2023年 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2022年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2021年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2020年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2019年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2018年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2017年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2016年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2015年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2014年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2013年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 3月 / 1月 / 2012年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2011年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2010年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 /
二つの訃報 (2023/08/17 )
クロワッサン誌「着物の時間」スタイリスト 大沼こずえさんの着物物語を取材しました (2023/08/08 )
幸運の空~~子宮体がんロボット手術回復記 (2023/08/01 )
初めの一歩~~子宮体がんロボット手術回復記 (2023/07/25 )
退院のご報告 (2023/07/06 )
手術、入院と連載休載のお知らせ (2023/06/26 )
クロワッサン連載「着物の時間」 バッグデザイナーほりようこさんの着物物語を取材しました (2023/06/25 )
「むら田」に帯の誂えに (2023/06/16 )
クロワッサン連載「着物の時間」にて林真理子さんの着物物語を取材しました。 (2023/06/05 )
*日記の写真はデジタルカメラと携帯のカメラで撮影したものであり、作品写真ほどのクオリティはないことをご理解下さい。「本気で写真撮る!」と思わないと良い写真が撮れない性質なのです。
*這本日記基本上用日文寫、沒有中文和英文翻譯。可是不定期以中文來寫日記。請隨性來訪。
*日記的相片都用數碼相機或手機相機來攝影的、所拍的相質稍有出入、請諒解。我一直覺得不是認真的心態絕對拍不出好的東西。
All Rights Reserved.
新しい椅子と、新しい毎日 2023/09/02
ツイート
最近、新しい椅子を買った。
デンマーク・ワーナー社のシューメーカーチェアという椅子で、正面から見るとサリーちゃんのパパの髪型のような、不思議な形をしている。退院後、まだ一歩も外出出来ない時期に、目がチカチカするほどネット検索をしてこの椅子を択んだ。そのくらい、どうしても必要な一脚だった。
6月終わりの子宮体がん手術で命を長らえたものの、それと引き換えに、実は、私の体には「リンパ浮腫」という新たな病気の可能性が宿ることになってしまった。子宮、卵巣に加えてリンパ節も摘出したためで、その結果、下半身のリンパ液の流れがとどこおりやすくなってしまった。そうするとこの病気の発症可能性が高まるのだ。
具体的にどのような症状が出るかと言えば、左右どちらかの足が非常に強くむくんでしまう。上手く足が曲がらないなど日常生活に影響が出るし、外見からも一目で分かるほどのむくみだから、心の苦しみも大きい。出来れば発症したくはないけれど、今の医学では完全な予防法はなく、完治の方法もない。なかなかに厄介な疾患だ。
*
そのリンパ浮腫の予防のために、新しい椅子が必要になった。
私たちリンパ節摘出者には予防のためのたくさんのTO DO LISTがあるのだけれど、その一つが、
「長時間椅子に座る時は、足を上げ、オットマンに載せること」
足を下げっぱなしにしていると、体を上へ上へとのぼっていくリンパ液の流れがとどこおってしまうからだ。
ちなみにTO DO LISTには、他にこんなものがある。
長時間同じ姿勢を取らないこと(一ヵ所にリンパ液が溜まってしまうため)。激しい運動をしないこと。飛行機に乗る時は着圧ソックスを履く。一日一回、リンパ液の流れを良くするために、セルフマッサージも行わなければならない。
2枚目の写真は、今週、病院でそのマッサージの講習を受けた時にもらったプリントだ。これを見ると、なかなかに複雑なマッサージだと分かってもらえると思う。左右どちらの足に症状が出るか分からないから、右半身、左半身、必ず両側に行わなければならない。全体で2、30分ほどの時間がかかる。
*
そんな事情があって、この椅子を買った。
