西端真矢

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術後一年 2024/06/25



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昨日は子宮体がん手術から一年目に行う精密検査の日だった。
胸から骨盤内まで、子宮がんが転移しやすい部位全体にべったりとCTを撮る。それもただのCTではなく、造影剤という液体を血管に流し込んだ上で撮る精度の高いもので、昨年2月、子宮に異常があると診断が出た日から手術前までに山ほど検査を受けて来たけれど、一つだけまだ受けたことのない検査だった。
今回で、ついに、エコー(超音波)、単純CT、MRI、PET CT、そして造影剤CT。がんにまつわる画像検査をすべてコンプリートしたことになる!‥‥ってもちろん、こんなことをコンプリートしたくはなかったのだけれど。

それにしても、こうして一年が過ぎ再び同じ季節を迎えると、やけに手術当日ことを思い出す。
もちろん、手術自体は麻酔で眠っている間に行われたから記憶はまったくないけれど、その麻酔が切れ、自分が独房のような小部屋に一人で寝ていることに気づいた時の、何とも言えない奇怪な感覚がよみがえるのだ。

そこは「ICU」と呼ばれる二畳ほどの小さな個室で、手術後の患者が一人ずつ個別に収容される部屋だった。
――と、今ではそう知っているけれど、術前にいちいち部屋のディテールの説明はないから、麻酔が切れるとただ自分がそこに置かれているという状況だった。
部屋には一切の装飾がなく、什器も、医療機器さえも備えつけられていなかった。つるりとしたクリーム色の壁と、狭い天井。それだけが目に見える情報だった。周りに人影もなく、一体ここはどこなのか。麻酔から目覚めたことを誰かに知らせたいと思ったけれど、起き上がろうとしても体はまったく動かない。指一ミリを持ち上げることさえ出来なかった。そして全身に管がつながれていた。
管はマスキングテープのようなもので貼り付けられているものもあったし、血管に刺してあるものもあった。それどころか腹の中から飛び出している管さえあったのだけれど、その瞬間にはそこまでは分からなかった。とにかく自分が無数の管につながれている。それだけのことが感じとれた。そして空っぽの部屋に一人で放り出されていた。

その時私はまるでカフカの小説に出て来る巨大な虫のようだった。
あるいは一尾だけ売れ残り、冷凍倉庫に放置された氷漬けの鮭。あるいは血なまぐさい作風で創作された現代美術作品の――フランシス・ベーコンあたりの――ただ中に、知らぬ間にオブジェとして、強制的に、私の肉体を、私の存在を使用されている‥‥
やがて〝火〟を感じた。火は私の腹の中にあった。腹の中が熱く、ちかちかして、まるで火が燃えているようなのだ。ぼうぼうと燃え盛る強い炎ではなかった。小さく、周期は短く、けれど鋭いナイフのような火がちろちろと腹の中で燃え続けている。目を閉じるとまぶたの裏が赤く染まっていった。

――そのような状態で、どれくらいそこにいたのか分からない。一分くらいのことだったのかも知れないし、一時間ほどの記憶が断片的に残っているのかも知れない。
実際には、私は放置されていたのではなかった。呼吸や脈拍はすべて少し離れたところにあるコントロールセンターでモニタリングされ、看護師さんが見回りに来ていた。
私が手術を受けた病院は都内でも最大級の病院の一つに数えられ、手術室は二十室近くもあり、朝、一斉に各科の手術が行われる。そして術後の患者たちはそれぞれこの独房めいた部屋に収容され、集中管理されているのだった。

実際には、部屋はまったく空という訳ではなかった。頭の後方に、体から出た管の何本かをつないだモニター機器のワゴンが置かれていて、私がそれに気づいていなかったのだ。
やがて看護師さんが二人、部屋に入って来た。モニターの数値を記録して、あれこれと問診を行い、そしていきなり私の体に油性マジックペンを向け、ぐーっと線を描いて来る。しかも何か所も。一体何てことをするのだろう。もちろん医療上の理由があってのことなのだけれど、そしてそれがなかなか面白い話なのでまた別の回で書きたいと思っているのだけれど、いきなり他人からマジックペンで体に落書きされることも、おそらく人生でそうは起こらないだろう。

