MAYA from West End

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*日記は日本語のみで、翻訳はありませんが、時々全文中国語の日記も書きます。
*日記の写真はデジタルカメラと携帯のカメラで撮影したものであり、作品写真ほどのクオリティはないことをご理解下さい。「本気で写真撮る!」と思わないと良い写真が撮れない性質なのです。

*這本日記基本上用日文寫、沒有中文和英文翻譯。可是不定期以中文來寫日記。請隨性來訪。
*日記的相片都用數碼相機或手機相機來攝影的、所拍的相質稍有出入、請諒解。我一直覺得不是認真的心態絕對拍不出好的東西。
© 2011 Maya Nishihata
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やまと絵の本質とは何か~~ヨーロッパ、中国絵画との比較から 2023/11/22



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前回のブログで東博「やまと絵展」について簡単なレビューを書いた。その中で、特に愛する二点の作品があることも書いたのだけれど、何故その二点を特に素晴らしいと思うのか、もう少しきちんと書いてみたいと思う。
と言うのも、それはとりもなおさず日本美術の真髄とは何かということ、ひいては日本人の精神世界を考察することにつながると思えるからだ。20代の頃に紆余曲折、ヨーロッパと中国をうろうろしながら考え続けて来たことをまとめてみたくなったのだ。そう、二枚のやまと絵の傑作に背中を押されて。

はじめにその二点を改めて挙げておく。
一点は、金剛寺所蔵の国宝「日月四季山水図屏風」
もう一点は、東京国立博物館所蔵の重要文化財「浜松図屏風」
ともに室町時代の作品だ。
描きぶりから、日月図屏風が応仁の乱前後、浜松図屏風はもう少し後の時代、信長など、戦国の英雄がちょうど生まれて来る頃あたりの作かなと感じるが、私は専門家ではないので正確なことは分からない。
そして、作品の画像は今はネット上で簡単に得られるので画像検索して頂ければと思うし、何より実物を見に行って頂きたいと思う。ただ、今回の図録から、部分に寄った写真を撮って掲載しておく。本稿の主題に関わるので、これらの画像を覚えておいて頂けたらと思う。
    *
さて、ここで、20代の私のことを書いてみたい。
当時の私は大学で西洋哲学を専攻し、長期の休みにはフィレンツェやミラノにホームステイ、卒業後も仕事の合間に独学で西洋哲学の勉強を続けていた。当時父がローマに赴任していたこともあって度々イタリアを中心にヨーロッパ各地を旅して回り、だからヨーロッパの絵はよく見ていた方だと思う。
そのような生活の中で、ある日つくづくとため息をついた。ヨーロッパ人って、本当に、聖書とギリシャ神話しか描いていないな、と。
もちろん、近現代になれば違う。けれど大まかに言って17世紀後半までは、彼らは本当に聖書とギリシャ神話しか描いていない。特にフィレンツェに暮らして毎日毎日ルネサンスを肌に感じていると、どちらにもさして思い入れのない私は「Basta, grazie=もうお腹いっぱいです!」と叫びたくなってしまうのだ。そしてとても奇妙にも感じた。ヨーロッパの画家は何世代も何世代も同じ画題ばかり描き続けて、飽きはしなかったのだろうか? と。
美術を専攻していた訳ではないからこその素朴な疑問だが、更にこうも思った。ヨーロッパにはこんなに美しい森や湖や木や花や霧たなびく空があるのに、何故画家たちはそれを描こうとしなかったのだろうか、と。
もちろん、当時は画材も紙も貴重品だから、おいそれとは購入出来なかっただろう。しかし貴族や国王から注文があれば描けたはずだ。つまり、国王も貴族も自然を主題とした絵を求めていなかったということになる。

実は、我が家は母が日本美術史の研究者で、私は子どもの頃から日本美術に親しんで育った。今回の「やまと絵展」でも明らかな通り、日本人は古代より山や川や鳥や花を描きまくって来た。
もしも中世の日本人絵師が何かのことで嵐の日に流れ流されローマに住むことになったとしたら、ローマには七つの丘があるから、腕に寄りをかけて「五月オリーブ カンピドリオの丘図」あたりを描いたはずだ。そう、「吉野山図」の要領で。日本では常に自然が賛美され、最も重要な画題であり続けて来た。
ところがその自然を、1700年近くヨーロッパ人はうっちゃって来たということになる。いや、一応自然も描いてはいる。しかもその〝正確な再現〟を模索して、ついには遠近法を発明までして描いている。しかし、あくまでキリストやらマリアやらヘラクレスやらアポロやら誰やら彼やらが奇跡や戦いや覗き見やら何やらをしている、その後方の背景としてだ。ヨーロッパ絵画では、長く、自然は絵の片隅に押しやられていた。
    *
そのことに思い当たった時、確かローマのどこか回廊のようなところを歩いている時だったが、思わず立ち止まって、ああ、でも、それこそがヨーロッパなのだと思った。
ヨーロッパで暮らし、ヨーロッパ哲学を学んでいると、いたる所に〝絶対〟を感じる。
たとえば今、目の前にある木や石。それを作った〝神〟という絶対。それからもう一つ、〝イデア〟という絶対もある。
イデアはギリシアの哲学者プラトンが提唱した概念だ。今、自分の目の前にある木や石はどれも一個きりの個体だが、私たち人間の知性はそのような一つ一つの現実の個体を超越した〝木のイデア〟〝石のイデア〟を知っている。それは木を木たらしめる、石を石たらしめる存在の核心だ。だからこそ人間はたとえ百万個の石がそれぞれに違った形をしていても、どれも〝石〟だと認識出来る。ごく簡略化して言うとそのような考え方だ。