私の仕事上、PCの前に長時間座ることは避けられない。愛用している椅子とピッタリ同じ42センチの高さで、しかも毎日目に触れるものだから、変なデザインのものは買いたくない。そうやって探し始めると、意外と42センチの高さのオットマンは少なく、しかも良いデザインのものとなると、もうなかなか見つからない。ようやくたどり着いたのがこのシューメーカーチェアだった。
もともとはデンマークの靴職人=シューメーカーが使う椅子で、長時間座っていても疲れないよう工夫する中で、このフォルムが生まれたという。つまり、サリーちゃんパパみたいと思った独特の窪みは、職人のお尻の形なのだ。
けれど私はそこに足を伸ばす。
そして中央のサリーちゃんパパの髪の盛り上がった部分に、ふくらはぎを軽くもたれかけさせて置くのが気に入っている。木の丸みが肌に当たって心地よく、軽く押されることでリンパ液が流れるのか、ふっと足全体が楽になっていく。とても気分がいい。
ネット上の画像で見た時から、そんな使い方が出来るのではないかと思って購入したが、案の定だった。本来の使い方とは違うからデンマークの職人さんはびっくりするだろうか? でも、東洋の片隅で、つらい病気の予防という切実な目的にこんなにも役立っているのだから、きっと喜んでくれるはず‥‥などと思っている。
*
そんな私の近況は、ゆっくりゆっくりと体力を取り戻しつつあるところだ。
8月10日過ぎ頃から、近所の吉祥寺に買い物に出られるようになって、でも、とてつもなくゆっくりとしか歩けず、疲れてタクシーで帰宅する日もあった。それが、先週、気づいたら普通の速度で歩いていて、
「あれ? 私、みんなと同じ速度だ!」
と、道に立ち止まってびっくりしてしまった。
そうかと思えば日によっては全身がだるく、横にならずにいられない時もあるし、夕方、猫と毛玉ボールを投げて遊ぶのが日課なのだけれど、そのために階段を駆けのぼることが、出来たり出来なかったりする。「走る」という行為はどうやら体にとって非常に大きなエネルギーを要する冒険的営みらしい‥‥と初めて知った。
インターネットで検索すると、同じ手術を受けていても、退院1週間で仕事復帰して元気いっぱいです!という鉄の女性もいる。自分とのあまりの差にため息が出てしまうが、考えてみれば、筋力、心臓の弁の強さ、胃腸の強靭さ‥‥人の体は一人一人まったく違っているのだから、ガタピシと動く自分というこのCPUをいたわって歩いて行くしかないのだろう。
実は、来週から、仕事に復帰する。2か月半ぶりほどに取材に出るのだ。
大丈夫かな、電車に乗れるかなと心配もあるが、たぶん何とかなるだろう。そのために出張美容師さんに家に来てもらい、髪も切って気分一新した(三鷹・吉祥寺で活動されている「結」さん/3枚目写真)。4枚目の写真は、病院に行った日に、ガラスに映っていた自分を撮ったものだ。何だかお忍び外出中の芸能人みたい、とおかしくなって撮った。
こんな風にして、行きつ戻りつ、時々立ち止まったりもしながら、ゆっくりゆっくりと。新しい毎日を歩き始めている。
二つの訃報 2023/08/17
ツイート
毎年、お盆には亡き人の御霊を迎え、偲ぶが、今年は格別悲しい年になってしまった。八月十五日、一日に二人の友人の訃報を受け取った。
一人は、Mさんという。
「美しいキモノ」編集部で長く助手を務め、同時に自分自身でも着付け教室を主催していた女性だった。
彼女と初めて話したのがいつだったのか、まったく思い出せない。打ち合わせや入稿のために編集部に行くと、彼女がいて、仕事上の接点はそれほど多くはないけれど、何か気が合うものがあった。気がつくと仲良くなっていた。
最初は仕事の合間に、編集部のストックルームや廊下の壁にもたれて、ひそひそお喋りをした。それが楽しくてやがて二人で銀座の高級リサイクルきもの店巡りをしたり、美味しいケーキを食べに行ったり。話に夢中になり過ぎ、て気がつくとカフェの窓の向こうが真っ暗に暮れていて、ご家族のある彼女は、大変!晩ご飯作らなきゃ!と慌てて解散した日もあった。
やがて、私が世話人役を務めていたプライベートな染織講座で、母の介護のためにその役が出来なくなってしまった時、彼女に後を頼んだ。
染織に造詣が深く、しかも細やかに気が回り、実行力のある人。
私などより何倍も適役で、我ながらいい人選だわとほくそ笑んだりもした。ちょうどコロナ真っただ中の時期だったけれど、「収束したらこんな企画をやってみたい」「ツアーを組んでこんな所に行くのはどうかな」と、彼女の特徴である大きな目をキラキラさせて話してくれた。
その彼女が病におかされ、長期の療養に入ったと知ったのは、母を見送って少し経った、今年の年明けだった。
最初、私は彼女の闘病を知らず、講座に関連することで、あるお願いのメールを送った。すると彼女は、長く座っていることも出来ないほど衰弱していたのに、何も言わず、まず私の依頼を実行してくれた。その後で、実は、と病気のことを打ち明けた。そういう深い心配りを、さらりとやってのける彼女だった。とてつもない心身の痛みの中で。
*
もう一件、受け取ったのは、吉澤暁子さんの訃報だ。
着付け師、スタイリスト、着付け教室主催、振袖レンタル事業の経営‥‥大阪を拠点に幅広く活動する、きもの界のスーパースターだ。
彼女と私は同い年で、2015年、私が或るきものイベントの運営を手伝った時に知り合った。
彼女の活動の中心が関西ということもあって、顔を合わせた回数は少ないけれど、世の中には「お互い何故か気になる存在」という人がいる。彼女とはまさにそんな関係だった。SNSで常に互いの活動は把握していて、時々やり取りを交わして。タイミングを見て私の雑誌連載に出てもらおうとも考えていた。
そんな彼女が体調を崩し、療養に入っていると公表したのは、今年の春だった。ちょうど私も手術が決まり、メールを送った。彼女の病名は分からなかったけれど、一緒に乗り切って行こうとと伝えたかった。
