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うさぎや閉店と変わる阿佐ヶ谷の街 2024/05/22
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今週、阿佐ヶ谷の和菓子店うさぎやが閉店してしまった。
上野と日本橋にもまったく同名のうさぎやがあって、三店は親戚同士だけれど、阿佐ヶ谷店だけが閉店する。常にお客さんが絶えない人気店だったから、経営不振が理由ではなく、「店主高齢化のため」とのこと。跡継ぎがいらっしゃらないのだろうか。悲しくてたまらない。
私は一日一つ上生菓子を食べる上生菓子マニアで、好みも自分なりにうるさく、きんとんは吉祥寺の亀屋萬年堂(特に百合根きんとん)、黄身しぐれは青山の菊家、薯蕷饅頭はお茶の水のささま、こなしは大久保の源太‥‥などなど、どこの店の何、というところまで細かく決まっている。
その中で、阿佐ヶ谷のうさぎやは練切の店だった。ここの練切が東京で一番好きだったから、はかり知れない打撃を受けている。
最後にうさぎやの練切を食べたのは3月28日だった。
桜の形の練切で、こし餡であることも私の好み通りだ。我が家からうさぎやまでは中央線で三駅。いつも電話で取り置きしてから買いに行くが、その日は「上生菓子は、桜の練切一種類しかないのですが、よろしいですか」と言われ、少し変だなとは思った。うさぎやには常に雪片や薯蕷饅頭など数種類の上生菓子が並んでいるのに。そうか、この季節は桜の注文が大量に入るから、それしか作らないのね‥‥と勝手に決め込んでしまって、その時に、どうしてですかと質問していれば、閉店のことを教えてもらえたのかも知れないと思うと悔しくなる。
それから十日ほど後、フェイスブックで偶然うさぎや閉店のニースを知った。何とかあと二回でも三回でも、この世から消えてしまう前にあの練切を食べておきたい。ゴールデンウィークは混むだろうと予想して、4月15日週の平日の朝、いつも通りまず電話をかけると、自動音声の回答で「すべての予約は締め切りました。直接のご来店のみお受けしています」という。
それで、とにかく店に向かったが、長蛇の列が出来ていた。あまりの人出のため警備員さんを雇ったらしく、店とは何のゆかりもない警備保障会社の制服を着た、お菓子のことには詳しくなさそうな中年の警備員さんが汗水たらして行列の監督をしていた。ああ、こんなにもうさぎやは愛されているのだ、と呆然と列に並ぶしかなかった。
けれど、悲しいことに、その日、練切は買えなかった。
うさぎやは何と言ってもどら焼きが一番の人気商品だ。店としては、「最後にどら焼きを食べたいんです!!!」という人々の切実な思いに答えるために、とにかくどら焼きを大量に作らなければならない。上生菓子は作るのに時間がかかるため、職人にもう余裕がないんです‥‥と、ようやく三十分ほど並んで店に入った時に教えてもらった。
それでも気を取り直して、せめてうさぎ饅頭を買って帰ろうと思った。これは二番目に人気のお菓子で、うさぎの形をした何とも言えずかわいい薯蕷饅頭だ。母の好物で、私も好きだからよく二人でおやつに食べていた。けれどそれさえももう売り切れだという。私は半べそ顔になり、唯一買えた鹿子を買ってすごすごと帰宅するしかなかった。
*
それでも、もう一度、ゴールデンウィーク明けにうさぎやに行った。
もう練切を食べられないことは仕方がない。せめて最後にうさぎ饅頭を買って母の遺影に供え、空の上の母と美味しいねとお喋りして食べたいと思った。
日にちはもちろん平日を狙った。休日はもう到底無理に違いないけれど、平日ならきっとまた三十分ほども並べば買えるだろう‥‥駅から早足で商店街に入ると、店の前には誰も並んでいなかった。ああ、良かった。人波のピークは過ぎたのだ、と胸をなでおろした時、横からあの警備員さんが現れた。
「皆さんに、あちらの公園に並んで頂いています」と言う。「二時間ほどかかると思います」
それで、もう、あきらめて家に帰るしかなかった。二時間並んでうさぎ饅頭が買えるのならいいけれど、売り切れてしまうかも知れない。しかも今、あまり体調がすぐれず無理も出来ない。何もかも、見通しが甘過ぎた自分が悪いのだ‥‥
*
実は、うさぎやに行くと、いつも帰りには商店街の先の河北病院に寄っていた。母が肺がんの化学療法と、また、もう一つの持病の治療のために通っていた病院だった。2017 年からは認知症が始まり、予約手続きや薬の受け取りを失敗するようになったために、毎月、私が付き添って通っていた。
やがて2021年には母は寝たきりになり、それからは介護タクシーをチャーターして、私は車椅子を押して毎月各科やら検査室やらを必死で回ることになった。廊下の曲がり角一つ一つに、介護の思い出がびっしりと詰まっている。
それなのに、あれほどつらく悲しい日々だったのに、院内を歩いているとまだ母と一緒にいるような気がして、車椅子を押して一緒に歩いているように思えて、いつも用もないのにしばらくぶらぶらと、うさぎやの袋を下げて歩き回ってしまうのだ。
けれど、その3月28日に訪ねた時、近くの広大な空き地に巨大なクレーンが建っていた。掲示板を見ると「河北病院新院建設工事」と書かれている。
これまでは、三つの病棟が時代を追ってばらばらに建てられ、それらを渡り廊下でつないだ複雑きわまりない構造の、そしてだいぶ古びた病院だった。けれどどうやらぴかぴかの高層インテリジェントビル病院に生まれ変わるらしい。患者さんや、その患者さんに付き添う家族のためには、もちろんその方が良いに決まっているのだけれど‥‥
うさぎやも閉店して、河北も新しくなって、もう、阿佐ヶ谷にママの思い出は何もなくなってしまう。そう思うとたまらなく悲しくなった。
もちろん、街も変わるし、人も変わっていく。この世界に変わらないものなんて何もない、と鴨長明の昔から言われているしそんなことは知っていたけれど、知っていたことと実際に感じることとは違うのだ。もう阿佐ヶ谷なんて来ないよ、と意味不明にやさぐれてその日は駅まで歩き、それでも、最後にもう一度食べたいと二度までも足を運んだのにうさぎ饅頭さえ食べられないまま、私と阿佐ヶ谷の縁は切れようとしているのだった。
上の写真は、2年前の2月に、うさぎやさんの春の初めの季節の定番、うぐいすの練切を撮ったもの。おそらくほんのりと抹茶を練り込んでいて美味しく、梅の模様の薩摩焼の茶碗とともに頂くのが毎年の楽しみだった。
そして、冒頭の写真は、最後に桜の練切を買った、今年3月28日のウィンドウ。
桜の練切とうさぎ饅頭が飾られていて、今となれば何だか私の恨みの結晶のような一枚になってしまったのだけれど、やはり撮っておいて良かったと思う。
人生の他の数々の思い出と同じように、本当に美味しかった食べもののその味の記憶は、一生、胸に残ると思う。そして柔らかくあたたかな春の霧のように、ゆっくりと口中によみがえって来る。
うさぎやさん、ありがとう。長い間、杉並と、その周りの地域に住む私たちの毎日に、小さな、けれど生きる支えとなる楽しみを運んでくれた。長い間、本当にお疲れ様でした。ありがとう。