このイデアと神という二つの絶対が、やがて結びついていく。ギリシャ哲学とキリスト教は本来まったく別の時代に、別の場所で生まれた関連度ゼロの思想体系だったが、何人かの哲学者が出て融合させたのだ。
彼らはこう考えた。プラトンの言うイデアの中で、至高のイデアとは善のイデアである。そしてこの善のイデアこそ、キリスト教の神に当たる、と。ちょうど日本の中世期にお坊さんたちが神道と仏教を融合させて、天照大神は大日如来!と考えた、あの歴史の授業で習った「本地垂迹説」「神仏習合」と同じ思考操作だ。そして万物の中で我々人間だけがイデアを認識出来る。それは神から理性という恩恵を与えられたからである、と。
‥‥スーパーざっくり言うとこのように、ヨーロッパ人はギリシア哲学とキリスト教を融合させて世界をとらえて来た。そして彼らのこのような理性を至高とする精神のあり方が、絵画にそのまま表れていると思うのだ。
     *
ヨーロッパの精神に従えば、そこには一つの方向性が生まれる。
永遠普遍のイデアが上位であり、時が経てば消滅してしまう個別の個体は下位に属する。そのような上から下への方向性だ。だから木のイデアが上位であり、今、目の前に生えているオリーブの木は下位に属する。
或いは、理性を有し木のイデアをとらえることが出来る人間が、木よりも上位であるという方向性もある。木だけではない。鹿よりも熊よりも狼よりも、自然界のあらゆる万物より人間が上位である。人間は理性を持つ故に、自然の頂点に立っている。そのような、やはり上から下へ見下ろす方向性だ。
このような方向的精神は、自然を観察的に眺める。それは下位にあるものを系統立てて把握・支配しようとする理性の働きであり、また、偉大なる神がお創りになった自然を、可能な限りその神に近い視点で把握しようとする努力でもある。だからこそヨーロッパ絵画では、長く、自然は背後に押しやられたのではないだろうか。主題として賛美されるのは神でなければならないのだ。
    *
これは文学でも同様ではないかと思われる。
実は、私の父はヨーロッパ文学の研究者であり、専門はルネサンス期の文学だが、ギリシャから近代まで主要な文学作品を原書で読んでいる(ラテン語を含め、何と七か国語に通じているのだ)。
本稿を書くに当たり、その父とも話し合ってみたが、ヨーロッパ文学で、純粋に風景を叙述したり、賛美した詩は見当たらないという。「ホメロス」などギリシャの叙事詩、或いはペトラルカあたりも書いていそうに思ったが、必ず神や人間の営為とからんで叙述されているという。
万葉の昔から自然を愛で、歌に詠んで来た私たち日本人の精神世界との何と大きなくへだたりだろう。日本とヨーロッパ、どちらが優れていると評価を下したい訳ではない。ただただその差異に吃驚するのだ。
    *
やがてそんなヨーロッパにも市民社会が生まれ、教会の力が弱まるに従って、絵画の主題にも変化が現れる。まず、人間を主題とした絵が描かれるようになり、やがて自然も絵画の主題に据えられる。オランダやドイツでは17世紀後半から、フランスやイギリスに至っては、ようやく19世紀に入ってから。風景画の登場はつい最近のことなのだ。
しかし、そんなヨーロッパの風景画は、それでもやはり、プラトン以来のイデアの精神を内に有していると感じる。
ミレーは、コローは、そしてかつて背景として自然を描いたラファエロやダ・ヴィンチもそうだったが、目に見える通りに正確に、つまりは理性的に自然を描くことに多大な努力を払っている。正確性ではなく心に感じるように描くという態度は、ターナーや印象派の登場まで待たなければならない。ヨーロッパはひたすらに、理性的把握の内側で自然を再現しようともがき続けたのだ。
     *
ここで再び私自身の話に戻りたいと思う。ヨーロッパと日本を行きつ戻りつうろうろしていた私は、ある時、香港台湾映画に激しいショックを受け、突如中国留学を決意する。きっかけとなったのは王家衛の「天使の涙」という作品だった。
「ここには、余白がある」
スクリーンを見つめながら震える思いでそう感じた。それが衝撃の根源だった。そしてその衝撃が私の人生を一変させ、ついには中国に向かわせることになったのだ。つまり〝余白〟が私の人生を変えたことになる。
では、余白とは何か。それは、カットから次のカットへの時間の長短のつけ方から生まれる〝時間の余白〟であり、また、極端な広角レンズの使用が生み出した、文字通りの〝画面上の余白〟だった。私はそこに強烈な美を感じたのだ。

後から考えれば、それは、先祖返りだったのだと思う。そう、幼い時から親しんで来た東洋の美への回帰だ。
哲学を専攻したことからヨーロッパ美術にどっぷりつかることになり、10年近く、理性的に構築された美を見続けていた。その長い年月の後に突然、広角レンズによって極端に歪み、多くの余白をはらんだ不安定な画面構成を見せつけられた時に、その美の方を何百倍も美しいと思う自分がいたのだ。