「東でポンコツの西端も何とか頑張ってるから、吉澤さんがつらい気持ちになることがあったら思い出して」
そんなことを書いて送ると、「今、関西に親戚爆誕したから」「大阪人だからお節介焼くから」と、いかにも大阪の人らしい冗談で笑わせてくれながら、私の闘病を応援するから、と返事をくれた。病気を抱えながらも、仕事を続ける。そういう新しいライフスタイルを世に問うていくつもりだとも明かしてくれた。それなのに‥‥
最後に彼女が私のブログに「いいね!」を押してくれたのは、8月1日のエントリだった。病理診断の結果、私の癌が最も初期の状態だったことが確定して、抗がん剤治療から免れたことを知らせる内容だったが、その時、彼女はどんな気持ちで、いいね!を押してくれたのだろう。
彼女は自分の葬儀について意志を残していたという。そんな状態の中で、私の癌が初期だったことを喜んでくれたのだ。それを思うと、胸が張り裂けそうになる。その心の大きさに打ちのめされる。
*
今、目を閉じると、二人のきものの着こなしが浮かんで来る。二人とも抜群に趣味が良く、そして、語っても語っても語り尽くせぬほどにきものを愛していた。もっともっとおしゃれを楽しみたかっただろう。これから晩夏へと向かう季節、あの帯を締めたい、中秋の季節にはあの帯、と‥‥。人生のプランもいくつもあっただろう。その無念を思うと悲しくてたまらない。もう一度、二人に会いたい。
ただただ二人の素晴らしさを伝えたかったから、何とか気持ちを奮い起こしてこのブログを書いた。
写真は、2016年に吉澤さんと撮ったものと、もう一枚は、我が家の睡蓮鉢を撮った。この数年咲かなかったのに、訃報を聞いた日とその翌日、神々しいほどに美しい花を咲かせていた。優しく、そして美しかった二人は、今、きっと、二人を愛したたくさんの人のもとを順番に回り、私の所にもちょっと立ち寄ってくれたのだ。そう信じたい。ただ、静かに二人を偲ぶ。合掌
#吉澤先生と一緒
クロワッサン誌「着物の時間」スタイリスト 大沼こずえさんの着物物語を取材しました 2023/08/08
ツイート
入院前最後に取材していた記事が発売されています。
マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月はスタイリストの大沼こずえさんの着物物語を取材しました。
大沼さんと言えば、数々のファッション誌や旬のタレントさんのスタイリングを担当する有名大物スタイリスト。洋服モードのトップランナーと言っていい存在です。
けれど、大の着物好きで、この夏は浴衣のデザイン監修もしたらしい。そんな情報を耳にして、早速取材を申し込みました。お話を伺うと、着物だけではなく、お茶とお花を幼い頃からたしなみ、今も多忙な毎日のうるおいとしていて‥‥どうぞ記事をご高覧ください。
幸運の空~~子宮体がんロボット手術回復記 2023/08/01
ツイート
昨日は、退院後、初めての通院だった。
手術から一ヶ月。このタイミングで傷の経過を見るのが標準らしい。大量の患者でごったがえす一階ロビーを通り抜けると、戦地再訪の思いがするのだった。
婦人科の診察室で名前を呼ばれ、再び大股開きのあの台に座る。座り方など、もうベテランの域かも知れない。股の間から腹部へエコーカメラが入り、ライブ映像を先生が確認していく。子宮、卵巣、卵管、リンパ節。それらの臓器が切り取られた箇所は、すべてきれいに傷がふさがっているということだった。
その後、台から降りて、ベッドへ移るように言われた。お腹表面の切開痕を目視確認するという。
ロボット手術では、おへそのラインに五つ、等間隔で直径2センチほどの穴を空け、そこからロボットアームが入り、切った貼ったを行う。
だから、今、私のお腹には、惑星直列のように五つ手術痕が並んでいる。ちなみに中心はおへそだ。おへそからもアームを入れている。五つともしっかりふさがっているということで、続けて抜糸を行った。左の四つの穴は溶ける糸で縫われていて自然に体に吸収されつつあるが、一番右の穴だけは、老廃物を体外に出すために、術後、ドレーンという管を入れていた。
その穴だけは、退院前日に普通の糸で縫合したため、今回、抜く必要があるのだ。チクリとするのを我慢。3本の糸が無事体から抜け出て行った。
*
そして、椅子へと座り、今日のハイライト、病理検査の結果説明が始まった。いよいよだな、と思う。この一ヶ月、ずっと案じ続けていたことだった。さすがに胸がドキドキしていた。
実は、子宮がんの治療は、手術が最終地点ではない。
摘出した子宮、卵巣、卵管、リンパ節は、術後すぐ病理部へ送られ、がんの進行がどの段階にあるのか、細胞レベルで精査されるのだ。その進行タイプによっては、潜在的な転移の可能性があり、予防のために抗がん剤治療を行わなければならない。だから、手術でがんを取りました!きれいさっぱり大団円!とはならない。
よく知られているように、抗がん剤は、がん細胞だけではなく健康な細胞も一部破壊してしまう。その結果として強い倦怠感や食欲不振、髪が抜けること‥‥多くの重い副作用に苦しむことになる。
非常な勇気を振り絞ってつらいつらい手術を乗り越えたのに、また同じほどにつらい治療が始まるのだ。どうか受けないで済むように。誰だってそう願うだろう。
‥‥それでも、覚悟はしていた。
医療用ウィッグのウェブサイトを閲覧して、このかつらならいいかも、とブックマークまでしていたし、愛する猫のチャミをまたもや留守番のストレスにさらすことを思うと、入院ではなく、通いで抗がん剤治療を受ける!そんなことも考えていた。