とにかくそのようにして、私はそのカフカ的な、実存的な部屋を出て行くことになった。
腹の中で火はまだ燃え続けている。内臓が二つ切り取られ、リンパ管も切断されたのだから、血は止まったかも知れないけれど傷口はまだただれ脈打っている。それが火のように熱く感じられるのだ。それでもストレッチャーに横たえられたまま、私はからからとその部屋を出た。

     *

――そんな手術の日から、一年が過ぎた。幸い昨日の検査の結果は良好で、転移は見られないという。
これまで経過観察のために二ヶ月に一度通院しなければならなかったけれど、今後は三カ月に一度で大丈夫でしょう、と回数も減らせることになった。本当にありがたいことだと思う。

とは言え、日々の生活の上では、まだ完全回復とは言えない状態にある。
子宮と卵巣を取ったことで腹腔内での腸の位置が定まらず、特に食後に大きな不快感が出る。一、二時間、まったく何も出来ず、ただ座っているしかないこともままある。とても疲れやすく、二日続けて外出はしないように、出来れば二日は空けるように予定を調整して、静かに暮らしてもいる。
それでも、とにかく、一番恐ろしいこと、転移は免れているのだからもう十分だろう。あの何とも言えない奇怪な感覚を再び生きることは、出来れば回避したい。とにかく一年を生き延びたのだ。

(写真は、昨年、入院中に病室で撮ったもの。少しずつ減っていくが体にはあれこれ管がつながっていて、トイレに行く時などは一緒に移動する。お腹に差し込まれている一段太い赤い管、ドレーンは、退院前日にようやく抜かれた)

あじさいの花再び咲く 2024/06/16



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三年間、花をつけなかったあじさいが、今年また咲き始めた。
それも今までにないほど多くの花をつけて枝がしなり、土にこぼれそうなほどに。

もともとこのあじさいはとても元気な木で、人の顔ほどもある大きな花をつけたこともあったし、すっきりとした青の色が好みだから、毎年六月を楽しみにしていた。
それが三年前、不意に咲かなくなってしまった。若い小さなつぼみがちらほらあったのにそれ以上育たず、そのまま葉に埋もれて終わってしまった。
おととしと去年はそのつぼみさえつかず、がっかりと六月を見送るしかなかった。何が原因だったのか分からない。虫がついて葉を食い荒らされたわけでも、隣り合った木の日蔭になったわけでもない。土もいじっていなかった。

もちろん、植物にも寿命はある。
たとえば私が物心ついた時にはもう大木だった庭の二本のもみじの木の一本は、六年前に立ち枯れ始めた。家族の一人のような木だったから悲しかったけれど、倒れる危険性を考えれば切り倒すしかなかった。
けれどこのあじさいの場合は、葉は生き生きとしていて枚数も大きさも普通の年と変わらない。むしろとても健康そうに見えるのに、花だけがつかないのだ。そんな例を見たことがなかった。

そのあじさいが、今年、再び咲き始めた。
どうして今年は咲くことにしたのか、それもまったく分からない。周りの草花を抜いて栄養が行き渡るようにしたわけでもないし、むしろすぐ隣りの車輪梅の木が今年は狂い咲きと言うほどに咲いて、ああ、養分を吸い取られた、今年もまたダメかと案じていたくらいだったのに。

機嫌を直した、とでも言う他ないが、あるいは、あじさいはちょっと疲れていたのかも知れない。毎年毎年どうしてそう律義に花をつけなきゃいけないの?花をつけるって大変なのよ。私だって少し休みたい時もあるわよ。
そんな風にほっぺたをふくらませて言う声が聞こえて来る気がする。私もこの数年人生に大変なことばかりが続いたから、分からないでもないのだ。そう思って見ていると、あじさいの丸い花がどれもぷっとふくれた頬のように思えて来る。