日本美術、中国美術では、余白は自明の存在だ。
山を描き、滝を描き、その周りの他の山々や道や田園風景やらを描いてもいいが、別に描かなくてもいい。どーんと余白にしても何の違和感もないし、雲や霞をたなびかせ、もやもやもやっと処理しても構わない。日本では時に、その雲が現実には存在しないキンキラキンの金雲だったりもする。
私たちの美術には、見えた通りに、正確に、理性が把握する通りに完璧に描き出そうという意志が、そもそも存在していない。だからこのような描き方が生まれるし、むしろヨーロッパ的に画面の隅々まで正確に描けば、日本美術や中国美術ではうるさく感じられてしまうだろう。
そうではなくて、我々が描こうとして来たのは、山なり滝なりに心を奪われた時に見た者が受ける、その一瞬の感覚だ。霊峰と呼ばれる山へ近づいて行った時、或いは、紅葉の色づく谷間の道を歩く時、我々はその山をただ一心に見つめ、紅葉に目を見張り、その時眼球と心とは一直線に結びついて、レンズの焦点を合わせるように山だけが、紅葉だけが視界に特権的に浮かび上がっているはずなのだ。その時周辺にあるものは視界から一瞬間消滅し、何なら視角の端が急に六次元に歪んでいても気づかないのかも知れない。いるのかいないのか知れない全知全能の神が見るように、視角内のすべてのものに目配りすることなど、本当は人間はしていない。遠近法などあってもなくてもどちらでもいい。主観的ではない見方なと本当はあり得ないのだ。
そして日本美術でも中国美術でも、私たちの目の前に広がる自然は常に重要な画題だった。
     *
もちろん、日本人と中国人の美意識がすべて一致している訳ではない。
中国で暮らしていると、〝大きさ〟を感じる。自分が暮らしている大地が日常の感覚でとらえられる範囲を超えて果てしなく遠方まで広がっていて、その土の上には時に奇怪な形の山や、海としか思えない巨大な河が現れる、そのような巨大で奇怪な感覚。
中国の叙景詩はこの感覚の上に詠まれているし、水墨画にはたとえば日本では見たこともない岩肌の山が描かれている。中国人も自然を賛美するが、宇宙的とでも言ったら良いのだろうか、人知を超えた自然を前に、天晴と賛美するような側面を持っている。
    *
ひるがえって日本人と自然の関係はどのようなものだろうか。
思えば、日本の自然はすべてにおいてほどよいのかも知れない。
それなりに暑い時期も寒い時期もあるが、二ヶ月ほどを耐えれば過ごしやすい季節が訪れ、山も川も人間に対してそこまで挑戦的ではない。もちろん大地震という恐怖はあるが、一生のうちに出逢うか出逢わないか。そしてどこにいても数日も歩けば必ず海に到達して、私たちの大地には区切りの線が引かれている。その区切りの中で、草木が花を咲かせ実をつけ葉の色を赤や黄色に変え、渡り鳥がやって来て去って行く。このようなほどよい自然と私たちは友人のような関係を結んで来た。
だから、日本人にとって自然は征服するものではなく、人の下位にあるものでもなく、しかし理解不能なほど巨大でもない。美しく細やかでくるくると変化し、親しく私たちの傍らに息づいている。この感覚、我々にとって当たり前のこの親しい感覚が、歌にも絵画にも表現されているのではないだろうか。

そしてその最も成功した姿を、「やまと絵展」の二作に見るように思う。
ともに自然の風景を描いたものだが、添付した部分写真を見てほしい。波が、枝が、雲が揺れ動いていることが分かるだろう。
もちろん、揺れ動く自然のさまを描写したやまと絵は星の数ほどあるが、この二作はその表現が特に抜群に秀でている。構図への絶妙な配置、筆致のどの一線も凛と力をたくわえ、その確かな画力が更に揺れる自然の表現に向かっているのだ。
実際に作品の前に立つと、確かに風が渡るのを感じる。波の音が聞こえ、木々の枝がゆっくりとしなり、その時、私たちは確かにその風景を目撃している。正しく描かれているからではない。遠近法は激しく狂い存在しない金色の雲がたなびき、まったく正しい描写ではないが、だからこそ私たちは本当にその景色を見ることになる。たまらなく美しく、たまらなく近しい私たちの自然が目の中にいっぱいに広がっている。その時、鳥に、木々に、波や風に私たちの喜びや悲しみが重なり、一つに溶け合って風に揺れる。私たちは自然と一体になる。やまと心の最も高まった瞬間がこの二作には描出されているのだ。
これ以上書くことは何もない。ぜひ二作を見に足を運んでほしい。会期はあと一週間。二作は第一室と最終室に展示されている。

東博「やまと絵展」レビューとグッズ開封、今日の白猫チャミ情報おまけ付き 2023/11/17



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昨日、東京国立博物館の「やまと絵展」へ。
あの広い平成館会場のほぼすべてが名品という発狂寸前怒濤の展示を、半日かけて堪能する。
平安の王朝世界を描いた絵巻物の中で、やはり「源氏物語絵巻」は抜群に上手いのだな、とか、「信貴山縁起絵巻」の線ってこんなにきれいなのか、とか、石山切の料紙のデザイン感覚がここまでミリ単位でしゃれているとは!などなど、比較してみること、実物で見ることで分かることが多々ある。

衝撃を受けたのは、仁和寺所蔵の「僧形八幡神影向図」。
この作品は、私は初見で、そして、私が勉強不足で知らなかっただけなのかも知れないが、日本美術の中でこのような構図を見たことがないし、また、このようにドラマティックな神仏の描き方も、このようにドラマティックな人間と神仏の関係の描き方も見たことがない。激しくショックを受け、立ち尽くす。特異な一枚だと思うし、とにかくかっこいい。かっこいいのだ。

最も愛する作品は二点ある。
国宝の「日月四季山水図屏風」と、展示最後の部屋に出て来る「浜松図屏風」(「浜松図屏風」はこの部屋に二点あるが、鳥がめちゃくちゃ飛びまくっている方)。この二作品に日本美術のすべてが集約されているようにも感じられて、見ていて涙があふれてしまう。
‥‥と、他にも思うこと、感じたことは山ほどあるが、キリがないのでこのくらいにしておく。

そして手術後まだ体調も本調子ではないためくたくたになり、今日は一日家でまったりと過ごした。
実は、ミュージアムショップでぬいぐるみを買って来ていた。「鳥獣戯画」から採った、烏帽子をかぶった白猫人形。相当かわいい。
我が家の愛猫チャミが白猫のため、あなたはまたこうやってものを増やしてどうするつもりなのか?断捨離を進めてるんだよね?という自らが自らに問う激しい叱声を聞きながらも、ぎゅっと握りしめてレジ前の長蛇の列に並んでしまうのだった。(会場、大変混んでいます)

しかし‥‥
ケリケリして遊んでくれたら‥‥
白猫meets白猫のインスタ映え写真が撮れるのでは?‥‥
という淡い期待は猫あるあるで見事に裏切られ、一秒間見つめただけで、ふん、と無視されるのだった‥‥
そして図録のページを行きつ戻りつして余韻に浸る。会期は12月3日まで。ぜひ足を運ばれたい。