幸いなことに、結果は最良のものだった。
私の子宮の表皮は22ミリの厚さだったそうだが、がんの進行は、わずか1ミリまで。リンパ管、リンパ節への浸潤もまったく見られない。正真正銘に最初期のがんだということが、ようやく科学的に確実になったのだ。よって、抗がん剤治療の必要も、ない。
「良かったですね。今後は2ヶ月に一度、定期診察を行います。血液検査やCT検査で再発がないかをしっかり監視していきます」
そう先生がおっしゃり、深々と頭を下げる。訊くのを忘れてしまったが、この定期診察は、たぶん5年間続くはずだ(どの医療サイトにもそう書いてある)。もちろん、再発の可能性はある。これからの人生を常にその可能性を抱えながら生きていかなければならない。けれどとにかく、ただちに再び苦しい治療に入ることは免れたのだ。
*
病院を出ると、夏らしい澄んだ青い空に、ぽこぽこと白い雲が浮かんでいた。その広い空の中へ、深い安堵の気持ちが吸い込まれていく。
けれど、同時に、同じ手術をして、ここから更につらい治療に入る人もいるのだということに思いが向かう。これまで苦しかったから、その人たちの苦しさを思うと、ただただ嬉しいと単純に喜ぶことは、もう出来ない。
屋上から、ドクターヘリが旋回して飛び立って行くのが見えた。
どこか、この近くに、今この瞬間、生きるか死ぬか、命の危機に直面している人がいるのだ。手術の日、自分が、手術室の銀色の天井を見つめながら、生きるか、死ぬかだと思った、その時の気持ちが不意によみがえった。ここから先、もう自分に出来ることは何もない。自分の命を医師団という他人に預けるしかない。どうして自分はこんなことになってまったのだろう?――あの、風に吹かれる一本の草のような、よるべない無力感がよみがえる。
とにかく、これからまだしばらくは、そのような命の危機を免れた。自分の幸運に感謝しながら傷をかばい、ゆっくり、ゆっくりとタクシー乗り場までを歩いて行く。ドクターヘリの爆音が空を遠ざかって行く。
初めの一歩~~子宮体がんロボット手術回復記 2023/07/25
ツイート
子宮体がんの手術から、明日で4週間。退院から3週間が経ち、少しずつ体力を取り戻している。
退院から初めの2週間は、お腹内部の傷も、外側の、皮膚表面の手術痕も、ふとした時にじんと痛んだ。今はよっぽど無理な姿勢を取らない限り痛みを感じることはなくなっているから、傷は順調にふさがっているのだろう。
何よりきつかったのは、毎回、食事の後、30分ほどするととてつもない倦怠感に襲われることだった。座っていることもしんどく、畳の部屋に敷きっぱなしにしているマットレスに、とにかく横になる。そうすると必ず1時間半ほど眠ってしまった。一日中寝てばかりの毎日だった。
思うに、これまでの人生、腸君は(私の中で、腸は男子)、子宮ちゃんや卵巣ちゃん(もちろん女子)にちょっともたれたりしながら、日々の消化のお仕事を行っていたのだろう。
ところが突然彼女たちが消えてしまって、でろーんと伸びた状態で腹部空間に放り出された。え?え? 自分の姿勢がつかめないまま、次々と送り込まれて来る食べ物たち。えい!っとねじれてみたり、びよーんと伸びてみたり。変な姿勢で行う消化活動が、何とも言えない違和感を作り出していたのではないだろうか。
それがだんだんと腸君も新姿勢をつかんだようで、10日ほど過ぎると、倦怠感は朝食後だけになった。たぶん、夕食から朝食まではかなり時間が空くので、朝だけは、姿勢を取り戻すのに時間がかかったのだろうと推測している。
そして数日前からは、朝食後もずっと座っていられるようになった。これは本当に嬉しく、回復を実感している。
そんな中、今週は、行政上の手続きのため、どうしても吉祥寺に出なければならない用事が控えている。もちろん、バスや徒歩で出るのはまだ無理なので、タクシーを使うのだけれど、それにしてもいきなりの外出は無謀だろう。予行演習をしようと、先週木曜の夕方、涼しかったこともあって、家の前の道を歩いてみることにした。
久し振りにスニーカーを履いて、玄関の外へ出る。何だか胸がドキドキしてしまう。一歩、一歩、こんなことになるとは思わず、春先に買っていた新しいウォーキング用シューズで道を踏みしめる。
‥‥けれど、部屋の中にいる時にはまったく感じなかった違和感、肉が引きつれるような感覚が、やはり腹部に現れ出て来るのだった。自然と少し前かがみの姿勢になってしまう。そして手で軽くお腹の上を押さえていないと歩けない。ゆっくり、ゆっくり、とてつもなくゆっくりと歩く。一歩、一歩、とにかくむこうの角まで。70メートルほどだろうか、たどり着いた時、
「帰りもあるんだよ、これ以上は危険!」
と、体の中から警告が聞こえた。引き返して、合計140メートル。本州を縦断したくらいの達成感だった。翌日もこの道歩きリハビリを続けたけれど、翌々日朝、起きると足全体がひどくだるくて、とても歩ける気がしない。暑さが戻って来たこともあって、道歩きリハビリは中断のままとなっている。
それでも、リンパ節を取った関係でとてつもなく腫れ、じんわりと傷みもあった太もも周りがだいぶ落ち着いて来たし(この太もも周りの話はまた後日)、全体に、体もよく動くようになって来たことを感じている。たぶん、今週の外出も何とかなるだろう。
完全回復までにはまだまだ遠い道のりが続いているけれど、一歩ずつ歩き始めている。
退院のご報告 2023/07/06
ツイート
子宮体がんの治療で、先週より手術、入院していましたが、昨日5日、無事、退院して家に戻ってまいりましたことをご報告致します。
