西端真矢

ARCHIVE:
女子の生き方 / 文学・思想・美学論 / 中国、日中関係 / 着物日記 / 仕事論 / 日々のこと / 世の中のこと / 和のこと / / 吉祥寺暮らし / 本や映画や美術展感想 / お仕事ご報告 /

2024年 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2023年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2022年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2021年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2020年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2019年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2018年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2017年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2016年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2015年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2014年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2013年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 3月 / 1月 / 2012年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2011年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 / 2月 / 1月 / 2010年 / 12月 / 11月 / 10月 / 9月 / 8月 / 7月 / 6月 / 5月 / 4月 / 3月 /

二つの訃報 2023/08/17



%E7%9D%A1%E8%93%AE%E3%81%AE%E8%8A%B1sfws.jpg
毎年、お盆には亡き人の御霊を迎え、偲ぶが、今年は格別悲しい年になってしまった。八月十五日、一日に二人の友人の訃報を受け取った。

一人は、Mさんという。
「美しいキモノ」編集部で長く助手を務め、同時に自分自身でも着付け教室を主催していた女性だった。
彼女と初めて話したのがいつだったのか、まったく思い出せない。打ち合わせや入稿のために編集部に行くと、彼女がいて、仕事上の接点はそれほど多くはないけれど、何か気が合うものがあった。気がつくと仲良くなっていた。
最初は仕事の合間に、編集部のストックルームや廊下の壁にもたれて、ひそひそお喋りをした。それが楽しくてやがて二人で銀座の高級リサイクルきもの店巡りをしたり、美味しいケーキを食べに行ったり。話に夢中になり過ぎ、て気がつくとカフェの窓の向こうが真っ暗に暮れていて、ご家族のある彼女は、大変!晩ご飯作らなきゃ!と慌てて解散した日もあった。

やがて、私が世話人役を務めていたプライベートな染織講座で、母の介護のためにその役が出来なくなってしまった時、彼女に後を頼んだ。
染織に造詣が深く、しかも細やかに気が回り、実行力のある人。
私などより何倍も適役で、我ながらいい人選だわとほくそ笑んだりもした。ちょうどコロナ真っただ中の時期だったけれど、「収束したらこんな企画をやってみたい」「ツアーを組んでこんな所に行くのはどうかな」と、彼女の特徴である大きな目をキラキラさせて話してくれた。

その彼女が病におかされ、長期の療養に入ったと知ったのは、母を見送って少し経った、今年の年明けだった。
最初、私は彼女の闘病を知らず、講座に関連することで、あるお願いのメールを送った。すると彼女は、長く座っていることも出来ないほど衰弱していたのに、何も言わず、まず私の依頼を実行してくれた。その後で、実は、と病気のことを打ち明けた。そういう深い心配りを、さらりとやってのける彼女だった。とてつもない心身の痛みの中で。

     *

%E5%90%89%E6%BE%A4%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A8%E4%B8%80%E7%B7%92sfws.jpg
もう一件、受け取ったのは、吉澤暁子さんの訃報だ。
着付け師、スタイリスト、着付け教室主催、振袖レンタル事業の経営‥‥大阪を拠点に幅広く活動する、きもの界のスーパースターだ。
彼女と私は同い年で、2015年、私が或るきものイベントの運営を手伝った時に知り合った。
彼女の活動の中心が関西ということもあって、顔を合わせた回数は少ないけれど、世の中には「お互い何故か気になる存在」という人がいる。彼女とはまさにそんな関係だった。SNSで常に互いの活動は把握していて、時々やり取りを交わして。タイミングを見て私の雑誌連載に出てもらおうとも考えていた。

そんな彼女が体調を崩し、療養に入っていると公表したのは、今年の春だった。ちょうど私も手術が決まり、メールを送った。彼女の病名は分からなかったけれど、一緒に乗り切って行こうとと伝えたかった。
「東でポンコツの西端も何とか頑張ってるから、吉澤さんがつらい気持ちになることがあったら思い出して」
そんなことを書いて送ると、「今、関西に親戚爆誕したから」「大阪人だからお節介焼くから」と、いかにも大阪の人らしい冗談で笑わせてくれながら、私の闘病を応援するから、と返事をくれた。病気を抱えながらも、仕事を続ける。そういう新しいライフスタイルを世に問うていくつもりだとも明かしてくれた。それなのに‥‥

最後に彼女が私のブログに「いいね!」を押してくれたのは、8月1日のエントリだった。病理診断の結果、私の癌が最も初期の状態だったことが確定して、抗がん剤治療から免れたことを知らせる内容だったが、その時、彼女はどんな気持ちで、いいね!を押してくれたのだろう。
彼女は自分の葬儀について意志を残していたという。そんな状態の中で、私の癌が初期だったことを喜んでくれたのだ。それを思うと、胸が張り裂けそうになる。その心の大きさに打ちのめされる。

    *

今、目を閉じると、二人のきものの着こなしが浮かんで来る。二人とも抜群に趣味が良く、そして、語っても語っても語り尽くせぬほどにきものを愛していた。もっともっとおしゃれを楽しみたかっただろう。これから晩夏へと向かう季節、あの帯を締めたい、中秋の季節にはあの帯、と‥‥。人生のプランもいくつもあっただろう。その無念を思うと悲しくてたまらない。もう一度、二人に会いたい。

ただただ二人の素晴らしさを伝えたかったから、何とか気持ちを奮い起こしてこのブログを書いた。
写真は、2016年に吉澤さんと撮ったものと、もう一枚は、我が家の睡蓮鉢を撮った。この数年咲かなかったのに、訃報を聞いた日とその翌日、神々しいほどに美しい花を咲かせていた。優しく、そして美しかった二人は、今、きっと、二人を愛したたくさんの人のもとを順番に回り、私の所にもちょっと立ち寄ってくれたのだ。そう信じたい。ただ、静かに二人を偲ぶ。合掌

#吉澤先生と一緒