「クロワッサン」誌連載「着物の時間」、作家の桜木紫乃さんの着物物語を取材しました。 2023/11/04



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子宮体がん手術からの復帰後、最初のお仕事のご紹介です。
マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月は作家の桜木紫乃さんの着物物語を取材しました。
市井の人々の人生の哀歓を鋭敏に文章に切り取って来た桜木さん‥‥なのですが、お会いしてみると、「原稿書く時はアディダスのジャージ上下!毎年1セット買ってる」「着物を着ると、いつも姐さん!って言われちゃうんだよね~」といった小話を独特の口調で話され、笑いの絶えない、とても楽しい方でした。でも、そうやってみんなを楽しませながら、じっと相手を観察しているのだろうな、とも感じさせるような。
そんな桜木さんは、お持ちの中で一番華やかな着物でご登場。何と、仲良しのカルーセル万紀さんから贈られたものだとのこと。どうぞご高覧ください。

社交復帰中 2023/10/03



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だいぶ投稿が空いてしまいました。
先月半ばより仕事に復帰して、まだとても疲れやすいため都内限定ですが、取材に出ています。
プライベートでも、地元の友人と近所のカフェでお茶をしたり、生け花の師である真生流家元 山根由美先生の花展を拝見に伺ったり。少しずつ行動半径を広げています。

そんな中、今日はホテルオークラへ。
大倉集古館で開催中の「恋し、こがれたインドの染織」展と連動したランチパーティーに参加しました。雑誌『美しいキモノ』主催のパーティーです。
ご参加の皆さん、更紗やタッサーシルクなど、何かしら今日のテーマ「インド染織」に則したきものや帯を身につけられていて、きょろきょろと拝見しました。
残念ながら私はまだ手術の傷跡に触るため、腰紐を締めることが出来ず、洋服での参加です。内心悔しい思いもあるのですが、何せ根っからの着物好きですから、人様のきもの姿を見るだけでも楽しくなります。
更にトークショーでは、副編集長の吉川明子さんが進行を務められ(右下写真)、少しの時間ですが、立ち話も出来て嬉しく‥‥!他にも、きものつながりのお友だちにも再会出来て。

思えば、昨年秋まで四年間、母の介護とコロナ禍が重なってほぼ引き篭もって暮らし、その母の死去後はしばらく呆然と過ごし‥‥。
ようやく少しずつ人と会い始めた時に、今度は自分に病気が見つかって‥‥。
五年間、とにかく静かに静かに、修行僧のように暮らして来たので、何か山の上から町に下りて来たような、久し振りに社交の場に帰って来たな、という気がしています。

その社交復帰、初めの一歩がとても華やかな場になったのは、今日のパーティーに声をかけてくださった観世あすかさんのお蔭です。
美術商であり、一点もののバッグブランド「アトリエ花傳」のディレクター。一緒に写真を撮って頂きましたが(左上写真)、素晴らしく力のみなぎった上物手のインド更紗の帯を締めていらっしゃいますので、おきもの好きの方はぜひ拡大してご注目ください。
あすかさんの今日のバッグも素晴らしいものでした(右上、左下写真)。もちろんご自身でデザインされた、花傳の一品です。
インドのサリー生地を表に使い、口を開けない限り見えない内側の生地に、やはり上物手の貴重なインド更紗を配して。今日のパーティーの主旨にこれ以上ふさわしいものはない、素晴らしく贅沢な一品でした。

あすかさんと私の間に立っているイケメン男子も、皆さん気になることでしょう!
スウェーデン出身のモデル、アントン・ウォールマンさん。私は世事に疎くなってしまっているので知らなかったのですが、YouTuberとしてとても有名なのだそうですね。
日本が大好きで、東京に移住。さすがモデルさんだけあって、着物もさらりと着こなしていらっしゃいました。見た目が麗しいだけではなく、真率な、気持ちのいい方で、こんな素敵な青年が日本を好きになってくれたのだと思うと、何とも嬉しい気持ちになります。

‥‥と、久し振りの華やかな場を楽しんだお昼のひと時でした。
「恋し、こがれたインドの染織」展は10月22日まで開催。「美しいキモノ」秋号でも更紗特集が組まれています。ぜひどちらもチェックなさってみてください。

新しい椅子と、新しい毎日 2023/09/02



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最近、新しい椅子を買った。
デンマーク・ワーナー社のシューメーカーチェアという椅子で、正面から見るとサリーちゃんのパパの髪型のような、不思議な形をしている。退院後、まだ一歩も外出出来ない時期に、目がチカチカするほどネット検索をしてこの椅子を択んだ。そのくらい、どうしても必要な一脚だった。

6月終わりの子宮体がん手術で命を長らえたものの、それと引き換えに、実は、私の体には「リンパ浮腫」という新たな病気の可能性が宿ることになってしまった。子宮、卵巣に加えてリンパ節も摘出したためで、その結果、下半身のリンパ液の流れがとどこおりやすくなってしまった。そうするとこの病気の発症可能性が高まるのだ。
具体的にどのような症状が出るかと言えば、左右どちらかの足が非常に強くむくんでしまう。上手く足が曲がらないなど日常生活に影響が出るし、外見からも一目で分かるほどのむくみだから、心の苦しみも大きい。出来れば発症したくはないけれど、今の医学では完全な予防法はなく、完治の方法もない。なかなかに厄介な疾患だ。
     *
そのリンパ浮腫の予防のために、新しい椅子が必要になった。
私たちリンパ節摘出者には予防のためのたくさんのTO DO LISTがあるのだけれど、その一つが、
「長時間椅子に座る時は、足を上げ、オットマンに載せること」
足を下げっぱなしにしていると、体を上へ上へとのぼっていくリンパ液の流れがとどこおってしまうからだ。