当初は「10日ほどの入院」と言われていたのですが、予後すこぶる良好ということで、手術日を入れてわずか1週間という、最短期間での退院となりました。現代医療の最先端の術式である「ロボット手術」の威力を実感しています。
‥‥とは言え、内臓を三つ(子宮、卵巣、卵管)、更にリンパ節も切除しているので、言ってみればお腹の中は一度ごうごうと火を噴いた後の状態。今でも体の動きによっては、相当な痛みが走ることがあります。
また、全身麻酔は呼吸を止めて(!)行い、術中、気管に人工呼吸器の管を入れるのですが、その影響で、のどの周辺が今もじんわりと腫れて痛く、また、肺のダメージも完全回復には2週間ほどかかるのだそうです。
そんなこんなでとてつもなく疲れやすく、正直言えば、あと3、4日は病室でごろごろしていたかった‥‥。
しかし、子宮がんの場合、切った箇所までカメラを入れることが出来るため、診察でライブ画像を確認した主治医の先生は、「すごくきれいにつながってます」と満足気。手術チームの他の先生方もうんうんとうなずき‥‥めでたく‥‥退院となったのでした。
*
‥‥こうしてよろよろと病院を放り出されたわけですが、猫のチャミと再会出来ることは、とてつもなく嬉しく。
入院中、毎晩10時と時間を決めて、病室から家に電話をかけ、父に受話器をチャミの顔の前まで持って行ってもらい、「チャミちゃん!」と呼びかけ。チャミ「にゃー!」と答える‥‥ということを繰り返していたのですが、それでも、声だけが聞こえることが怖いのか、状況の意味が分からずストレスを感じるのか、いつも数回やり取りするとぷいっと逃げてしまうチャミでした。父によると、とにかく一日中寝て過ごしていたそうです。
帰宅してみると、何だか毛がばさばさしていて、顔も険しくなっている。
私が部屋に入って行くと駆け寄って来て、にゃー!と、すりすり。その後、ひたすら私の後をついて回り、不意に部屋の少し離れた場所で、意味なく大声で鳴き叫んだり。
「本当に帰って来たんだね!」
「もうどこにも行かないんだね?」
と訴えているのかな?と涙がこぼれてしまいました。
夜になると、喜びと興奮で疲労困憊したのか、お気に入りの座布団で眠りこけ、「お姉ちゃん寝るからね」と呼びかけても、薄目を開けるだけ。
けれど、明け方、2階の私の寝室へ上がって来てベッドに飛び乗り、いつもの定番の位置、私の右膝に手とあごを載せて、ゴロゴロとのどを鳴らしているのが振動で伝わってきました。チャミ、本当に頑張ったね。ずっと待っていてくれてありがとう。
*
こうして、今、よろよろと日常を取り戻しつつあります。写真は、今日午後、膝に乗って甘えて来たチャミと自撮りしたものです。
そもそも家の階段を上れるかしら?と不安になるほど、病院内をゆっくりゆっくりと、それもお腹を軽く押さえながらしか歩けない状態で帰って来たのですが、意外と動けるし、階段は上れるし(ゆっくりと、ですが)、今朝などは庭に出て洗濯物も自分で干してしまいました。
そして、そんなごく当たり前の家事をしただけで、棒切れのように細くなっていた足にみるみる筋肉が戻っていくことに驚かされます。
とは言え、腸に接する内臓を切除したせいか、毎回、食事の後は、腹部を中心に全身にとてつもない倦怠感があり、1時間半ほどは横になっていないと過ごすことが出来ません。これは入院中からずっと続いている現象です。
その食事の準備も、入院中、DEAN AND DELUCAのラザニアが無性に食べたかったので父に買って来てもらい、それを電子レンジ嫌いのため、フライパンで軽く温め、他にサラダも買って来てもらったのでお皿に盛りつけて‥‥という、まったく調理とも言えない、わずか10分ほど台所に立っただけのことで、とてつもない疲れで椅子にへたり込んでしまいます。
まだまだ体力の回復までは、長い道のりとなりそうです。
*
そう言えば、いつも聞いているNHKのラジオ英会話も、どうも頭への入り具合が悪いことを感じます。
読書も、小説やコラムは良いのですが、論文は読み続けていくための根気が続かない。体だけではなく、知能もダメージを受けているのでしょう。
先生からは、「7月いっぱいは家で安静に。外出は、近所での日常品の買い物までが望ましい」「自転車禁止」「シャワーのみ。湯船はダメ」「極力虫に刺されないよう注意(リンパ浮腫の誘因となるため)」とあれこれ指示が出ており、とにかく狭い半径の中で、静かに過ごす夏になります。
この体力と免疫の落ちた状態でコロナに感染したら悲惨な状態になることも目に見え、第9波到来らしき今、その意味でも、家でじっとしているのが良さそうです。
「家事で動く程度が、ちょうど良いリハビリなんです」
とは、看護師さんの言葉。あくまで慎重に、でも、少しだけ身体を動かして。基本はチャミのおざぶの横でごろごろ。生産的なことは何もしない。そもそも4年間、母の介護で頑張りに頑張って来ました。今は、とにかく休みたい。思い切りぐうたらに過ごそうと思います。
*
最後になりましたが、手術前、手術後、たくさんの皆様から温かいメッセージを頂きましたことを、深く深く御礼申し上げます。とても大きな慰めと励ましとなりました。
少しずつお返事を出来たらと思っております。どうぞ気長にお待ち頂けましたら幸いです。
手術、入院と連載休載のお知らせ 2023/06/26
ツイート
むしむしとしたお天気が続く中、更に鬱陶しい話題を持ち出すことをお許しください。私の体調と仕事の現況について、お知らせをさせて頂きます。
春の初めに子宮に病気が見つかり、ここまで様々な検査を続けてまいりましたが、明日27日より入院、明後日28日に手術。その後10日間ほど入院を致します。
病名は、「子宮体がん」です。
ごく初期のがんで転移もないため、すぐさま命に関わるものではないことをまずはご報告致します。
