薄いサイズで、下の寄りの写真をご覧頂くと分かる通り、ジュニア用。身長80~100センチのお子さんのための枕です↓
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身長80センチ用!何だか泣けて来ますが、背に腹は代えられない。いや、頭に首は代えられない気持ちです。
現在、この枕で寝て、四日目。快調です、と言いたいところなのですが、実は微妙に調子が良くないことを感じ取っています。ものすごく悪い訳ではないけれど、何となく、肩や背中が不調。明日あたり、背中に激痛が走るか、なつかしの「首がもげる感」が再び起こるような悪い予感もただよっています。ロフティーさんの枕がダメなのではなく、単に私の特殊体型と合わない。やはりまだ厚いのではないか?この枕から更に中の綿を抜き取り、自分なりの改造をして行くしかないのかも知れません。或いは、また幼児用枕を探すのか‥枕放浪記、四十代疾風怒濤編はまだ始まったばかりです。
大袈裟ではなく、健康を、そう、人生を左右する一大問題。
三十年以上前、初代の特製枕を作ってくれた父は、今回買った新しい枕ではなく、中綿のへたった二代目枕に手を加えて使い続ける方式を強く薦めています。そう、ここだけは過去の教訓を生かし、幸いまだ二代目枕は捨てていません。新たな枕放浪記は、どんな結末を迎えるのでしょうか‥旅はまだまだ続いています。

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「美しいキモノ」きもの着姿投稿サイト開始☆私も週末の単衣コーディネイトを二つ投稿してみました 2015/06/01



猫に噛まれた手の傷もほぼ癒えて着付けが出来るようになり、週末は土日とも、きもので外出しました。
そのコーディネイトを、ふだんならこちらのブログでご紹介するだけなのですが‥本日より「美しいキモノ」のきもの着姿投稿サイト「KIMONO SNAP GALLERY」がオープンしたということで、私も早速投稿してみました。良かったら、こちらのサイトからご高覧下さい。私の写真が二枚あります!↓
http://utsukushii-kimono.jp/snap/

この「KIMONO SNAP GALLERY」サイトは、携帯やPCから簡単に着姿スナップを投稿出来るもので、自分一人で撮ったものでも、お友だちと撮ったものでもOKということです。
お気に入りの着姿を見つけたら「いいね!」ボタンを押して応援したり、また、3カ月に一度、「美しいキモノ」編集部、木村孝先生、「美しいキモノ」で活躍されている着付け師やカメラマンの方…などなどが審査を行い、各賞の受賞者を決定。選ばれた一枚は「美しいキモノ」本誌に掲載のチャンスがあります。
また、各回の受賞者の中から年間特別賞に選ばれた方には、何と、帯!や和装小物の豪華プレゼントもあるそうです。ほ、ほしい‥。「いいね!」が多かった方には読者賞の授与もあるそうですよ。
      
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‥と夢が膨らんだところで、私のコーディネイト二つを、こちらのブログでもご紹介致します。土曜、日曜とも、この暑さですから、もちろん単衣で出掛けています。

塩沢(たぶん)の単衣で宮古上布勉強会へ

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土曜日は、宮古上布や結城紬のコレクションで知る人ぞ知る、千駄木の名きもの屋さん「工芸染色山ざき」へ、上布の勉強会に出掛けました。きものを愛するお友だちが企画してくれたこの会。店主の山崎さんと、十数名のきもの仲間でわいわい楽しく勉強会の後、その中の五人で撮ったスナップ写真です。
私が着ているのは、恐らく塩沢と思われる単衣の紬。友人のおばあさまの遺品を頂いたものなので正確な産地は不明なのですが、触ったかんじで、たぶん99パーセント、塩沢だと思っています。しつけがついたきれいな状態だったもので、本当にありがたい限り。ただ、おばあさまのものだったため色がとても地味なので、黄色の博多帯で年齢相応の若やぎを出してみました。帯は道明製。生成りがかった白の冠組です。
お友だちの皆さんのコーデも、それぞれ好みが出ていてとても素敵ですよね♪先ほども書きましたが、「KIMONO SNAP GALLERY」はこんな風に、お友だちとのコーデも投稿出来るのが楽しいなと思います。

単衣のぼかし柄付け下げに、組紐帯で

一方、日曜日は、お茶会の日の礼装コーディネイトです。
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「KIMONO SNAP GALLERY」には同じ場所で、正面から撮った写真を投稿していますが、ここでは、お茶会をご一緒した私の「茶の先輩」が別角度から撮ってくれたものアップしました。正面からの写真は、ゼヒ「KIMONO SNAP GALLERY」をご覧頂けたら嬉しいです!
http://utsukushii-kimono.jp/snap/

私のきものは、まだ五月、更にお茶会という場ではありましたが、単衣の付下げです。親しい人とのお茶会で多少ルール違反が許される状況だからということもありますが、何しろ30度近い暑さだったのですから、よっぽどの正式な席でない限り、もう無理に袷を着る必要はないと思っています。第一、見ている方も暑苦しいでしょうし!
ちなみに、土曜日から、襦袢も半衿も絽に。日曜日は帯揚げも絽に換えました。今後もこの暑さが続くのなら、10日頃から、もうきものも絽で良いのでは?と思います。熱中症で倒れたらバカみたいですものね。

着用した付下げは、鬼しぼ縮緬の単衣。縮緬は、収縮を心配して単衣に仕立てない方も多いかと思いますが、私は汗をあまりかかないこともあり、気にせず着ています。今のところ特に問題はありません。
ピンクがかった淡い卵色から鼠色までぼかしたこの色使いがとても気に入っている一枚です。
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全身写真では分かりにくいので、きものに寄ってみた写真が上の一枚。全身にわたって、観世水のような水紋が表現されています。
このきものに、昨日は、淡いピンク色の袋帯(格子模様)を合わせました。ひなや製の組紐帯です。
私はきものと帯を反対色にするコーディネイトがとても好きなのですが、昨日は何故だか淡め×淡めの色の取り合わせにしたかったのです。このコーデに、勝手に自ら「銘 霞み」と名づけてみました(≧▽≦)
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そんなぽわぽわっとしたコーデには、龍工房製の帯揚げのグレーとワインレッド色で、かすかなアクセントをつけて。帯揚げは、土曜日と同じ道明の白の冠組です。
     
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そして、上の二枚の写真は、この日のお道具組(の一部)と、お床を撮ったもの。韓国青磁の水指など、初夏の爽やかな風を感じさせて頂いたお道具組でした。
こちらの茶会は、料亭や寺院内の茶室ではなく、個人のお宅の茶室で開かれました。その方とはお茶を通じて知り合ったのですが、お茶を愛してやまず、ついにご自宅に茶室を作ってしまったとお聞きし、一度伺ってみたいと思っていたところ、今回お招きを頂いたものです。
気持ちの通じ合う、少人数の方々と、お濃茶とお薄のお席。は、何とも清々しく楽しいひと時でした。こういう機会にめぐり遭うと、お茶を学んでいて本当に良かったと思います。

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さてさて、話はまたきものに戻り、こうして楽しい時間とその日の着姿を「KIMONO SNAP GALLERY」に投稿してみた訳ですが、これから、全国のきものloverがコーディネイトを披露し合うことで、もっともっと着ることが楽しくなったらいいなと思います。
私もまた時々投稿するつもりですし、ちらちら覗きに行ってみようと思います。我こそは、と腕に、いや、きものコーデにおぼえのある皆様、賞を狙ってゼヒ応募なさってみて下さい!
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