ちなみにTO DO LISTには、他にこんなものがある。
長時間同じ姿勢を取らないこと(一ヵ所にリンパ液が溜まってしまうため)。激しい運動をしないこと。飛行機に乗る時は着圧ソックスを履く。一日一回、リンパ液の流れを良くするために、セルフマッサージも行わなければならない。
2枚目の写真は、今週、病院でそのマッサージの講習を受けた時にもらったプリントだ。これを見ると、なかなかに複雑なマッサージだと分かってもらえると思う。左右どちらの足に症状が出るか分からないから、右半身、左半身、必ず両側に行わなければならない。全体で2、30分ほどの時間がかかる。
     *
そんな事情があって、この椅子を買った。
私の仕事上、PCの前に長時間座ることは避けられない。愛用している椅子とピッタリ同じ42センチの高さで、しかも毎日目に触れるものだから、変なデザインのものは買いたくない。そうやって探し始めると、意外と42センチの高さのオットマンは少なく、しかも良いデザインのものとなると、もうなかなか見つからない。ようやくたどり着いたのがこのシューメーカーチェアだった。

もともとはデンマークの靴職人=シューメーカーが使う椅子で、長時間座っていても疲れないよう工夫する中で、このフォルムが生まれたという。つまり、サリーちゃんパパみたいと思った独特の窪みは、職人のお尻の形なのだ。
けれど私はそこに足を伸ばす。
そして中央のサリーちゃんパパの髪の盛り上がった部分に、ふくらはぎを軽くもたれかけさせて置くのが気に入っている。木の丸みが肌に当たって心地よく、軽く押されることでリンパ液が流れるのか、ふっと足全体が楽になっていく。とても気分がいい。
ネット上の画像で見た時から、そんな使い方が出来るのではないかと思って購入したが、案の定だった。本来の使い方とは違うからデンマークの職人さんはびっくりするだろうか? でも、東洋の片隅で、つらい病気の予防という切実な目的にこんなにも役立っているのだから、きっと喜んでくれるはず‥‥などと思っている。
       *
そんな私の近況は、ゆっくりゆっくりと体力を取り戻しつつあるところだ。
8月10日過ぎ頃から、近所の吉祥寺に買い物に出られるようになって、でも、とてつもなくゆっくりとしか歩けず、疲れてタクシーで帰宅する日もあった。それが、先週、気づいたら普通の速度で歩いていて、
「あれ? 私、みんなと同じ速度だ!」
と、道に立ち止まってびっくりしてしまった。
そうかと思えば日によっては全身がだるく、横にならずにいられない時もあるし、夕方、猫と毛玉ボールを投げて遊ぶのが日課なのだけれど、そのために階段を駆けのぼることが、出来たり出来なかったりする。「走る」という行為はどうやら体にとって非常に大きなエネルギーを要する冒険的営みらしい‥‥と初めて知った。

インターネットで検索すると、同じ手術を受けていても、退院1週間で仕事復帰して元気いっぱいです!という鉄の女性もいる。自分とのあまりの差にため息が出てしまうが、考えてみれば、筋力、心臓の弁の強さ、胃腸の強靭さ‥‥人の体は一人一人まったく違っているのだから、ガタピシと動く自分というこのCPUをいたわって歩いて行くしかないのだろう。

実は、来週から、仕事に復帰する。2か月半ぶりほどに取材に出るのだ。
大丈夫かな、電車に乗れるかなと心配もあるが、たぶん何とかなるだろう。そのために出張美容師さんに家に来てもらい、髪も切って気分一新した(三鷹・吉祥寺で活動されている「結」さん/3枚目写真)。4枚目の写真は、病院に行った日に、ガラスに映っていた自分を撮ったものだ。何だかお忍び外出中の芸能人みたい、とおかしくなって撮った。
こんな風にして、行きつ戻りつ、時々立ち止まったりもしながら、ゆっくりゆっくりと。新しい毎日を歩き始めている。


二つの訃報 2023/08/17



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毎年、お盆には亡き人の御霊を迎え、偲ぶが、今年は格別悲しい年になってしまった。八月十五日、一日に二人の友人の訃報を受け取った。

一人は、Mさんという。
「美しいキモノ」編集部で長く助手を務め、同時に自分自身でも着付け教室を主催していた女性だった。
彼女と初めて話したのがいつだったのか、まったく思い出せない。打ち合わせや入稿のために編集部に行くと、彼女がいて、仕事上の接点はそれほど多くはないけれど、何か気が合うものがあった。気がつくと仲良くなっていた。
最初は仕事の合間に、編集部のストックルームや廊下の壁にもたれて、ひそひそお喋りをした。それが楽しくてやがて二人で銀座の高級リサイクルきもの店巡りをしたり、美味しいケーキを食べに行ったり。話に夢中になり過ぎ、て気がつくとカフェの窓の向こうが真っ暗に暮れていて、ご家族のある彼女は、大変!晩ご飯作らなきゃ!と慌てて解散した日もあった。

やがて、私が世話人役を務めていたプライベートな染織講座で、母の介護のためにその役が出来なくなってしまった時、彼女に後を頼んだ。
染織に造詣が深く、しかも細やかに気が回り、実行力のある人。
私などより何倍も適役で、我ながらいい人選だわとほくそ笑んだりもした。ちょうどコロナ真っただ中の時期だったけれど、「収束したらこんな企画をやってみたい」「ツアーを組んでこんな所に行くのはどうかな」と、彼女の特徴である大きな目をキラキラさせて話してくれた。

その彼女が病におかされ、長期の療養に入ったと知ったのは、母を見送って少し経った、今年の年明けだった。
最初、私は彼女の闘病を知らず、講座に関連することで、あるお願いのメールを送った。すると彼女は、長く座っていることも出来ないほど衰弱していたのに、何も言わず、まず私の依頼を実行してくれた。その後で、実は、と病気のことを打ち明けた。そういう深い心配りを、さらりとやってのける彼女だった。とてつもない心身の痛みの中で。