*
病気発見までの経緯をお話し致しますと、実は、一年以上前から、だらだらと生理が終わらない、不正出血が続いていました。
ただ、私の年齢はちょうど閉経の時期に当たり、前後には著しく生理が乱れるという話をよく耳にしていたため、自分もその一人なのだろうと思っていました。昨秋までは亡き母の介護に必死で、自分のことは二の次、三の次になっていたという事情もあります。
そんな中、今年に入ってから出血量が多いことがあり、それでもまだ高をくくっていたのですが、3月初めのある朝、目覚めてベッドで体を起こすとふっと意識が遠のき、そのまま床に落ちてしまいそうで、これはもう、救急車を呼ばなければいけないかも知れないと思ったほどに大量の出血をしていました。貧血症状を起こしていたのです。
さすがにただの更年期障害とは違うのでは?と考えを改め、近所の婦人科クリニックを受診しました。それが病気の発見につながったのです。
*
クリニックの超音波検査で子宮の様子を見た先生の第一声は、
「これは内膜が相当厚くなってるな」
というものでした。
私たち女性は、毎月、子宮に「子宮内膜」という膜を作って妊娠に備えます。着床がなければその膜は、月経として体外に排出される。ところが何らかの理由で卵巣が大量に膜を作るよう指令を出してしまい、しかもその膜が子宮に残り続けることがあるのだそうです。ただ残っているだけなら無害ですが、そのような余分な内膜はがん化してしまうことが多く、よく調べる必要があるということでした。
そこで、ゴールデンウィーク前までに「細胞診」「組織診」という二つの検査を行い、内膜の状態を調べました。
婦人科のあの大股開きの椅子に座るだけで誰しも憂鬱になるものですが、特に「組織診」では、股の間に金属製の匙状だかブラシ状だかの、要は刃物を入れて、内膜を数カ所、切り取ってラボに送るのです。医療行為でなければ、まさに、変態の拷問。絶叫するほど痛みを感じる人もいるということでしたが、幸い私の場合はさほどでもなく、何とか検査を終えることが出来ました。
*
そして、ゴールデンウィーク明け、忘れもしない5月8日にクリニックへ伺うと、先生から「子宮内膜異型増殖症」です、と告げられました。
内膜の細胞はがん化していないものの、健康な細胞とは少し違う「異型」の形状が見られ、今後がん化する可能性が非常に高い。ステージ0、前がん段階にある、そのような病気だということでした。
標準治療は、子宮の摘出。がんになる前に取ってしまう、という考え方です。この時点で手術が決定しました。先生が三鷹の杏林大学附属病院の婦人科と密接につながりを持たれていることから、即、紹介状を書いて下さり、杏林で手術を受けることが決定したのでした。
*
ところで、この「子宮内膜異型増殖症」には、一点、留保の項目があります。
組織診では内膜の数カ所を切り取るだけで、すべての細胞を検査するわけではないため、もしかすると「異型」ではなく、本当にがんに変わってしまっている細胞が、内膜内の他の場所に存在しているかも知れないのです。実際、手術後、摘出した子宮を検査すると、50パーセントほどの確率でがんが見つかるということでした。
杏林での私の主治医は女性の医師で、短髪のボーイッシュな外見。もしかしたら帰国子女かな?と思う、キッパリ、ハッキリとものをおっしゃる方です。
治療の方針も、術前に可能性を徹底的につぶす、という帰国子女的、合理的なもので、再び大股開きに刃物の組織診(泣)、MRI、そして、やはり内膜を全部調べたいというお考えで、急遽、6月19日に「子宮内膜全面掻把術」という日帰り手術を受けることになりました。
これは、静脈麻酔をかけて行うもので、子宮内膜をすべて体外に掻き出してしまうという、聞くだにすさまじい手術です。そうやって掻き出した内膜を、普通は2週間ほどかかるところを私の場合は術前ということで、超特急でラボが精査。本当に1ミリもがんが存在していないかを確定するのです。
手術自体は麻酔をかけて行うので痛みはないのですが、麻酔が合わず、術後数時間、激しい嘔吐が続き、地獄の苦しみを味わいました。手術より麻酔の方がつらい、という人が数パーセント出るそうですが、まんまと私もその一人だったのでした。
*
さて、二日後、この検査の結果が出ました。そして、やはりがん細胞があった、と告げられました。それまでの私は「前がん段階」にいましたが、もうその段階ではない。私は「がん患者」なのです。
ただし、ごく初期のものであり、おそらく体の他の部位にも転移していないだろう、とも同時に告げられました。
もちろん、医師は「だろう」のまま手術に突進する訳にはいきません。急遽、PET-CTという特殊な検査を受けてもらう、と言われました。全身を精査して転移の有無を確定するのです。23日、金曜日のことでした。結果が出たのは、昨日、25日。結果は、転移なし。
ここに至ってようやく術前検査が終了したのでした。
‥‥杏林に移ってからここまで1カ月弱の間に、一体、何回検査をしたのでしょうか。
あまりに検査が多く、その度に股の間に刃物を入れ、腕から造影剤を入れ、体力を消耗してへとへとになり、今はもう、「やっと入院出来る!」と嬉しくなるほどに(泣笑)、疲労困憊の日々でした。
ともかくこのような経緯を経て、私の病状は正式に確定したのでした。
*
「ステージ1」「ステージ2」などというがんの区分を、多くの方が聞いたことがあると思います。1から4まで、がんには4段階の進行ステージがあり、更にそれぞれをa、b2段階に区切ります。
私のがんは、「ステージ1a」。最も初期段階のがんであると確定しました。