とにかく、あじさいは再び咲き始めた。来年はまたご機嫌ななめかも知れないが、それでも構わない。気まぐれに咲いたり咲かなかったり。そんなわがままな木もかわいいではないか。


胸ときめきくバッグと和歌のこころと 2024/06/05



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三つ前の投稿で、手持ちの、太田垣蓮月の和歌の短冊をご紹介した。崩し字で書かれていて私には読めないため、分かる方がいらしたら教えてくださいと書いたところ、お友だちがすぐに読み下してくださった。
気になっていた方もいらっしゃると思うのでご紹介したいと思う。
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たび人のかつぐひとへのひのきがさ
うちぬくばかりふるあられかな

漢字にすると、

旅人の担ぐ一重の檜笠
打ち抜くばかり降るあられかな

信州の名産で、檜で作る「檜笠」という笠があるようで、その笠を打ち抜かんばかりにあられが降る情景を詠んだ、なかなかに激しさのある歌なのだった。
そう言えば、広重の「東海道五十三次」にまさに同じ画題があったことを思い出す。二人は同時代の人だから、無意識に、幕末という激動の時代の美意識を通底させていたのかも知れない。もちろん、蓮月が広重の浮世絵を見ていた可能性もある。
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さて、そんな、崩し字をすらすらと読み解いてしまう麗しき教養人に会いに行って来た。
観世あすかさん。
冒頭では話を進めるために〝お友だち〟と書いてみたが、私のような無学の者が友だちなどと名乗るのはおこがましく、知人の末席の末席におずおずと座らせて頂いている。あすかさんは日本の古典芸術全般に通じられた美術商で、同時に、「アトリエ花傳(かでん)」という一点もののバッグブランドを主宰されている。以前、私のブログでもご紹介したので覚えていらっしゃる方もいるだろうか。

その花傳のバッグにずっと憧れがあり、私も一つ持ちたいと願っていた。コロナ禍や自分の病気で延び延びになっていたけれど、ようやくアトリエにお邪魔出来るはこびとなり、生地など見せて頂きながらオーダーのご相談を、と思っていたら‥‥一目惚れの子に出会い、そのままお迎えするという疾風怒濤の展開が訪れたのだった!その子(と呼びたくなる)が、こちらの一点だ。
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今はもう織られていないというリヨン製の最上質のグログラン生地に、手芸作家下田直子さんのビーズレースが縫い留められているという贅沢。レースはココリコ(雛芥子)の花のモチーフで、可憐でありながらどこか凛と、強い。
この二つの最高の素材が焦げ茶×白という配色で並び立ち、更に、ハンドルと側面部分に藤色の布が当てられている‥‥という、この配色の飛躍に私は最も心をつかまれた。
もともと紫系統が好きで、その紫が、常識的な黒や白やピンク系の布ではなく、焦げ茶色にめあわされているところに激しく胸がときめくのだ。
更に降る雪のように白のレースが加わって、三色が拮抗している。美しいものを知り尽くしたあすかさんによる、色の飛躍の冒険に魅せられてしまった。
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中を開くと、内布には赤茶色の花模様の布が張られている。
こちらはフランスのトワルドジュイと呼ばれる生地で、ブルボン王朝に代々生地を納めてきた生地店「メゾン・シャールブルジェ」の制作だとのこと。マリー・アントワネットが小トリアノン離宮の装飾に好んで使用した生地と言われ、当時から続く伝統的な手法で作られているのだそう。

隅々まで美意識のみなぎった、「ル・ココリコ」と名づけられたこのバッグ。きものにも洋服にもふさわしく、頭の中でコーディネイト妄想が始まっている。依然としてぼんやりとした体調不良が続く毎日ではあるのだけれど、美しいものは人を元気にしてくれる、というよく言われる真実を改めて実感している。