     *

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もう一件、受け取ったのは、吉澤暁子さんの訃報だ。
着付け師、スタイリスト、着付け教室主催、振袖レンタル事業の経営‥‥大阪を拠点に幅広く活動する、きもの界のスーパースターだ。
彼女と私は同い年で、2015年、私が或るきものイベントの運営を手伝った時に知り合った。
彼女の活動の中心が関西ということもあって、顔を合わせた回数は少ないけれど、世の中には「お互い何故か気になる存在」という人がいる。彼女とはまさにそんな関係だった。SNSで常に互いの活動は把握していて、時々やり取りを交わして。タイミングを見て私の雑誌連載に出てもらおうとも考えていた。

そんな彼女が体調を崩し、療養に入っていると公表したのは、今年の春だった。ちょうど私も手術が決まり、メールを送った。彼女の病名は分からなかったけれど、一緒に乗り切って行こうとと伝えたかった。
「東でポンコツの西端も何とか頑張ってるから、吉澤さんがつらい気持ちになることがあったら思い出して」
そんなことを書いて送ると、「今、関西に親戚爆誕したから」「大阪人だからお節介焼くから」と、いかにも大阪の人らしい冗談で笑わせてくれながら、私の闘病を応援するから、と返事をくれた。病気を抱えながらも、仕事を続ける。そういう新しいライフスタイルを世に問うていくつもりだとも明かしてくれた。それなのに‥‥

最後に彼女が私のブログに「いいね!」を押してくれたのは、8月1日のエントリだった。病理診断の結果、私の癌が最も初期の状態だったことが確定して、抗がん剤治療から免れたことを知らせる内容だったが、その時、彼女はどんな気持ちで、いいね!を押してくれたのだろう。
彼女は自分の葬儀について意志を残していたという。そんな状態の中で、私の癌が初期だったことを喜んでくれたのだ。それを思うと、胸が張り裂けそうになる。その心の大きさに打ちのめされる。

    *

今、目を閉じると、二人のきものの着こなしが浮かんで来る。二人とも抜群に趣味が良く、そして、語っても語っても語り尽くせぬほどにきものを愛していた。もっともっとおしゃれを楽しみたかっただろう。これから晩夏へと向かう季節、あの帯を締めたい、中秋の季節にはあの帯、と‥‥。人生のプランもいくつもあっただろう。その無念を思うと悲しくてたまらない。もう一度、二人に会いたい。

ただただ二人の素晴らしさを伝えたかったから、何とか気持ちを奮い起こしてこのブログを書いた。
写真は、2016年に吉澤さんと撮ったものと、もう一枚は、我が家の睡蓮鉢を撮った。この数年咲かなかったのに、訃報を聞いた日とその翌日、神々しいほどに美しい花を咲かせていた。優しく、そして美しかった二人は、今、きっと、二人を愛したたくさんの人のもとを順番に回り、私の所にもちょっと立ち寄ってくれたのだ。そう信じたい。ただ、静かに二人を偲ぶ。合掌

#吉澤先生と一緒

クロワッサン誌「着物の時間」スタイリスト 大沼こずえさんの着物物語を取材しました 2023/08/08



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入院前最後に取材していた記事が発売されています。
マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月はスタイリストの大沼こずえさんの着物物語を取材しました。
大沼さんと言えば、数々のファッション誌や旬のタレントさんのスタイリングを担当する有名大物スタイリスト。洋服モードのトップランナーと言っていい存在です。
けれど、大の着物好きで、この夏は浴衣のデザイン監修もしたらしい。そんな情報を耳にして、早速取材を申し込みました。お話を伺うと、着物だけではなく、お茶とお花を幼い頃からたしなみ、今も多忙な毎日のうるおいとしていて‥‥どうぞ記事をご高覧ください。

幸運の空~~子宮体がんロボット手術回復記 2023/08/01



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昨日は、退院後、初めての通院だった。
手術から一ヶ月。このタイミングで傷の経過を見るのが標準らしい。大量の患者でごったがえす一階ロビーを通り抜けると、戦地再訪の思いがするのだった。

婦人科の診察室で名前を呼ばれ、再び大股開きのあの台に座る。座り方など、もうベテランの域かも知れない。股の間から腹部へエコーカメラが入り、ライブ映像を先生が確認していく。子宮、卵巣、卵管、リンパ節。それらの臓器が切り取られた箇所は、すべてきれいに傷がふさがっているということだった。

その後、台から降りて、ベッドへ移るように言われた。お腹表面の切開痕を目視確認するという。
ロボット手術では、おへそのラインに五つ、等間隔で直径2センチほどの穴を空け、そこからロボットアームが入り、切った貼ったを行う。
だから、今、私のお腹には、惑星直列のように五つ手術痕が並んでいる。ちなみに中心はおへそだ。おへそからもアームを入れている。五つともしっかりふさがっているということで、続けて抜糸を行った。左の四つの穴は溶ける糸で縫われていて自然に体に吸収されつつあるが、一番右の穴だけは、老廃物を体外に出すために、術後、ドレーンという管を入れていた。
その穴だけは、退院前日に普通の糸で縫合したため、今回、抜く必要があるのだ。チクリとするのを我慢。3本の糸が無事体から抜け出て行った。

     *

そして、椅子へと座り、今日のハイライト、病理検査の結果説明が始まった。いよいよだな、と思う。この一ヶ月、ずっと案じ続けていたことだった。さすがに胸がドキドキしていた。
実は、子宮がんの治療は、手術が最終地点ではない。
摘出した子宮、卵巣、卵管、リンパ節は、術後すぐ病理部へ送られ、がんの進行がどの段階にあるのか、細胞レベルで精査されるのだ。その進行タイプによっては、潜在的な転移の可能性があり、予防のために抗がん剤治療を行わなければならない。だから、手術でがんを取りました!きれいさっぱり大団円!とはならない。