今の段階で取れば、今後の生存率は非常に高い。ただし、子宮内でのがんの範囲がそこそこ広いため、子宮のみならず、卵巣、卵管、骨盤内のリンパ節をすべて摘出します。
術式は、「ロボット手術」。ふざけてるのか?と言いたくなるようなSFアニメ的名称ですが、これは略称で、正式名称は「低侵襲ロボット支援下腹腔鏡手術」。医師ではなく「ダ・ヴィンチ」というロボットアームが切ったりはったりを行う、最先端の術式です。
医療ドラマでは、よく、医師がお腹を切り開いて「メス!」と告げる場面がありますが、この術式では、切開ではなく腹部に小さな穴を6カ所ほど開け、そこから極細のロボットアームが体内に入り、手術を行うのだそうです。
そのアームを後ろにたどって行くと医師の手があり、送られて来る画像を見ながら、アームを動かす。その手の動きがアームに伝わって患部を切り刻むというシステムです。何だかね‥‥ゲーセンみたいだよね、と思ってしまうのは私だけでしょうか。
しかし、ロボットの方が人間の指より繊細な動きが出来ること、また、切開をしないため体の負担が少ないこと。この術式にはそのような大きな利点があります。入院は、何と切開の場合の半分の期間で済むとのこと。杏林大学病院婦人科ではロボット手術の実績が多くあることから、安心して臨んで良さそうです。
*
手術が決まった時、まず頭に浮かんだのは、もうすぐ十五歳になる老猫、チャミのことでした。
母が亡くなった後、私にべったりのチャミは、「お母さんがいなくなって、今度はお姉ちゃんまで僕の前から消えてしまったの?」と思ってしまうのではないか。何しろ猫には言葉が通じないのです。そしてその精神的ショックがもうおじいちゃん猫のチャミの心身に、大きく響くのではないか。そう考え出すと心配で心配で涙が流れます。
もちろん、手術への不安もあります。医学的にはそう難しい手術ではない、先生方にとってはきっと日常の手術なのだと思いますが、それでも、世の中、何が起こるか分からない。19日の「全面掻把術」手術の前夜にも、たまらない不安がありました。こんな時に母と話せたらな、と思いますが、母はもうどこにもいない。人生の哀切をしみじみと感じています。
*
それでも、友人たちには大変心を慰められました。
病気を伝えると、「入院、退院に付き添える」と言い出す友人(いやいや、うちには父がいるので大丈夫だから‥)。
退院後の買い物を手伝うよ!と申し出てくれる近所の幼馴染や、「お見舞いに行く!こっそり美味しいもの持って行くから!」と張り切ってくれる友人。
「入院中の下着の洗濯など、引き受けるよ。車で行けば、意外と近いから」と真顔で書いてくる友人。いやいや、あなたの家、鎌倉だよね。‥‥泣き笑いしながら、友情を噛みしめました。
‥‥ただし、コロナ対策のため、杏林大学病院の婦人科病棟は、全面、面会禁止。家族すら面会は出来ません。これから10日ほどの入院期間を一人で過ごしていくことになります。
*
そして、仕事の関係者の皆様にも大変温かい対応を頂きました。
現在、私は『美しいキモノ』と『クロワッサン』の二誌で連載を持っていますが、両編集部とも、無理をせず休載にしましょうと快く認めてくださいました。
そのため、『美しいキモノ』での『美の在り処』は、次号秋号では一回休載となります。
また、『クロワッサン』の『着物の時間』は、一回か二回、別のライターさんに立って頂くことになりました。
両連載とも、スケジュール上からは休まず続けることも出来なくはなかったのですが、心身ともに非常な無理をすることになり、正直を言えば、心底休みたかった。それでも自分からは言い出せずにいたところを、両編集部とも「治療が第一です」と、休載、代役ライターを提案下さったことに、心から感謝を申し上げます。
*
このようなことで、今年の夏は、治療と休養に専念致します。
ホルモン分泌に関係する器官を摘出するため、術後にめまいなど体調不良が続くことも考えられ、八月いっぱいほどまでは安静に過ごす予定です。
なかなかつらく、そして静かな夏となりそうですが、考えてみれば、婦人科を受診するきっかけになった3月初めの大出血の少し後から、不思議なほど出血はぴたりと止まり、もしもあの日、あの朝の大出血がなければ、「閉経したのだな」と思って婦人科には行かず、そのままがんが進行していたことに思い当たります。
そう考えれば、あの朝の大出血は私の命の分岐点であり、そして、私はベッドの枕元にいつも母が最後に着ていたキャミソールをたたんで置いて寝ているので、
「あなた、がんよ!病院に行ってちょうだい!」
と、母が出血を引き起こして知らせてくれたようにも思えます。
この知らせを大切に、治療と静養に努めていきたいと存じます。どうぞ皆様、良かったら、28日の手術の成功を祈ってやってくださいませ。
*写真は‥‥
右上が、入院中に読書予定の本たち。これらすべてを読了は出来ないかな。
その下は、病院推奨の室内履き。杏林大学病院では、スリッパは禁止。必ずかかとのある室内履きを履くきまりになっているため、新しく購入しました。家で試し履きしてみたところ、フェルト製で、なかなかに快適です。
左下は、杏林大学病院の建物の一部を撮ったもの。一つの街のように巨大な病院です。
そして、左上が、チャミ。午後はたいてい和室で、私が特注したチャミ専用の座布団(二枚重ね!)に座り、庭を眺めながらうとうとしています。10日間、こうやって私の帰りを不安の中で待ち続けるのだな、と思うと胸が締めつけられるようです。
*一部の友人と仕事関係者の皆様には、「子宮内膜異型増殖症」と病名をお知らせしていましたが、本文に記しましたように、19日の検査でがんが見つかったため、「子宮体がん」と変わりましたことをご理解ください。
*コメントやメッセージを頂きました場合、今は術前術後の体調管理に専念したいため、お返事は出来ないことをご理解ください。すべて読ませて頂き、「ハートマーク」だけ押させて頂きます。
*本文にも記しました通り、杏林大学婦人科病棟は、現在、コロナ対策で全棟面会禁止のため、お見舞いに来て頂くことは出来ません。
クロワッサン連載「着物の時間」 バッグデザイナーほりようこさんの着物物語を取材しました 2023/06/25
ツイート
マガジンハウス「クロワッサン」での連載「着物の時間」。今月は、着物ともとても相性のいい、ハンドメイド一点もののバッグブランド「月之」を主宰する、デザイナーのほりようこさんを取材しました。
「趣味を仕事に」と夢見る方は世に多けれど、なかなか実現は難しいもの。ほりさんはそんな夢を叶えた一人です。
手仕事好きだった事務職の会社員から、自分のブランドを持つまで。そして、着物のおしゃれを愛するようになるまでの物語を取材しました。ぜひご高覧ください。
「むら田」に帯の誂えに 2023/06/16
ツイート
今週、再び渋谷へ。「むら田」さんに帯の誂えの相談に伺いました。
昨年秋から年末にかけて、「美しいキモノ」の連載のために取材に通った日々の中で、店主のあき子さんのおじいさまである板谷波山、また、お父様であるモザイク作家板谷梅樹の原画をもとに、帯の誂えが出来ることを知りました。私も一本作ってみたい‥と、憧れの想いがつのっていたのです。
この日は、大学時代の同級生も一緒に。
大手出版社文芸部の編集者、郡司珠子嬢は、多くの有名作家に愛され頼られている、たぶん文学界で知らない人のない切れ者編集者だと思うのですが、同級生の私にとっては、肩書のない「珠子」。そして大のきもの狂いという同好の士。
大学時代は机を並べてトマス・アクイナスの原文(ちなみにラテン語です)に頭を悩ませていた二人が、今は「浦野の染めってやっぱり力があるのよ!」「ちょっとこう、ぽつっとぽつっと模様が入った系の訪問着が必要かもしれない」「その帯ならあの市松の着物がピッタリでしょ!」などと、延々と話し続けている人生の愉快さよ!
*
‥‥と、そんな同級生二人でむら田さんのドアをくぐり、どっさりと、30枚ほどでしょうか、見せて頂いた原画は、波山、梅樹の陶器やモザイク作品の上に成立していた図案が帯にふさわしい姿へと移しかえられていて、何とも胸のときめくものでした。
一枚一枚、どの原画も素敵なのですが、私が選んだのは、上の写真の、すっと横に渡る唐草の図案。波山の香炉から取ったという原画です。
今回の誂えの主旨として、手持ちの中ではどうも合う帯がない縦縞のきものがあり、そのきものに添う帯として作りたい旨をお話ししながら原画を見ていました。その中で、きものが縦縞なのだから、横に渡る柄がいい、と、あき子さんと意見が一致したのが嬉しくて。
そしてその縞の着物がブルー系のため、原画の花の色は赤ですが、あき子さんが新しい配色を見立ててくださることになりました。
ああ、嬉しい。あき子さんに見立てて頂く、ということが私の夢だったから。
*
そんな中、この日は私にくっついて遊びに来ただけ、のはずの珠子も、気がつけば一緒に誂えていて。いや、そうなるのでは?という気もしていたのですけれどね。
彼女が選んだのは、こちらの、私が楽し過ぎて大口を開けて笑っている写真の手前に映っている笹の葉の図案です。とてもかっこいい帯になりそう。やはり波山の図案で、こちらも出来上がりが楽しみです。
これらの帯は、むら田の盟友である京都「三風魯」の職人さんが、「すくい織」という技法で一本一本手仕事で織り上げます。出来上がりは秋の初め頃になるでしょうか。ゆっくりと待つのも楽しいものです。
*
この日の私のきものは、父の知人の方から頂いた、紺地に白の小花模様の単衣。コロナ2年目に頂いて、やっと今年、着ることが出来ました。頂いて、たとうを開いた瞬間から大好きだった一枚。以前、ブログでご紹介したので覚えていて頂いている方もいらっしゃるかもしれません。
帯は、鷺草を描いた絽の染め帯。こちらはきもの仲間のお姉さま圭子さんから、以前、激安で譲って頂いた一本。まだ少し季節が早いのですが、実は、今年の夏、私はきものを着ることが難しい事情があり(その理由はまた別の日のブログにて)、いかにも夏らしい模様を締めてみたかったのです。まだ夏も始まっていないのに、これにて夏の模様の着納めとは悲しい限りですが、それでも、一度でも着られて満足。帯締めは道明の練色の冠組です。
人生山あり谷あり。この夏は少しばかり厳しい夏となりそうなのですが、帯の出来上がりを支えに過ごしていきたいと思います。
クロワッサン連載「着物の時間」にて林真理子さんの着物物語を取材しました。 2023/06/05
ツイート
マガジンハウス「クロワッサン」での連載「着物の時間」、今月は、何と!林真理子さんを取材しました!
昨年大きな話題となった、日大理事長就任。お飾りに終わってしまうのでは?という一部の意地悪な下馬評など軽く吹き飛ばし、週五日出勤されて着々と改革を進めていらっしゃいます。
今回の着物は、その日大の卒業式でお召しになった、色留袖。
私もその一人だったのですが、3月、「林理事長、最初の卒業生を送り出す」という卒業式の報道を見ながら、「もー着物が全然映ってない!真理子さんと言えば着物なのに!裾の方どうなってるのかちゃんと見せてよ!」といらついた方も多かったはず。
全真理子ファン、着物ファンを代表して私が取材してまいりましたので、逸品のお着物の詳細と真理子さんの着物生活の最新ステータスを、ぜひ誌面にてご確認ください!