よく知られているように、抗がん剤は、がん細胞だけではなく健康な細胞も一部破壊してしまう。その結果として強い倦怠感や食欲不振、髪が抜けること‥‥多くの重い副作用に苦しむことになる。
非常な勇気を振り絞ってつらいつらい手術を乗り越えたのに、また同じほどにつらい治療が始まるのだ。どうか受けないで済むように。誰だってそう願うだろう。

‥‥それでも、覚悟はしていた。
医療用ウィッグのウェブサイトを閲覧して、このかつらならいいかも、とブックマークまでしていたし、愛する猫のチャミをまたもや留守番のストレスにさらすことを思うと、入院ではなく、通いで抗がん剤治療を受ける!そんなことも考えていた。

幸いなことに、結果は最良のものだった。
私の子宮の表皮は22ミリの厚さだったそうだが、がんの進行は、わずか1ミリまで。リンパ管、リンパ節への浸潤もまったく見られない。正真正銘に最初期のがんだということが、ようやく科学的に確実になったのだ。よって、抗がん剤治療の必要も、ない。
「良かったですね。今後は2ヶ月に一度、定期診察を行います。血液検査やCT検査で再発がないかをしっかり監視していきます」
そう先生がおっしゃり、深々と頭を下げる。訊くのを忘れてしまったが、この定期診察は、たぶん5年間続くはずだ(どの医療サイトにもそう書いてある)。もちろん、再発の可能性はある。これからの人生を常にその可能性を抱えながら生きていかなければならない。けれどとにかく、ただちに再び苦しい治療に入ることは免れたのだ。

     *

病院を出ると、夏らしい澄んだ青い空に、ぽこぽこと白い雲が浮かんでいた。その広い空の中へ、深い安堵の気持ちが吸い込まれていく。
けれど、同時に、同じ手術をして、ここから更につらい治療に入る人もいるのだということに思いが向かう。これまで苦しかったから、その人たちの苦しさを思うと、ただただ嬉しいと単純に喜ぶことは、もう出来ない。

屋上から、ドクターヘリが旋回して飛び立って行くのが見えた。
どこか、この近くに、今この瞬間、生きるか死ぬか、命の危機に直面している人がいるのだ。手術の日、自分が、手術室の銀色の天井を見つめながら、生きるか、死ぬかだと思った、その時の気持ちが不意によみがえった。ここから先、もう自分に出来ることは何もない。自分の命を医師団という他人に預けるしかない。どうして自分はこんなことになってまったのだろう?――あの、風に吹かれる一本の草のような、よるべない無力感がよみがえる。
とにかく、これからまだしばらくは、そのような命の危機を免れた。自分の幸運に感謝しながら傷をかばい、ゆっくり、ゆっくりとタクシー乗り場までを歩いて行く。ドクターヘリの爆音が空を遠ざかって行く。

初めの一歩~~子宮体がんロボット手術回復記 2023/07/25



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子宮体がんの手術から、明日で4週間。退院から3週間が経ち、少しずつ体力を取り戻している。
退院から初めの2週間は、お腹内部の傷も、外側の、皮膚表面の手術痕も、ふとした時にじんと痛んだ。今はよっぽど無理な姿勢を取らない限り痛みを感じることはなくなっているから、傷は順調にふさがっているのだろう。

何よりきつかったのは、毎回、食事の後、30分ほどするととてつもない倦怠感に襲われることだった。座っていることもしんどく、畳の部屋に敷きっぱなしにしているマットレスに、とにかく横になる。そうすると必ず1時間半ほど眠ってしまった。一日中寝てばかりの毎日だった。

思うに、これまでの人生、腸君は(私の中で、腸は男子)、子宮ちゃんや卵巣ちゃん(もちろん女子)にちょっともたれたりしながら、日々の消化のお仕事を行っていたのだろう。
ところが突然彼女たちが消えてしまって、でろーんと伸びた状態で腹部空間に放り出された。え?え? 自分の姿勢がつかめないまま、次々と送り込まれて来る食べ物たち。えい!っとねじれてみたり、びよーんと伸びてみたり。変な姿勢で行う消化活動が、何とも言えない違和感を作り出していたのではないだろうか。
それがだんだんと腸君も新姿勢をつかんだようで、10日ほど過ぎると、倦怠感は朝食後だけになった。たぶん、夕食から朝食まではかなり時間が空くので、朝だけは、姿勢を取り戻すのに時間がかかったのだろうと推測している。
そして数日前からは、朝食後もずっと座っていられるようになった。これは本当に嬉しく、回復を実感している。

そんな中、今週は、行政上の手続きのため、どうしても吉祥寺に出なければならない用事が控えている。もちろん、バスや徒歩で出るのはまだ無理なので、タクシーを使うのだけれど、それにしてもいきなりの外出は無謀だろう。予行演習をしようと、先週木曜の夕方、涼しかったこともあって、家の前の道を歩いてみることにした。
久し振りにスニーカーを履いて、玄関の外へ出る。何だか胸がドキドキしてしまう。一歩、一歩、こんなことになるとは思わず、春先に買っていた新しいウォーキング用シューズで道を踏みしめる。
‥‥けれど、部屋の中にいる時にはまったく感じなかった違和感、肉が引きつれるような感覚が、やはり腹部に現れ出て来るのだった。自然と少し前かがみの姿勢になってしまう。そして手で軽くお腹の上を押さえていないと歩けない。ゆっくり、ゆっくり、とてつもなくゆっくりと歩く。一歩、一歩、とにかくむこうの角まで。70メートルほどだろうか、たどり着いた時、
「帰りもあるんだよ、これ以上は危険!」
と、体の中から警告が聞こえた。引き返して、合計140メートル。本州を縦断したくらいの達成感だった。翌日もこの道歩きリハビリを続けたけれど、翌々日朝、起きると足全体がひどくだるくて、とても歩ける気がしない。暑さが戻って来たこともあって、道歩きリハビリは中断のままとなっている。

それでも、リンパ節を取った関係でとてつもなく腫れ、じんわりと傷みもあった太もも周りがだいぶ落ち着いて来たし(この太もも周りの話はまた後日)、全体に、体もよく動くようになって来たことを感じている。たぶん、今週の外出も何とかなるだろう。
完全回復までにはまだまだ遠い道のりが続いているけれど、一歩ずつ歩き始めている。

退院のご報告 2023/07/06



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子宮体がんの治療で、先週より手術、入院していましたが、昨日5日、無事、退院して家に戻ってまいりましたことをご報告致します。
当初は「10日ほどの入院」と言われていたのですが、予後すこぶる良好ということで、手術日を入れてわずか1週間という、最短期間での退院となりました。現代医療の最先端の術式である「ロボット手術」の威力を実感しています。

‥‥とは言え、内臓を三つ(子宮、卵巣、卵管)、更にリンパ節も切除しているので、言ってみればお腹の中は一度ごうごうと火を噴いた後の状態。今でも体の動きによっては、相当な痛みが走ることがあります。
また、全身麻酔は呼吸を止めて(!)行い、術中、気管に人工呼吸器の管を入れるのですが、その影響で、のどの周辺が今もじんわりと腫れて痛く、また、肺のダメージも完全回復には2週間ほどかかるのだそうです。
そんなこんなでとてつもなく疲れやすく、正直言えば、あと3、4日は病室でごろごろしていたかった‥‥。

しかし、子宮がんの場合、切った箇所までカメラを入れることが出来るため、診察でライブ画像を確認した主治医の先生は、「すごくきれいにつながってます」と満足気。手術チームの他の先生方もうんうんとうなずき‥‥めでたく‥‥退院となったのでした。
        *
‥‥こうしてよろよろと病院を放り出されたわけですが、猫のチャミと再会出来ることは、とてつもなく嬉しく。
入院中、毎晩10時と時間を決めて、病室から家に電話をかけ、父に受話器をチャミの顔の前まで持って行ってもらい、「チャミちゃん!」と呼びかけ。チャミ「にゃー!」と答える‥‥ということを繰り返していたのですが、それでも、声だけが聞こえることが怖いのか、状況の意味が分からずストレスを感じるのか、いつも数回やり取りするとぷいっと逃げてしまうチャミでした。父によると、とにかく一日中寝て過ごしていたそうです。
帰宅してみると、何だか毛がばさばさしていて、顔も険しくなっている。
私が部屋に入って行くと駆け寄って来て、にゃー!と、すりすり。その後、ひたすら私の後をついて回り、不意に部屋の少し離れた場所で、意味なく大声で鳴き叫んだり。
「本当に帰って来たんだね!」
「もうどこにも行かないんだね?」
と訴えているのかな?と涙がこぼれてしまいました。

夜になると、喜びと興奮で疲労困憊したのか、お気に入りの座布団で眠りこけ、「お姉ちゃん寝るからね」と呼びかけても、薄目を開けるだけ。
けれど、明け方、2階の私の寝室へ上がって来てベッドに飛び乗り、いつもの定番の位置、私の右膝に手とあごを載せて、ゴロゴロとのどを鳴らしているのが振動で伝わってきました。チャミ、本当に頑張ったね。ずっと待っていてくれてありがとう。
         *
こうして、今、よろよろと日常を取り戻しつつあります。写真は、今日午後、膝に乗って甘えて来たチャミと自撮りしたものです。
そもそも家の階段を上れるかしら?と不安になるほど、病院内をゆっくりゆっくりと、それもお腹を軽く押さえながらしか歩けない状態で帰って来たのですが、意外と動けるし、階段は上れるし(ゆっくりと、ですが)、今朝などは庭に出て洗濯物も自分で干してしまいました。
そして、そんなごく当たり前の家事をしただけで、棒切れのように細くなっていた足にみるみる筋肉が戻っていくことに驚かされます。

とは言え、腸に接する内臓を切除したせいか、毎回、食事の後は、腹部を中心に全身にとてつもない倦怠感があり、1時間半ほどは横になっていないと過ごすことが出来ません。これは入院中からずっと続いている現象です。

その食事の準備も、入院中、DEAN AND DELUCAのラザニアが無性に食べたかったので父に買って来てもらい、それを電子レンジ嫌いのため、フライパンで軽く温め、他にサラダも買って来てもらったのでお皿に盛りつけて‥‥という、まったく調理とも言えない、わずか10分ほど台所に立っただけのことで、とてつもない疲れで椅子にへたり込んでしまいます。
まだまだ体力の回復までは、長い道のりとなりそうです。
       *
そう言えば、いつも聞いているNHKのラジオ英会話も、どうも頭への入り具合が悪いことを感じます。
読書も、小説やコラムは良いのですが、論文は読み続けていくための根気が続かない。体だけではなく、知能もダメージを受けているのでしょう。

先生からは、「7月いっぱいは家で安静に。外出は、近所での日常品の買い物までが望ましい」「自転車禁止」「シャワーのみ。湯船はダメ」「極力虫に刺されないよう注意(リンパ浮腫の誘因となるため)」とあれこれ指示が出ており、とにかく狭い半径の中で、静かに過ごす夏になります。
この体力と免疫の落ちた状態でコロナに感染したら悲惨な状態になることも目に見え、第9波到来らしき今、その意味でも、家でじっとしているのが良さそうです。
「家事で動く程度が、ちょうど良いリハビリなんです」
とは、看護師さんの言葉。あくまで慎重に、でも、少しだけ身体を動かして。基本はチャミのおざぶの横でごろごろ。生産的なことは何もしない。そもそも4年間、母の介護で頑張りに頑張って来ました。今は、とにかく休みたい。思い切りぐうたらに過ごそうと思います。
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最後になりましたが、手術前、手術後、たくさんの皆様から温かいメッセージを頂きましたことを、深く深く御礼申し上げます。とても大きな慰めと励ましとなりました。
少しずつお返事を出来たらと思っております。どうぞ気長にお待ち頂けましたら幸いです。